第3話 居候
「ところで、先生は仕事で日本に来たんか?旅行にしちゃあ、きれいな格好しとる。」
ミツシゲに言われて初めて私は自分の身に着けている物に目を向けた。軟禁状態の私を家族だけは信じて敬ってくれ、毎日こんなにきちんとした服を用意してくれていたのだ。早く戻って会いたい。しかしどうやって?戻ったらまた元の病んだ体になってしまうのだろうか。
「なぁ、先生ってば!」
旅行中なのか仕事中なのかも答えられず、自分の着ている物を眺め続けていた私に、しびれを切らしたミツシゲがもう一度私を呼んだ。どこまで話すべきか決めかねて「よく分からないんだ」と答えた。すると急にミツシゲの表情に不安が見え隠れし始める。
「先生、荷物もないやん。どこへ行くん?」黙っているとミツシゲは
「先生、もしかしたら記憶喪失ちゃうか?」と聞いてきた。そして私の返事を待たずに「病院と警察に連絡したるから、待っとき。」と席を立ちそうになったので、慌てて引き止める。
「ちょっと待ってもらえないか。記憶もあるし、どこも悪くないんだ。ただ、行く所がなくて、お金も服も何も持っていない。」ミツシゲの澄んだ瞳がまっすぐにこちらを見ている。
「先生、どないしたらそんなことになるんやろ?僕、おもろい事は好きやけど、警察のお世話になるのは嫌やで?」疑うような表情ではなく、好奇心いっぱいの顔で私の返事を待っている。彼を信じてみることにした。どのみち他に選ぶ道はないのだ。
「話が複雑すぎて、今上手く説明できない。しかし、警察の世話になるような事は何もしていない。少しずつ話すから助けてもらえないか?」400年以上前に他の国で裁判にかけられるような事をしたのは、この世界では無罪放免だろうと、少しだけ嘘をついた。ミツシゲは
「よっしゃ。とりあえず、うちに行こう。話はそれからにしよか。」とまるで友人を招く気軽さで、初対面の私を何も聞くことなく自宅へ招き入れてくれた。
「イタリアには集合住宅ってないんやろか?」と言いながら、ミツシゲは大きなマンションへ入っていく。
「いや、イタリアにも同じような住宅はある。」この時代のイタリアの事は分からないが。
「僕は絵を描いたり、写真を撮ったりして仕事をしてるんや」自分の事を何も話さない私に、ミツシゲはたくさん自分の話をしてくれる。一人暮らしだというその部屋はとても広かった。そして絵描きだという彼の部屋にはキャンバスも絵の具も見当たらない。
「先生!ここが僕の仕事場!」と案内された部屋にもやはり画材はなく、大きな額縁が一つ、隅に置かれた机の上に鎮座していた。何も飾られていないその額縁にミツシゲが何かのボタンを押すと、魔法のように様々な色鮮やかな絵画が映し出された。「これは一体何だろう?」他にも使い方が全く分からない道具がたくさんあった。いや、使い方の分かる道具はわずかしかないという表現の方がぴったりかもしれない。少しずつ教えてもらって覚えて行くしかない。そのためにはこの好青年にもっと心を開き、自分を信用してもらわなければならない。額縁の中に現れた絵画、そして、さっきまであんなに暑かった室内の温度を下げ始める壁面に取り付けられた箱に呆然としながら、私はミツシゲに次のお願いをしてみることにした。
「ミツシゲ、私は少しこの国に滞在しなければならないんだ。生活をしなければならない。私のような言葉の話せない者でも働ける場所はないだろうか?出来たら住む所も探したい。」
「なんぼでも協力するけど、先生荷物ないんやろ?パスポートはちゃんとあるんやな?ビザは?ちゃんと就労ビザ持ってるんか?」
パスポート?ビザ?通訳たまごが流暢に話すイタリア語の単語が理解出来なかった。
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