第38話 私を翻弄する美しき幻想生物

それを初めて見たのはどこだったか全く覚えていない。けれどいつか必ず本物を見に行こうと、気がつけば固く心に誓っていた。


貴婦人と一角獣。6枚のタペストリーからなる連作は「味覚」「聴覚」「視覚」「嗅覚」「触覚」「我が唯一つの望み」の6つの感覚を示したもの。貴婦人、一角獣と獅子、そして多くの動物たち。背景は千花模様(ミル・フルール)で、これがまた好きすぎて語れば長くなるからここでは割愛する。


国立クリュニー中世美術館の至宝とも呼ばれ、フランス国外での展示はほぼなかったけれど、2013年、日本滞在中に私は大阪でそれを見た。実に39年ぶりの海外展だった。

その大きさ、その色合い。タペストリーが醸し出す何もかもが素晴らしかった。時間を忘れて見入った。そして、これは絶対クリュニーで見なくてはと思いを新たにしたのだ。


6枚のうち、好きなのは「聴覚」。文章中の音にこだわっている私にとってまさにのテーマ。さらに、貴婦人がトルコ製のじゅうたんを掛けたテーブルの上の小型のパイプオルガン(ポルタティーフ)を弾いているなど好きなものだらけ。展示後、迷うことなくプリントを買い求めた。


私がニューヨークで一番好きな美術館、MET別館ザ・クロイスターズにも一角獣のタペストリーがある。修復も終わり中世が色鮮やかに蘇った。しかしその一角獣たちは人に狩られ傷ついており、それは残念だったりする。けれどクリュニーでは無傷だ。誇らしげに旗を掲げている。もうそれだけで私には価値あるものだった。


それに、好きな作家がこのタペストリーに言及していることも大きい。リルケが『マルテの手記』第一部の最後で書いている文章はなんとも鮮烈で、やはりこのタペストリーはクリュニーで見るべきなのだと思うのだ。


フランボワイヤン様式の精緻な装飾が美しい中世そのものの美術館の、丸天井から光が差し込む円形の部屋にタペストリーは掛けられている。ああ、夢のような空間だ。ぐるりと麗しの一角獣に囲まれたら、果たして花咲き乱れる中世の夢から無事に戻ってこられるだろうか。

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