第31話 にゅるにゅるバスタイム~絡みつく蛇たち~


「メイド?」

 彼の腹を触っている俺の問いかけに、彼は「くっ、ふっ、お戯れを」と背筋をびくりと跳ねさせた。ん? 俺は好奇心で彼のへそ付近の腹筋を縦に割るような筋を、指でなぞるように触れてみた。すると今度はくすぐったさを我慢するように唇をかみ、吐息を漏らしている。

「へえ、苦手なものあるんだな」

 意外だなと思いつつ感想を漏らすと、「う、うるさい」と彼は羞恥を感じているような顔で俺を睨んできた。なんだろう。全然怖くない。だがやりすぎもよくないか。やり返されては困る。俺は彼の体を調べるのをやめ、浴場へ向かうために扉を開いた。むわっとした熱気が、俺たちを優しく出迎えてくれる。

「あ……」

「ん? どうした?」

 彼の方を振り向くと、彼は赤面した顔をごまかすように咳ばらいをし、いつもの無感情のような表情に戻った。そして、「いえ、気になさらずに。いつもの様に」と声をかけてきた。これ以上みるなと言う圧も感じたため、俺は改めて風呂場を一望した。そして真っ先に、風呂場の中心にある、脱衣所の板の間よりも広い円形の浴槽に目を奪われた。

 床をくり抜いたような湯船にはオレンジのような果実がいくつも浮かんでおり、柑橘の匂いが立ち込めている。思わずダイブしたくなる衝動に駆られた俺に、「レディ、まずは体を洗いましょう」と背後に立つメイドが浴槽の傍にある洗い場を指さした。

「あ、ああ。そうだな」

 彼に連れられ洗い場の方へ向かうと、木で出来た丸い椅子が複数置いてあった。シャワーはさすがに無いか。浴槽の近くにあった木で出来たバケツのような桶を複数使い、レディは洗体用の湯を用意をしていた。

「レディ、石鹸やシャンプーを用意できますか?」

「え、ここにあるやつで良くない?」

 無造作に洗い場の傍に置いてあった固形石鹸を指さすと、肌に合わないと困るとメイドは首を横に振った。

 そのため俺は、以前の世界で愛用していたポンプ式のボディーソープとコンディショナー入りのシャンプーをスキルで作り出すことになった。意外なところで消費してしまった。

「まあ頼むよ」

「ええ。オマカセアレ」

 彼は静かに返答し、丸椅子に座る俺の頭にゆっくりと桶から湯を注いでいく。俺はその間目をつぶり、わしゃわしゃと髪を彼に洗ってもらう。少し温めなお湯で髪の汚れを取った彼は、次いでシャンプーのついた手で俺の髪を手櫛をいれるように洗っていく。はあ、気持ちいい。なんだかいつもよりも気持ちいい気がする。まるで毛づくろいをしてもらっているような。そう思っていると、「痛くはありませんか?」と彼は問いかけてきた。

 以前は無言で風呂の世話をしてもらってたせいか、不思議な気分だ。俺は「大丈夫。気持ちいいよ」と返答し、彼は「お湯を注ぎます」と俺の頭に湯をかけて、シャンプーの泡を流していく。するともう一度シャンプーを手に取った彼は俺の頭を洗っていく。そうそう、これこれ。

 二度目の洗髪は一度目より泡立ちがよく、洗ってもらっていながらも髪がもこもこの泡だらけになっていくのが分かる。今度はじっくりと頭皮をマッサージするように、彼は指を立てて洗っている。その刺激が妙に優しく、なんだか眠くなってくる。思わず俺は彼に身を預ける様にもたれかかってしまった。

「レディ?」

「ああ、悪い。なんか気持ちよくてな」

「ふふっ、そうですか」

 メイドにもたれかかってしまった恥ずかしさで、俺は慌てて背筋を伸ばすように椅子に座りなおした。背後から聞こえるくすくすと笑う声のせいで、気恥ずかしさが倍増する。だがシャンプーのせいで目を開けられないため、ただ耐え忍ぶしかなかった。

「湯をかけますね」

 彼はそういって、ちょろちょろと花に水をやるように俺の頭にお湯をかけていく。すると「桶の湯がなくなりました。補充します」とぺたぺたと足音をたてて俺から離れていくのがわかった。水しぶきの音が数度聞こえてから、こちらに戻ってきた彼は、再度俺の頭に残る泡を湯で落としていく。

「シャンプーは終わりです。体を洗いますね」

 俺は彼の言葉を聞き、十字架にはりつけにされるように腕を上げた。背後からはボディーソープのポンプを何度も押す音が聞こえてくる。いつもよりも大量に使うんだな。二日ぶりだからか? そう思いながら腕を上げ続けていると、俺の脇あたりに蛇が這うように、にゅるりと滑らかな感触が伸びてきた。

「ん!?」

「こら、じっとして」

 その蛇の正体は、ボディーソープを塗りたくられたレディの細腕だった。いやいやいや!

「タオルで洗えよ」

「大丈夫です」

「大丈夫じゃないから。そう言おうとした矢先、彼はかぶせる様に「一石二鳥です」とおぶさるように俺の背にもたれかかり、背後からさし伸ばした細腕全体を使うように、俺のボディを洗い始めている。

「いつものじゃない!」

「いつものですよ」

 いや、いつもちゃんとタオルで洗ってただろ。離れろよ!と彼の体を引きはがそうとしたが、石鹸のぬめりで押し返せない。こいつ、体にまでボディーソープを塗りたくったのか!?

「時間やお湯の節約です。何、恥ずかしがらなくても大丈夫」

「そういう問題じゃないだろ。って、立ち上がらせるな! 足を絡めるな! それにお前、頭まだ洗ってないだろ!」

「先ほど洗いました。短いと便利ですね」

 濡れた金の短髪を俺の頬にくっつけるように頬ずりする彼は、「これで文句は無いですね」と俺に言ってきた。くそ、シャンプーの良い香りがしてくる。

 俺は体中に蛇やタコが這う様な感触を味わいながら、恥ずかしさと慣れない感覚に声を上げてしまう。

「お、おい。っ、あ!」

 すると彼は俺の足に自分の片足を絡めながら、耳元で「恥ずかしがらなくても、男同士じゃないですか」と囁いてきた。

 尻にあたる柔らかい感触に、ひっ、と俺の髪が猫の様にぶわっと逆立ったのが分かる。だが彼は「本物のネコのようですね。体毛は無いようですが」と笑い、俺の脇や指に自分の細い指たちを絡ませ、にゅるにゅると泡をたてて洗っていく。その手が下腹部の方へ伸びていき、俺のへそへと彼の指がつるりと落ちていく。

「ひっ!」

「なんだ、レディも弱いじゃないですか」

 つつつと俺の腹筋を指でなぞるレディの悪戯に、俺はこれが脱衣所の意趣返しだと理解した。だが理解しても、もう遅かった。結局なすすべなく彼に、剥きタマゴの様にピカピカに体の隅々まで洗われた俺は、疲れ果てたようにぐったりと洗い場に座り込み、彼の腕でお姫様抱っこの様に湯船へと運ばれてしまった。

「ううっ……」

「泣かないでください。泣きたいのはこちらです」

 いつの間にか髪が湯船につかないようにタオルを巻いているメイドが目に入った俺は、「タオルあんじゃん!」と立ち上がり、叫んでしまった。

 だが彼は素知らぬ顔で「ああ、ありましたね」とこちらを横目で見て、俺の文句を軽く流している。

 くそ、湯船に浮かぶ柑橘を一つ手に取って匂いを嗅ぎながら湯船にのんびりと浸かっている姿は、絵になるくらい綺麗だった。だれだこいつをこんなに綺麗な造形で作った奴は。

 悔しさで水しぶきを上げて湯船に口までつかりながら、俺はメイドに抗議の視線を送ってやった。だが彼は「レディもどうぞ」と俺に湯船に浮かぶ柑橘を手渡し、くすっと笑っている。俺はそれを乱暴に奪い取り、彼に背を向けて湯船につかることにした。

 くそ、もう二度とメイドはからかわない。柑橘の香りに癒されつつもそう心に決めた、ほろ苦いバスタイムになってしまった。また余談だが、柑橘も香りが良いだけで、かじってみたらめちゃくちゃ苦かった。


 

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