第53話 苛立つメイド。女帝ヒドラ登場
「あらあら、平伏しないなんてずいぶん偉くなったものね」
ヒドラと呼ばれた女性は、その言葉を呟いた青年に笑みを浮かべ、その細い目をうっすらと開いた。サファイアの様な青い瞳が青年を捕らえると、その瞳が怪しく輝いた。すると「あ、あ……」と青年は声にならない声をあげて、体を灰色の石に変えられてしまった。その光景を前に、我先にと逃げ出そうと厨房の方へ這って逃げる町民や、テーブルの下に隠れる者、平伏して謝罪を繰り返す者、様々な様相の町民たちを前に、皇帝と呼ばれた女性、ヒドラは、まんざらでもないといった様子で笑っている。
「その方々ですわね。愚図な妹がお世話になりました」
女性の言葉や視線の先は俺ではなく、隣に座るオロチの方に向けられている。オロチはそんな作り笑いを浮かべる姉を見て、「ど、どうしてここに」と震えた声でやっとの思いで質問を投げた。それに対し手で口元を隠して姉と名乗る女性は笑い、「やっぱり愚図ね」とオロチを切り捨てるような評価を漏らした。
「街一つ治められない愚図な妹の次は、まるで理解力のかけらもない愚図な妹。お姉ちゃん困っちゃう」
手に持っていた蛇蝎の頭部を床に落とし、困ったように腕を組んだり、頬杖をついたりする女性は、土づくりの床に落とされて「ぐえっ」と悲鳴をあげる蛇蝎の頭を、まるで吸殻の火を消すようにぐりぐり踏みつけていた。
「そ、そんな、オロチはともかく、わっちは、わっちは」
「黙りなさい! 蛇蝎! アンタは力は無くても、実行力だけは買ってやったのに、なんて様なの! 無様、無様この上ないわ!」
「ご、ごめんなさい。ヒドラ姉さま」
「お黙り!」
何度も何度も踏みつけられた蛇蝎はボロボロになりながらも、その害虫じみた生命力が災いし、死ぬことすら許されない。ただ無様に涙を流して、名義上の主である俺にではなく、実姉であろうヒドラに謝罪を続けている。するとヒドラは顔を赤く腫らして口や頬から血を流している妹の蛇蝎の頭を拾い、まるで赤子をあやす様に、ぎゅっと胸に抱き寄せた。彼女はそのまま派手な外装に似つかわしくない、まるで慈悲深いシスターの様に、「反省した?」と蛇蝎に話しかけた。ボロボロの蛇蝎だが、うんうんと首を縦に振り、首からまた蛇の胴体やサソリの下半身を生やしている。
「ヒドラ!」
その様子にカグヤが立ち上がり、座っていた木製の椅子を持ち上げ、ヒドラめがけて投げつけた。だがヒドラはカグヤの投げる椅子を、まるでケーキの蝋燭を消すようにフッと息を吐きかけた。するとその椅子が石になり、彼女の目の前でごとりと音を立てて地面に落ちていく。続いてカグヤは皿や武器になりそうなものを手当たり次第に投げるも、今度はそれらを復活中の蛇蝎を盾にして難なく防いでいる。
「カグヤちゃん、乱暴なのは良いけど、いい加減私と交わりなさいよ」
「断る! はぁ、はぁ、蛇と交わる趣味は無い!」
「蛇じゃなくて、竜よ。この国の守り神。それに私も用があるのは夜のカグヤちゃんだけなんだけどね」
ヒドラは次々に投げられる皿や椅子を軽々と蛇蝎を盾にして防いで、「乱暴ねえ」と笑っている。そうこうしているうちに、持ち前の回復力を活かした蛇蝎が、首から下の体を再生させた。以前より一回りほど体格が小さいが、復活した蛇蝎の蛇の体にサソリの下半身。
「こ、これで戦えるわ」
「そう、なら早くしなさい。お姉ちゃん、暇じゃないの」
蛇蝎のサソリの尻を蹴ったヒドラは、苛立つように蛇蝎に指揮している。姉の機嫌を損ねるのは嫌だと言わんばかりに、蛇蝎は「は、はい!」と意気込み、尻の毒針から毒液を垂らし、以前より小さな両手のはさみをカチャカチャと鳴らし、自身の背後に立つ姉めがけて鞭の様に毒針の尻尾を振り、その勢いで体を方向転換させて、ハサミでヒドラに襲い掛かった。
「あらぁ?」
「ち、違うの、違うのよ、姉さま」
ハサミや毒針の鞭をヒドラは歴戦の武道家の様に、軽々と両手でいなしては捌いている。だが妹の言葉とは裏腹な明確な殺意を持った攻撃に、「厄介な人間がいるわねえ」とエレンや俺、メイドの方を見て、その犯人を探している。事実、蛇蝎は奴隷のピアスのせいで、俺たちに危害を加えることが出来ない。さらに俺たちに対するリスクを排除しようと、体が勝手に動いているのだ。そんな妹の状況など知らない姉のヒドラは、蛇蝎の両腕を折って、さらにサソリの下半身の足たちをもぎ取っていく。そして蛇の様に手足が無くなった蛇蝎を、いともたやすく行動不能に追いやっていく。そのたび響かせる悲鳴に、エレンやオヤマは思わず耳を塞いでしまう。
「死にたくない者は下がっていなさい」
そんな光景を前に、メイドが自分が主犯だと言うように、ヒドラの方へ一歩前へ出た。
「し、死んじゃうよ」
オロチがメイドの方に心配そうに声をかけているが、俺はオロチの肩にそっと手を置き、「大丈夫」と彼女に声をかけた。でもオロチは「ヒドラ姉さんは、とても強いの」と俺の言葉を信じてくれない。だがそのオロチやメイドの言葉を聞いた町民たちが、裏口や厨房の方へ逃げていく。
まあテーブル下に逃げたやつはメイドに「邪魔だ」と蹴られ、裏口の方に必死に逃げていったが。そんな彼らをヒドラは追う様な真似はせずに、「楽しみですわ」と余裕を見せている。
「メイド様、もしかして」
エレンの問いかけに俺は首を横に振り、「多分違う」と答えた。一緒にいる期間が長いせいか、メイドの攻撃的になるパターンはある程度把握できている。それは俺たち人間と同じく、ストレスを発散したい時だ。
例えば、いや、恥ずかしいが俺が女性陣に優しくしたりすると、どうやらメイドのストレスゲージは加速度的に上昇するらしい。だから正義感と言うより、不愉快な心情を一刻も早く消したいといった、個人的思慮だろう。
事実メイドは周囲の人間たちに、店を壊すかもしれないと一言も告げていない。俺はメイドに「武器は?」と問いかけてみる。すると「ライフルと大蛤」と答えたので、俺は彼にそれらをアイテム欄から取り出して渡すだけ。無駄な詮索はしない。
メイドは片手に連発式のライフル。もう片手には宝刀、大蛤。それらを片手で軽々と扱い、ますはあいさつ代わりにと、ヒドラの額を狙ってライフルを数発発砲した。
サイレンサーのついていないライフルは弾詰まりを起こすことなく、バンバンバンッと音を響かせ、発砲をつづけた。しかしヒドラ狙いだったが、撃たれたのは盾にされた蛇蝎だ。ヒドラに盾にされて背中に弾をめり込ませ、呻いている蛇蝎。その悲惨な彼女の姿を見ても、メイドは全く動じずにその後も何発か発砲をつづけたが、市販のライフルの模造品では、蛇蝎の体を貫通することは不可能だった。結局、蛇蝎の背中に数発の弾丸がめり込むだけに終わってしまう。
「酷いことするわ」
盾にされた蛇蝎を見ながら、ヒドラは他人事のように独り言をつぶやいた。
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