第56話 夢から覚めたら
まるで寝起きの様な表情で「あ、レディ様ぁ」と俺の両肩に手を置き、それをするりするりと俺の首や背中に伸ばして、抱き着き寄り添ってきた。そんな彼女はとろりとした表情と同様、どこか甘い匂いがしている気がする。だが蜃気楼が晴れたのに、まだエレンは夢の中なのか? 俺を抱きしめ、首筋の匂いを嗅いでいるエレンは「んふふふ。しゅきぃ」と酔っ払いの様にさらに俺の胸に体を押し付け、絡んできた。ほんの少しだがむにゅりと柔らかい感覚が、俺の胸板に伝わってくる。
「おい、起きろって」
「もぉ、さっきまであんなに寝かせてくれなかったのにいいいいい!」
「目が覚めましたか?」
メイドがエレンの背後に立ち、エレンの両こめかみに拳を当てて、ドリルの様に回転させている。そんなとびっきりの目覚まし時計代わりの一撃を前に、文字通り夢心地のエレンは天国から地獄へ落ちた気分を味わい、現実へと起床させられた。頭痛を感じているように彼女は頭を両手で抑えながら、「あれ、え、はにゃ? 新婚旅行は?」とまだ寝ぼけていた様な事を言っていた。そんな彼女にメイドは再び拳を作り、見せつけた。それを受けて「ひあ、もう起きてます!」とエレンは怯えて立ち上がった。するとメイドがエレンに「カグヤを起こしなさい」と指示し、今度は彼が俺の腕をひっぱり、彼女と距離をとらせよした。だがそんなメイドにエレンが恨みがましい様子で、「さっきまであんなに祝福してくれたじゃないですかあ」とぼそりと文句を言ったため、彼はエレンにに
こりと微笑み、「まだねぼすけの様ですね」と本日二度目の目覚まし攻撃を彼女に食らわせている。哀れなり。エレン。メイドの耳は地獄耳だ。舐めてはいけない。
「だから嫌だったのです」
ネズミの耳の様に頭にコブを二つ作り、涙目でカグヤを起こしに行くエレンを俺たちは見送り、一方メイドはため息を漏らしていた。その様子に、先ほど見せた辛そうな表情の理由を何となく察した気がする。ああ、なんだ、すまない。俺は心の中で彼に謝罪すると、彼はジトっとした表情でこちらを睨み、「わかっているなら、少しは控えてください」と苦言を呈していた。
俺たちはカグヤを起こしているエレンを置いて、オロチを探していた。するとオロチはいつの間にか膝立ちでしゃがみながら、おそらく長女のヒドラの顔をじっとのぞき込んでいた。
「姉さま、死んだの?」
「いや、生きているはず。なあ、メイド」
「ええ。オロチ。幸か不幸か、あなたの姉たちは生存しています」
メイドはヒドラの傍の地面に突き刺さっていた、赤い刀身の刀を地面から抜いて、一振りした。何もない空間を切り裂いたはずの刀は破裂音を響かせて刀身に付着した泥汚れを振り落としていく。綺麗になった剥き身な刀を見て、「収納しておいてください」と俺に手渡してきた。俺もそれを収納すると、アイテム欄に『国宝 トツカノツルギ』と表示された。
「へえ、変な名前」
「使用者がアレでしたが、これも国宝です。ところでオロチ、これから貴女の」
メイドがじっと姉であるヒドラを見て姿勢を崩さないオロチを見て、言葉を詰まらせた。俺もオロチの方を見ると、彼女のよだれを垂らす口元に目が奪われた。オロチはまるで丸焼きにされた豚やご馳走を前に我慢をしている子供の様に、丸い目を大きく開き、よだれを垂らして「ヒドラ姉さま……すごく」と言葉を漏らしていた。
「おろ、ち?」
困惑しながら俺は彼女の肩に手を置き、少しだけ注意しながら問いかけてみた。すると彼女ははっとしたように立ち上がり、口元を和服の袖で拭った。背後から何か叫び声が聞こえるが、今の俺はオロチの方が気になっていた。
「あ、あはは。何?」
「何って……お前。今」
オロチは俺の問いかけを避けるように背を向けて、「カグヤ様も起きたみたい」とエレンと共にこちらに向かってくる女性たちを見て大きく手を振っている。メイドの肩を借りずに少し疲れた様子でこちらに歩いてきたカグヤに声をかけると、カグヤが謝罪をしてきた。
「目が覚めたか」
「ああ。すまぬ。迷惑をかけた」
「迷惑?」
何が迷惑なんだろうとカグヤを見ると、カグヤは申し訳なさそうにエレンの首元に視線を移した。エレンの首元には先ほどあっただろうか、赤い虫刺されの様なものが出来ていた。その視線に気が付いたエレンは恥ずかしそうに自分の細い首元を手で隠し、「見、見ないでください」と潤む瞳で恥ずかしそうにこちらを見ている。
「いやはや、甘い牝牛の乳を飲んでいたと思ったのじゃが」
「じゃが、じゃ、ありません!」
傍から見れば仲良しコントの様に息があったようなエレンとカグヤを見ていると、オロチがひんやりとした小さな手で俺の手を握り、「これからどうするの?」と質問してきた。
「城か、一度、我が家へ戻りたい」
カグヤが第一に意見を述べ、エレンは「これで敵がいなくなったんですし、家に戻っては?」とカグヤの意見に賛成している。だがこの戦いの立役者のメイドがボロボロの和装を身にまとった蛇蝎を連れてこちらにやってきた。
「あれ、蛇蝎どこにいたの?」
「がれきの下です。全く。手ばかりかけさせる」
苦言を呈するメイドに平謝りをする蛇蝎は、胸元やひざ、腹部などが破けたある種の扇情的な服装で必死にメイドに謝罪を続けている。そんな中メイドが舌打ちをし、「ヒドラを連れてきなさい」と蛇蝎に言うと、彼女ははだしで今だ幻想を見ているヒドラを起こすために姉の下へ走っていった。
「あいつ、なんで人型に?」
「楽でしょう。運ぶの」
「ああ、そう言う事ね」
俺はラプター王やダグダ王も収監されていた、立派な鉄でできた鉄格子上の大きなゲージを二つ作った。それを見た蛇蝎や、目を覚ましたヒドラが「ひっ」と嫌いな物を見たように悲鳴を上げた。ヒドラに至っては妹たちを置いて蛇に変化して逃げようとした。だが変化は起きず、数歩走ろうと歩いて、動きを止めた。
「貴女は大切なコマなんです。何のために生かしたと思っているんですか」
メイドが逃げようと背を向けたヒドラに数歩歩み寄り、「その姿、元飼い主もさぞ喜ぶでしょう。もう水槽はいらないのだから」と笑った。
ヒドラはその言葉の意味を理解したのか、現実を理解したくないかのように膝から地面に崩れ落ちて俯いている。
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