第50話 偶然救われた命


「あー、飯屋?だよね」

 俺とメイドが蛇蝎の背から降りて、店主に声をかけた。すると驚いたままの店主に蛇蝎が「愚図愚図するな!」と怒鳴られ、彼は慌てて「はい! 蛇蝎様ご愛用の、飯屋でございます!」と元気よく俺たちを店内に案内した。

「だってさ。エレンもカグヤも来いよ。オロチも!」

「お、オロチ様!?」

 店主が俺たちの背後に隠れていたオロチを見て、目を丸くして驚いている。だが蛇蝎の睨みが効いたのか、彼は逃げ去るように店の奥へ入り、俺たちはほぼ貸し切りの店内の適当なテーブル席に腰を下ろした。メニュー表が無いのが気になったが、オロチが店の壁に掛けられた大きな板を指さし、「献立はあそこ」と俺たちに教えてくれた。見れば二枚あり、片方は『精進料理』と書かれている。もう片方は、『魚類』か。

「この国では獣は食べぬゆえ、食べ物は魚を使わない精進料理と、それ以外の言わば何でもありな魚類料理があるのじゃ。のう、店主」

「へ、へえ。カグヤ様。その通りでして」

 男前だが腰の低い店主が、恭しく俺たちに湯飲みに入った暖かい緑茶を差し出してきた。

「カグヤの事を知っているのか?」

「へ、へい! この国では有名で……って、貴方様もよく見ればその頭部にか、輝くお耳は」

 店主は俺とカグヤの獣耳を交互に見ながら、驚き言葉を失って固まってしまった。だがオロチはそんな店主に、「彼らがこの国の本当の神様」と茶をすすりながら、口にした。その禁句ともいえる言葉に店主は我に返り、「お、オロチ様、そのような言葉、い、いけません! 蛇蝎様の御前で」と背筋が凍ったような表情で彼女に対し訂正を求めていた。だがオロチはお茶をすすり、「大丈夫……姉さまは、もう、この街の支配者じゃないよ」と店主にあどけない笑顔を見せている。その言葉の真意が理解できない店主に、メイドが「見ればわかります」と蛇蝎の前に彼を連れて行く。その後を俺は追い、店の外で警備員の様に不満そうな表情で立っている蛇蝎の正面に立った。するとメイドは「彼女はもう奴隷同然です」と指をさした。

「ど、奴隷って、いけません! 蛇蝎様を怒らせたら、ひぃぃ」

 顔を両手で覆ってしゃがんでしまう怯える店主に、メイドがあきれた様子でため息を吐いた。

「何もしませんよ。いや、出来ないといった方が正しいでしょう」

「へ、へえ……」

 まだ顔を両腕で覆いながら、その隙間から蛇蝎の顔を見上げる店主は、歯痒そうな蛇蝎の表情と、一切乱暴狼藉を働かない彼女を見て、両腕をだらりと降ろし、目を丸くして口をぽかんと開けている。

「こ、こりゃ一体……」

「彼女は私たちの、いや、レディの乗り物として生きることにしたのです」

 勝手に蛇蝎を俺の乗り物扱いにするメイドに、「こんな乗り心地が悪いのは嫌だ。あいつの方が乗りやすい」と、俺は割と背中がクッションの様に柔らかいオオグモを指さした。すると気のせいか、オオグモが少し自信に満ちた表情で、その複眼で蛇蝎を見下したような気がした。その様子に「ほ、本当ですかい?」と店主が蛇蝎に問いかけると、彼女は悔しそうに「の、乗り心地が悪くて、申し訳、ありません。れ、レディ様」と俺たちに謝罪をした。

「て、てことはあっしらは……もう年貢を」

「税金、上納金のことでしたら、私たちは知りません。ただ言えるのは、貴方たちはこの女から解放されたという事です。もちろん、彼女に従うというならば、この国の兵士、侍でしたっけ? 彼らの様に素材となり、新たな躯として私たちに仕えることになりますが」

 メイドの言葉に、「ああ、……もう、私は花魁、蛇蝎大夫じゃ、ない……ただの、ただの、レディ様たちの乗り物、で、ござんす」悔しそうに言葉を吐く蛇蝎を前に、店主が俯き、背中を震わせていた。なんだ、やる気か? 店内にいるエレンたちの事を気にかけながら、俺は店主の一挙手一投足に注目した。だがかれは両拳を高らかに上げて、「や、やったぁ!」と声高に叫んだ。

 その言葉は他の店にも伝わったらしく、暖簾だけ掲げた同じような建物から何事かと、店主と似たような髪形の男性たちが顔を出してこちらを見ていた。そんな彼らに店主は、「蛇蝎様、いや、蛇蝎が討たれた! 俺たちは、俺たちは家に帰れる!」と町民たちに声高に叫び続けている。その言葉に町民たちは耳を疑い、その店主の傍にいる、まだ生者の蛇蝎の方に視線を向けている。彼女の本気モードである、化け物のような姿の蛇蝎を前に、町民たちは彼が狂人になったとしか思えなかった。はぁ……、俺は彼らの注目を集めるよりも、やらなければならないことがある。だから蛇蝎に目配せし、「ほら」と声をかけた。

「は、はい。わ、わっちこと、蛇蝎、は……、太夫を止め、レディ、様の、名のもとに、この街を、解体、いたし、ます……」

 よほど言いたくないのだろう。終始不満を漏らしたような口調の蛇蝎が、町民たちに街の解体宣言をして、頭を深々と彼らに下げた。その様子に下は子供、上は壮齢な男だけの町民たちが、互いの頬をつねったりして「夢じゃないのか?」と確認しあっている。だが全員が全員痛みを感じたためか、これが現実だと分かり、先ほどの騒乱を、「げ、下剋上?が行われたのか?」と口々に雑談を始めてしまう。収拾が付かなくなりかけた町民たちの会話にストップをかけたのは、他でもない蛇蝎の妹、オロチだった。

「彼らの話は本当です。姉、蛇蝎は彼らの下に下りました。いままでごめんなさい。もうお家に帰っても、大丈夫です。本当にごめんなさい」と子供ながらに必死に声を張り、町民たちに謝罪した。中には血気盛んな町民が復讐をするように、オロチめがけて石を投げつけてきた。だがオロチの緑髪も特別なのか、毛先が束になり、複数の蛇顔へと変わっていった。それらが投げられてきた石をかみ砕き、威嚇するようにシャァ、シャアと鳴いている。

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