第34話 諸君!今日という日を忘れるな!
「所詮あなたたちは、偶々助かっただけの存在」
メイドは彼女を冷たく突き放すように、剣を強く握っている。だが彼女も負けていない。
「はい。感謝しております」
真っすぐな視線と声のトーンで、エレンはメイドの問答に感謝を捧げる。喉の表皮が切られたことで血を流し、白い服にぽたぽたと血のシミを作り出していく。はらはらとしたような彼女の父母や、ダグラスたち。だがエレンはひるむことなく、「貴方達に見捨てられて殺されるなら、本望です。どうか私の死後は、彼女を貴方方の奴隷としてご活用ください」と傍に立つ偽のエレンを横目に見て、彼女はひるむことなく剣の刃を握り、覚悟を決めたようにその刃を喉深く突き刺そうとした。
「待て!」
俺は叫び方くらいの高さまで両手を上げて、降参のポーズをとった。
「甘すぎる。彼女の言う通り、偽のエレンがいれば十分でしょう」
剣先についた赤い血を眺めながら、レディが不満そうに言葉を漏らした。だが俺は、ため息をつきつつ「顔見知りの死体は見たくない」と彼に言い返した。だが彼も負けじと、「顔見知りのコンドルは殺したではないですか」と一歩も引かない。いやいや、コンドルは客。エレンも、……客か。
「確かにな……」
俺は両腕を組み、彼女の顔を見た。やはり恐怖はあったのか、メイドが刃を引くと彼女は荒れた呼吸で震えたように手のひらから流れる血を見ている。スキルで直す暇は無いらしい。
「おい」
俺は偽のエレンに声をかけ、本体を治すよう指示を出した。すると偽のエレンの手のひらや喉からも、赤い血が流れている。そうだった、連動しているんだった。そう考えると、本体が一人いたほうが連絡用に便利かもしれない。
ダグラスとエレンか。どちらにしよう。アイテム収集としてはダグラスの方が便利だが、回復は何かと便利だよな。俺はエレンに、治せないものがあるのか聞いてみた。すると彼女はまるで面接を受けている求職者の様に、「死人以外なら治せます! あと浄水もできます! ハーブや自然関係の探索も得意です」と自己アピールをしてきた。そうか、なら……。
「何を馬鹿なことを考えているのですか! それらも全て、スキルで出せるでしょう!」
まあな。そうなんだよな。まあでもいいか。
「わかった。エレン、ついてこい」
俺の言葉に満開の花を咲かせるように、彼女は笑顔を浮かべている。それに引き換え、頭を悩ますようにメイドが「正気ですか?」と俺に問いかけてきた。正気だが、やはり不味いだろうか。
「不味いに決まっています」
即答されてしまった。だが俺も、考えがある。
「この世界にいる間だけ、一緒にいてもらう」
俺の言葉に、今度はエレンがきょとんとしたように「この世界?」と小首をかしげている。そうだ。この世界だ。
「俺たちは旅人だ。だから、いずれこの世界から去ることになるかもしれない。だがこの世界で旅をし続ける限り、エレン、一緒に来てもらおう」
エレンからしたらこの世界しか知らないのだから、意味を把握できていないのかもしれない。だが都合よく考えているのか、「ありがとうございます。ご一緒させていただきます」と俺に頭を下げ、「父様、母様、ありがとうございます。そして、エレンも」彼女は偽のエレンにこの地を任せるというように、握手をしている。
「これからよろしくお願いします」と笑顔でこちらを見ている彼女に対し、俺もよろしくなと手を差し伸べる。そういえば、彼女は握手に拘りがあったはずだが、どういう意味なのだろう。エレンに聞いてみると、「婚前の挨拶ですわ」と笑顔を見せてきた。その言葉に、「幼稚な」と吐き捨てる様にメイドがぼやいた。
「エルフは基本的に心を開かない人種なんです。だから、そんなエルフが自分から握手をしたいと思う相手は、友愛の対象となるのです」
「なんだ、友情か」
「違います!」
エレンの柔らかな手が強く俺の手を握ってきた。俺の片手を愛おしそうに両手で包むように握る彼女は、「レディ様に対する私の気持ちは、愛ですわ」と俺の唇に唇を重ねてきた。柔らかい唇がほんの少し俺の唇と触れ合った。だがそれはほんの数秒もない、一瞬だ。メイドが身の危険を感じたように、俺のパーカーのフードを引っ張ったのだ。
「ああん」
エレンの惜しむ様な声を聴き、嫌悪感を丸出しにしたメイドが「だから言ったでしょう」と俺を抱きかかえ、しかりつける様に言葉を漏らした。だがエレンは「レディ様」と俺たちに抱きよるように近づいてくる。すると急に、俺たちの体を光が包まれていく。
「何事だ!」
フィンが折れた十字槍を手槍の様に片手で構えながら、四周を警戒している。ダグラスも同様で、なんだなんだと驚いている。
「どうやら、連れていくのは無理なようですね」
身体が宝物庫の宝たちの様に輝いていくメイドは、勝ち誇ったようにエレンに言葉を吐いた。なんだ、これ。俺も自分の手を見てみると、彼と同様に黄金に体が輝いていた。体が軽くなっていく。驚くエレンは俺たちに近寄ろうとして、見えない壁に阻まれてしまう。
「お別れの時間のようです」
「君たちは、一体……」
ダグダ王が驚きつつも杖をつきながら、一歩前に出てきた。そんな彼に俺は、「うーん、旅人?」といつも通りの回答をしてあげた。だってそれ以上でも、それ以下でもない。だが悪く言えば、略奪者かもしれない。そう思っていると、メイドが「手切れ賃代わりにあれを返してあげては?」とご機嫌に俺に斧を返すようアドバイスヲ送ってきた。
まあ、確かに別に一度見たから要らないが。俺はアイテム欄から斧を取り出し、ダグラスに手渡した。彼は「いいのか?」と問いかけてきたので、俺は素材を一つ取り出し、「レディメイド」と唱えた。そして現れたこの世に二つとない宝斧を彼に見せつける。そしてもう一つ、エメラルドグリーンに輝く弓を持つ男の彫像をメイドに持たせた。
「おお……まさしくそれは、エルフの」
感嘆の声を上げる様に、ダグダ王がその二つの秘宝を見て言葉を漏らした。
「貴殿らは……神か?」
またその言葉か。やれやれ。俺は少し悪ふざけを込めて、演技ぶった様子で声を上げた。
「諸君! 今日という日を忘れるな! 貴様らが大事に秘めていた数々の宝、確かに頂いた!」
体が軽くなっていく。エレンが俺たちを見て、「待って‼」と叫んでいる。だから俺は、続けて叫んだ。その光景に、ダグダ王は餌を待つ池の魚の様に、驚き口をパクパクと動かして腰を抜かしている。
「まだ見ぬ宝を求めて、遥か彼方が、俺たちを待っている!」
宝ならとエレンが背後にある金銀財宝を手に取り、重そうな足取りでふらふらと俺たちに歩み寄り、捧げる様に掲げてきた。確かに魅力的だ。娘に倣うように、彼女の父母や偽エレンも慌てて財宝を俺たちに掲げている。
だが、もうそいつらに興味は無い。俺はそれを手で払いのけ、床に散らばらせた。ああ、と叫ぶ涙目のエレンに対し、俺はアルコールにおぼれる様にどんどん軽くなる身体に気分を良くして、高らかに言葉を吐き出した。
「俺たちにとって大切な事は一つ。何を捧げられるかだ。手あかのついた宝なんて、お呼びじゃない」
なあ、メイド。俺は背後に無言で立っている彼の方を振り向き、同意を求めた。彼は静寂な従者の様に静かにこくりと首を頷き、同意した。
「そろそろお別れの時間のようだ! 悔しがることは無い。貴様らの人生は救われた! 俺たちによって‼ 諸君!俺たちの名を忘れるな!」
あと少しで最後の口上を述べられそうだったのに、次の瞬間俺たちは雲の上にいた。
「レディ、あれ?」
ギャラリーのいない劇場に、俺は肩透かしを食らったように、キョロキョロと周囲を見渡した。すると数度左右に首を振っていると、突然目の前に、厳かな椅子に座る赤いドレスの見慣れた女神が鎮座していた。
「メルクリウス!」
彼女の名前を俺が叫ぶと、彼女はまるで金を恵んでもらおうとするスラムのガキの様に、笑顔で白蛇のような細くしなやかな腕を伸ばしてきた。その手を見て俺は、あの世界にシャンプーを忘れたことをなぜか思い出していた。
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