第8話 不穏な記憶

「ちょっとゴメン。悠木玲奈ちゃん、だよね?」


 加納勇助の呼び掛けに、セーラー服姿の少女が振り返る。


 黒い髪のセミロング、左耳の上にヘアピンを留めたその姿は、確かに悠木玲奈その人であった。


「え、コンビニのお兄さん⁉︎」


 加納勇助の姿を認めて、悠木玲奈は驚いたように両手で口元を覆う。その拍子に、提げていた大きなレジ袋がバサリと落ちた。


「あ、ゴメン。驚かしちゃって」


 加納勇助は慌てて膝をついて、飛び出た中身を拾い集める。しかし大量に散らばったその商品は…


「え…全部、納豆⁉︎」


「ぎぃやあああああ!!!」


 唐突に、悠木玲奈が悲鳴をあげた。そのまま大きなレジ袋を拾い上げ、一目散に駆け出していく。


 残された加納勇助は、ただ唖然と、駆けて行く彼女の背中を見送った。


 それからハッと我に返ると、横にあったカーブミラーに話しかけた。


「なんか家とは違う方向に逃げていくけど、やっぱり偽者だったのか?」


「……」


 しかし、悠木玲奈は応えない。何かを考え込むように、口元に手を当て押し黙った。


「玲奈ちゃん、聞いてる?」


「……え⁉︎ あ、すみません。聞いてません」


 やっと顔を上げた悠木玲奈に、加納勇助は思わず苦笑いを浮かべた。


「いきなり逃げてったけど、この後どうする? 追いかける?」


「あの…!」


 そのとき悠木玲奈が、意を決したように、真剣な眼差しを向ける。


以前まえにもこんな事、ありませんでしたか?」


「……え⁉︎」


「だから勇くんが私に声を掛けて、私が逃げ出すみたいなこと」


「さ、さあ? 俺には覚えがないけど?」


「絶対にあった筈です。その時も私、今日みたいに袋一杯の納豆を持ってて…」


「おいおい。まさか俺にも、偽者がいるなんて言い出すんじゃないだろうな?」


 加納勇助は、若干呆れたように呟いた。


「それでその後、痴漢に襲われたんです」


「…え、痴漢⁉︎」


「あ、大丈夫です。その時はちゃんと、自力で逃げ出せ…」


「何処だ!!」


 その瞬間、加納勇助が大きな声を張り上げた。その表情には鬼気迫るものが浮かんでいる。


「え⁉︎」


「だから、何処で襲われた?」


「え、あの…よく覚えてません。だけど、ここから逃げて直ぐだったと…」


「アッチか!」


「あ、だからそれはその時の事で…って、聞こえてないか」


 走り始めた加納勇助には、もはや悠木玲奈の声が届く筈もなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る