第3章 姉妹

第8話

「お姉ちゃん」

 少女は羽卯をまっすぐ見つめてそう呼びかける。


「あなたにそう呼ばれる筋合いはないわ」

 それに対して、羽卯はうは冷たい声音でそう答えた。


 筋合いがないわけではなかった。

 訪ねてきた少女は須藤すとう芽生めい。羽卯の父の再婚相手の連れ子、平たく言えば義妹ということになる。だから芽生が羽卯を姉と呼ぶのは、少なくともレーナがそう呼ぶのよりは社会的に正しい。

「……ごめんなさい」

 それでも、芽生からは曇った声でそのように返ってくる。心底申し訳なさそうな謝罪の声がますます羽卯の苛立ちを募らせた。

 芽生は自分が何について謝っているのかわかっているのだろうか。 

「姉さま?」

 レーナが怪訝そうに羽卯を見上げる。その何気ない呼びかけに、芽生の肩がびくりと跳ねる。

「それで、こんな所に何しにきたの?」

 芽生に向かって尋ねる。自分でもぞっとするくらいに冷たくて低い声だった。

「……」

 芽生は何かを言いかけて、すぐに顔を俯けて黙り込んでしまった。

「入り口で立ち話も疲れますから、まずはおうちに入るのですよ」

 レーナが明るい声でそう提案する。

 どうして芽生を家に入れなければならないのかと反論しそうになったが、まっすぐ見つめてくるエメラルドグリーンの瞳は、悪魔というより天使のそれで、羽卯はそれ以上抗うことができなかった。

「……まあいいわ。ついて来るなら好きになさい」

 羽卯は芽生の顔を見ることなくそう呟いて、エントランスをくぐった。レーナと、そして芽生も後について来る。


「少し待ってなさい」

 羽卯は部屋の前で芽生に告げると、レーナだけを連れて部屋に入る。少し気持ちを落ち着ける時間が必要だった。

「羽卯姉さま」

「何?」

 リビングに向かう廊下の壁にもたれかかりながらレーナの呼びかけに応える。

「あの方は姉さまの妹さんなのですか?」

 ズキンとした痛みが胸の中に走る。何も知らないはずのレーナの問いかけが、羽卯を責めているように聞こえた。

「……義理のね。父の再婚相手の連れ子なの」

 間違ってはいないが、自分でも狡い返答だと思う。実際のところはそれだけの関係でもないとわかっているのだ。しかし、それを言ってしまうのは躊躇われた。

「ではもう少し優しくしてあげるといいのです。さっきのは少し冷たいのですよ」

 知ったようなことを言う。説教じみたレーナの発言に羽卯は皮肉な口調で返した。

「一人前の悪魔を目指している割にはずいぶんと人がいいのね」

「悪魔だから人の不幸を望んでいると思われては心外なのです」

 負けじと反論するレーナは羽卯が初めて見る真剣な表情で、思わず気圧されてしまった。そのせいだろう。苛立ちに任せて口が動いていた。

「ただの連れ子じゃないのよ。あの子は……」

 言わないつもりだった事実を口にしかけたところで、目を閉じて思いとどまる。

 溜息をひとつ吐き、レーナに玄関のドアを開けるよう促す。自分の手で芽生を迎え入れることは、できなかった。


 開いたドアの向こうで、芽生は明らかに戸惑っていた。

 さっき顔を合わせたとは言え、まだ正体もわからない外国人らしき少女が出迎えたのだ。

「いらっしゃいませ、どうぞお入りください」

 そんなことはお構いなしににこやかに挨拶をするレーナ。

「え、その……あ、おね……」

 もじもじと困惑顔を浮かべた芽生は外国人少女の後ろに姉の姿を見つけ、声をかけようとしたが、さっき言われたことを思い出したのだろう。途中で口をつぐんでしまった。

 羽卯はやれやれと溜息をついて玄関口まで歩み、レーナのプラチナブロンドの頭にわざとらしく気安げに手を置いて言った。

「この子はエレーヌっていうの」

 そして、冷ややかな笑みと共に付け加える。

「私の妹よ」

 羽卯の予想通り、芽生はびくっと肩を震わせた。

「あなただってもう5年生なんだし、どういう意味かわからないわけじゃないでしょう?」

 自分でも嫌になる言い草。羽卯はすぐに芽生から目を逸らして回れ右をした。

「上がるんだったら、勝手になさい。そこのスリッパでも使うといいわ」

 そう言い捨てて廊下をリビングへ戻り始めると、後をついて来たレーナが羽卯の袖をくいくいと引っ張ってきた。

「何よ?」

 小声で聞き返すと、不満そうな声が返ってきた。

「話が変わっているのです」

 ただの親戚のはずが妹になっていることを言いたいのだろう。

「いいじゃない。ちょっとした気まぐれよ」

「趣味が悪いのです」

「悪魔に言われたくはないわね」

 そう答えて玄関にもう一度視線を送ると、芽生は靴を脱いでスリッパに履き替えているところだった。羽卯が軽く波打つ栗色髪をわしわしと掻いてキッチンへ向かうと、遅れてリビングにやって来た芽生を、レーナがソファまで案内していた。


 羽卯が不機嫌な顔つきのままリビングのテーブルに三客のティーカップを並べている間に、レーナが緊張感のない暢気な口調で芽生に尋ねる。

「さて、よろしければお名前を教えてください。羽卯姉さまは意地悪だから紹介してくださらないのです」

 一応は客だからと気を遣ってお茶を用意してやればこの言い草。やけに暢気な口調もきっとわざとだ。今すぐエクソシストでも呼んでやりたい気分になる。連絡先、電話帳に載っているだろうか。

「須藤芽生といいます。えと、おね……羽卯さんの妹です、一応。あ、エレーヌさんも私のお姉さんになるんですよね」

「レーナとお呼びください。あと、さっきのは羽卯姉さまの質の悪い冗談なのです。本気にしてはいけないのですよ」

 と、レーナは羽卯の嘘をあっさりとばらしてしまう。

 自称堕天使のくせに人がいいんだから。そう思いながら羽卯が睨みつけるが、レーナはどこ吹く風で気にした様子もない。

「本当はただの親戚なのです。私の父さまと羽卯姉さまの母さまが従兄弟同士なのです」

 羽卯が作った設定はきっちり覚えていたらしい。

「そ、そうだったんですか。でも、外国人の親戚がいたなんて知りませんでした」

「私の祖母はフランス人なのよ」

「……」

 言外に「あなたは知らないだろうけれど」というニュアンスを滲ませながら口を挟むと、芽生は黙り込んでしまった。


 芽生が知らないのは当然だった。

 羽卯の母は仕事から車で帰る途中に事故を起こして亡くなった。羽卯が中学2年生の時のことだ。

 その後、母が父の浮気に心を痛めていたことが、見つかった日記からわかった。その心労が事故に繋がったのだろうと、羽卯と祖父母は思っている。加えて、父は母が亡くなって半年も経たないうちにその浮気相手、つまり芽生の母親と再婚した。

 それがきっかけで母の実家と父は完全に断絶状態となった。母方の祖父母とは羽卯だけがこっそりと連絡を取り続けるだけだった。

 だから、羽卯の母方の親戚関係を芽生が知らないのは当然なのだ。

「羽卯姉さま、あまりいじめては可哀想なのです」

 黙って芽生から顔を背けているとレーナにたしなめられてしまった。

 羽卯のくらい気持ちに気づいたのか、レーナは羽卯を心配そうな目で見ている。

 まったく本当に人がいい。これで悪魔を名乗るのだから笑ってしまう。

 何も知らない妹に冷たく当たって、これでは自分のほうがよほど人でなしではないか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る