第16話

 松林というのは中学校の校舎と高校の体育館の間にある木立の通称だ。

 その名で言うほど松が茂っているわけではなく、数本の木が等間隔に植わっているだけ。

 高校側の体育館の壁には足下にある換気用の窓くらいしかないため、そちらからは見えないが、中学校の教室の窓からは普通に見渡せる。

 加えて、グラウンドからも松以外に視界を遮る物はない。

 一方で中学と高校の境という立地から人通りは少なかった。

 羽卯が呼び出しに応じる気になったのは、相手がおそらく女子だということと、万が一の場合には逃げるにも助けを求めるにも困らない場所だったからだ。


 校舎の昇降口を出て少し歩いたところにある体育館の正面入口の前を通過すると、その傍らに松林がある。

 一番奥、学校敷地と道路を隔てる壁に近い松の木の裏に人影が佇んでいるのが見えた。

 思った通り女子のようだが、長いストレートの黒髪と、何よりそのすらりとした長身には心当たりしかなかった。

志江しえさん?」

 羽卯はうが呟くと、背を向けていたその人物はこちらに向き直りながら木陰から姿を現した。


美鈴みすずでいいよ、羽卯ちゃん」


 ついさっきまで教室の羽卯の前の席に座っていた志江美鈴だった。

 授業が終了するとそそくさと荷物をまとめて出て行ったのは見ていたが、部活に行ったのだろうと思い気に留めていなかった。

 しかし、今この場にいるということは、そういうことで間違いないのだろう。

「私の机にこれを入れたのは美鈴?」

 手紙を掲げながら、言われたとおり名前呼びに変えて尋ねると美鈴は少し顔を綻ばせる。

「うん。急に呼び出してごめんね」

「手紙なんて面倒な呼び出し方しないで、普通に言ってくれればよかったのに」

 羽卯が警戒して無視する可能性は十分にあった。

 そのことを指摘すると、美鈴はゆるゆると首を振った。

「その時はその時で別の方法を考えるかな。羽卯ちゃんと2人だけで話がしたくてね」

れいやまとにも知られたくなかったってこと?」

「うん」

 頷く美鈴の声音がいつものようなのんびりしたものではなく、やや強張っていることに気がついた。

 見ればその顔にも緊張の色が浮かんでいる。


「それで話って? 告白しようってわけじゃないんでしょう?」

 まさかとは思いながらもやや冗談めかして尋ねてみる。

「うん……ある意味告白ではあるかな」

 美鈴の答えに羽卯は言葉を失った。

 だって、わからない。

 前の席であるにもかかわらず、羽卯からはまるで認識していなかったクラスメイト。

 玲を介して多少は話すようになったが、まだ友人と呼べる関係かも怪しい。

 実際、玲か和がいない場では、挨拶くらいはするものの2人だけで会話したことはない。

 そんな話になる流れなど何一つない。


「わたしね、玲ちゃんのことが好きなんだ」


「……え?」

 美鈴の予想外の言葉に、羽卯は間の抜けた声で聞き返すことしかできなかった。

「もちろん……恋愛という意味での、好きだよ」

「え、ええ」

 念押しするかのように美鈴が続けるが、羽卯は曖昧に頷くばかり。

 では何故、玲ではなく羽卯をここに呼び出したのだろうか?


「春休みに受験入学者向けの説明会があってね」

 美鈴は不意にそんなことを語り始めた。話の繋がりがよく見えない。

「入学手続き書類の提出だったり、学校生活についてのお話が先生からあったりしたの。それから制服の採寸とか教科書やら物品の購買会とかもあったな。買う物の中に聖書と賛美歌があったのがこの学校らしいよね」

 ほんの1か月ほどの前のことなのに、懐かしそうに目を細める。

「わたしね、第1志望の県立に落ちちゃって、それで西州さいしゅうに通うことになったんだよね」

 西州自体が競争率の高い人気校なのにそれを滑り止め扱いとは、さすが学年トップといったところだろうか。

「正直落ち込んでたんだけど、ちょっとは前向きにならなきゃと思って、説明会が終わった後に校内を見学することにしたんだ」


 そこで美鈴の視線がグラウンドのほうに向かう。

「そしたらグラウンドでサッカー部が練習してるのが見えて。しばらく眺めてたら1人の女の子が印象に残った。素人目に見ても上手だったけど、それよりも楽しそうにサッカーやってるのを見ていいなって思った。その時決めたんだ。春休みの間にサッカーのことを勉強して、女子サッカー部のマネージャーになった。その女の子、玲ちゃんと仲良くなりたかったから」

 どこか遠くを見つめるような美鈴の目には、きっと春休みに見たサッカー部の練習光景が、その中にいた1人の少女が映っているのだろう。


 やがて、美鈴は苦笑いを浮かべて言った。

「その時は先輩だと思ってたんだけどね。入学したら同じクラスにいてびっくりしちゃった」

「高校の先輩もほとんどは中学から上がった顔見知りだもの。春休みのうちから練習に入れてもらうんだって、そう言ってたわ」

 羽卯が言うと、美鈴はゆっくり頷いた。


「つまりそういうことなの。わたしはあの時から玲ちゃんに恋してる」


 心に秘めた想いを愛おしむように、そっと胸に手を当ててそう呟く。

 そんな大切な気持ちを、第三者の羽卯に伝える理由など、1つしか思いつかない。


「そ、そうなんだ。だったらその、私は応援……」

「しなくていいよ」

「っ……」

 しかし、躊躇いがちに切り出した羽卯の言葉は、あっさりと拒絶された。

 美鈴は少し困ったような笑みを浮かべて続ける。

「ごめんね、迷惑とかじゃないんだ。気持ちはとても嬉しい。でもそれはズルだから」

「ズル?」

 美鈴が何を言っているのかわからず、羽卯は先を促す。

「今の羽卯ちゃんをそんな約束で縛るのはフェアじゃないと思うんだ。そんなことをしたら、羽卯ちゃんもわたしもきっと後悔する。だから応援も協力もしなくていい」

 だとすれば、何を求められているのかますますわからない。

「だったら、どうして私にその話を?」

 素直にその困惑を表明する。


「景気づけ、かな。わたしは臆病だから。こうして言葉にしないと前に進めない。それにね、羽卯ちゃんにはこの気持ちを知っていて欲しかった。玲ちゃんの……その、大事な友達の羽卯ちゃんに」

 そう言って美鈴は、少しだけいたずらっぽく微笑んだ。

「だって、もしわたしの恋が叶ったら、玲ちゃんと羽卯ちゃんの関係もきっと変わる。友達なのは変わらないと思うけど、一緒に過ごす時間は少なくなると思うんだよね。そうなってくれないとわたしが寂しくなっちゃうから。だから、皮算用かもしれないけど、そのことは先にごめんねって」


 その光景を想像すると、少しだけ胸の奥がチクリと痛んだ。

 なるほど、玲と過ごす時間が減るのは羽卯にとっても寂しいことらしい。


「というわけで、志江美鈴の決意表明でした。わたしは玲ちゃんと恋人になれるように頑張る。そのことを羽卯ちゃんに知っておいて欲しかったの。それだけ」

 明るく宣言する美鈴だったが、その声音はどことなく空元気のように響いた。

「あ、このことは玲ちゃんと和ちゃんには内緒だからね」

「わかってるわよ。誰にも言わない」

 言えるわけがない、そう思ってしまったのはどういう心境か。

「うん、ありがとう。それじゃ、わたしは部活に行くね。少し遅れるとは言ってあるけど、そろそろ練習始まっちゃうし。また明日」

「ええ、また明日」

 そう挨拶を交わし、松林を出たところで美鈴と別れて帰途についた。

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夜明けの星が輝く空に 雲母橋 悠 @lepidolita_violeta

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