第14話

 羽卯はうとレーナが食事を進めていると訪問者を告げるチャイムが鳴った。

 レーナがすぐに席を立ってインターホンに歩いていく。

「あ、ちょっと、また勝手に出ない……」

「はいはーい」

 羽卯の制止など聞く素振りさえ見せずにレーナが応答する。


『ああ、レーナちゃん、おはよう。羽卯起きてる?』


 インターホンのスピーカーを通して聞こえてきたのは友人の桜賀おうがれいの声だった。

「おはようございます、玲さん。姉さまなら朝ご飯を召し上がっているところなのです」

『羽卯が朝ご飯? それは珍しいね』

 玲の声には明確な驚きが表れていた。

「そのようですね。ともかくお入りください」

 レーナはそう言ってインターホンの「解錠」ボタンを押した。それから羽卯を振り返り、尋ねる。

「よく迎えにいらっしゃるのですか?」

「そんなことないわ。……たぶん、昨日休んだからよ」

 羽卯のセリフの後半は少し声が小さくなっていた。


「姉さまは案外不真面目なのですね」

「あなたのせいでしょ!?」


 昨日の授業を全時限休むことになったのは、レーナがかけてきた嘘の電話で芽生の小学校に駆けつけていたためだった。

「そうは仰いますが、そもそもお休みするつもりだったから、電話をかけた時に家にいらっしゃったのではないのですか?」

「うっ……」

 羽卯はレーナに反論されて言葉に詰まった。

 確かに、前日のレーナとの口論が原因で不貞寝ふてねしていた羽卯は、電話の呼び出しがなくてもサボっていた可能性が高い。

 というか、玲からの電話には体調不良で休むと告げている。

 そんな羽卯を優しげに眺めながら、レーナはふっと微笑んで呟いた。

「姉さまはいいお友達をお持ちなのです」

「……腐れ縁みたいなものよ」

 なんだか気恥ずかしくてついそんな照れ隠しを言ってしまう。

 母の死のショックとそれに続く父への反発で荒れた中学時代を過ごし、その後遺症ですっかり人付き合いが苦手になってしまった羽卯にとって、玲はその頃から縁の続いている唯一の友人だった。


 そんな話をしているうちに玲がマンション内を上がってきて、玄関前のチャイムを鳴らした。立ち上がりかけた羽卯を手で制して、レーナが応対に出る。

 玄関でいくつか言葉のやり取りがあった後、レーナが玲を連れてリビングに戻ってきた。

「おはよう……って、ホントに羽卯が朝ご飯食べてる!」

 目を丸くして驚く玲の様子を見て、羽卯はむっと顔をしかめた。

「何よ。そこまで驚かなくてもいいでしょ」

「あははは、冗談だよ。でも珍しいのは確かじゃない?」

「起きた時にはレーナがとっくに作ってたのよ。食べなきゃもったいないでしょ」

 羽卯のつんけんした態度に苦笑いを浮かべつつ、玲がレーナを振り返った。

「レーナちゃんがいてくれて助かるよ。羽卯ってば昔から朝がダメでね。中学の時なんて育ち盛りなのに朝ご飯抜きだから、いっつもお昼前にはお腹ぐうぐう鳴らしてたもの」

「ちょっと! そんなことレーナの前で言うことないでしょ!?」

 羽卯が熟した鬼灯ほおずきのように真っ赤な顔で抗議の声を上げる。レーナは玲の横で大袈裟に肩をすくめてみせた。

「やっぱり羽卯姉さまを一人にしていると不安なのですよ」

 ニヤニヤと笑いを噛み殺しながらの言葉に、羽卯はレーナと玲の双方に恨みがましい視線を向け、すぐに嘆息した。


 玲は中学の頃からこうして何かにつけて世話を焼きたがる。

 それはおそらく、母の死で不安定になっていた羽卯を放っておけずに気にかけてくれた名残なのだろう。

 今でも母が亡くなったこの季節になると少し憂鬱になるけれど、こうして立ち直ることができたのは間違いなく玲のおかげで、そのことについては口には出さないが感謝している。

 だからこういうお節介もどこか嬉しくはあったりする。


「なんたって中学生の頃の羽卯は荒れてたからねー」

「ふむふむ」


「そこ! 人が感傷に浸ってる間に勝手に話進めてんじゃないわよ!」

 羽卯は一声叫んで和とレーナの会話を制止すると大慌てで残った朝食を片付け、席を立った。これ以上あの2人の会話を放置しておくと玲に何をばらされるかわかったものじゃない。

「だいたい、まだ授業までは時間あるでしょ。何だってこんなに早く来たのよ?」

 重ねた食器をキッチンのシンクに運びながら尋ねる。

「起こすのに時間がかかると思ったんだよ。外からチャイム鳴らすのと電話かけるくらいしかできることないし。ねえ、レーナちゃん、この子起こすの大変じゃなかった?」

 レーナに起こされたことを確信している口ぶりだが、事実だけに何も言い返せない。3年間の腐れ縁は伊達ではないということだ。

「そうなのです。朝ご飯まで用意して起こしに行ったのに怒鳴られたのですよ」

「悪いお姉ちゃんだねえ。こんなけなげで可愛い子をいじめるなんて。わあ、レーナちゃんの髪ってさらさらで気持ちいい」

 そう言いながら玲がレーナの頭を撫でる。レーナもまるで子猫のように気持ちよさそうに目を細めている。さすが悪魔と言うべきか、すっかり玲の心を掴んでしまったようだ。

「私が一方的に悪いみたいな言い方しないで。目覚ましかけてるんだから独りでも8時にはちゃんと起きてたし、そもそもレーナが無断で寝室に入ってきたのよ」

「それくらいいいじゃないの。レーナちゃんが男の子だったらいろいろと問題かもしれないけどさ」


「笑えない冗談ね。もしそうだったら今すぐ叩き出してるわ」


 羽卯の言葉が部屋の温度を下げる。その口調は少し強張っていた。

「ごめんごめん。失言だったね」

 玲がすぐさま申し訳なさそうに頭を下げた。

 羽卯の男嫌いを忘れていたわけではないのだろうが、玲は時々試すようにこういう発言をすることがある。

「こっちこそごめんなさい。ちょっと嫌なことを思い出しただけだから」

 羽卯はそう言ってレーナを軽く睨んだ。

 羽卯が思い出したのは、初対面の時に男に変身したレーナに擦り寄られたことだったのだが、それを玲に話すわけにはいかなかった。レーナ本人は自分の素性を知られてもまったく気にしないらしいが、羽卯としてはたとえ玲であっても知られたくないことではあった。

「すぐ支度してくるから、これ以上レーナにあることないこと喋るんじゃないわよ」

「はいはい」

 玲の生返事を背に受けながら羽卯は洗面所へと向かった。

 玲のことだから本当に言ってはいけないことをぺらぺら喋ったりはしないのだろうけれど、割とどうでもいいことの中にもあまりレーナに知られたくないことはたくさんある。


 数分後。


「では、行ってらっしゃいませ、羽卯姉さま」

「行ってくるわ。留守番よろしく」

 玄関まで見送りに出て手を振るレーナに、羽卯は「留守番」を強調して告げた。

「はい、お任せなのですよ」

 朗らかなレーナの微笑みが不安を誘うのは何故だろうか。

「……まあいいわ」

 羽卯は和と連れだって部屋を後にした。

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