第2章 サッカー少女の物想い
第5話
「おはよう、
始業前の教室、羽卯が教室の自席でぼんやりしていると、よく通るソプラノボイスが間近で響き渡った。
朝から随分とテンションが高い。
ゆっくりと顔を上げると昨日会ったばかりの少女が快活な笑みを浮かべて見下ろしていた。
「……おはよう。えっと、
「
「そ、そう……急にぐいぐい来るわね」
おかげで目が冴えてしまった。
「なにしろ顔すら覚えてもらえてなかったからね。これは意地でも記憶に刻み込んでやらないといけないと思って」
昨日は「可愛いから声をかけた」みたいなことを言っていたが、それにしたってこんな陰気な女に話しかけて楽しいことはあるまいに。
「……善処するわ」
気のない言葉で返すものの、さすがにここまでされれば忘れはしないだろう……たぶん。
「それでそれで、ラブレターは何通だった?」
どうやら挨拶ついでに投げてきた質問はまだ有効のようだった。
「貰ってないわよ!?」
どうしてゼロではない前提なのか。
「だいたい、うちの学校は土足なんだから靴箱なんてないでしょ」
和の通っていた中学校がどうだったかは知らないが、入学から2週間も経っているのだから今更知らないはずもない。
現に和は1人だけ上履きなどということもなく、普通に靴を履いて教室に立っている。
ローファーか、ちょっと意外だった。活発な見た目からスニーカーを好みそうな印象だが。
確か文芸部だと言っていたのを思い出す。
「そうなんだよね。この学校の少年少女はどうやって恋文を想い人に届けるんだろうね?」
どうやら靴箱云々は話の掴みに過ぎなかったらしい。
「さあ、机にでも入れるんじゃない?」
「ほほう」
和はニヤリと笑みを浮かべて羽卯の机を覗き込もうとする。
「だから何もないって。というか、こっそり人の机に手紙入れていくなんて怖くない?」
「そうかなあ。放課後、
芝居がかった仕草で両手を胸の前で組み、どこかを見上げながらうっとりと言葉を紡ぐ。
なるほど、文芸部か。
「ベタね」
「恋愛小説はベタなくらいが面白いんだって」
「なになに、何の話?」
羽卯が和と会話……というよりは和の話を聞いていると、そこに割り込んでくる声があった。
顔を向けると、
「おはよう、和ちゃん、羽卯ちゃん」
メトロノーム2目盛り分くらいゆっくりめのテンポに設定されていそうなおっとりした声が続く。
推定170センチの長身に黒髪のストレートロング。どこのファッションモデルかという容姿の美鈴は、玲が所属する女子サッカー部のマネージャーだ。
「おやおや、朝から仲がおよろしいですなあ」
並んで登校してきた2人を和がにまにまとした視線でからかう。
「和ちゃん、言い方がなんかいやらしいよ。朝練やってたからだからね!」
うっすらと顔を赤らめている美鈴はそう言いながら近寄ってきて、羽卯の前の机に鞄をすとんと置いた。
……前の席だったのか。
「顔を覚えないにも程があるよね」
呆れをたっぷり含んだ口調で玲が呟く。だから考えを読まないで。
「それで話を戻すとね、羽卯っちくらい可愛かったらラブレター貰い放題のモテモテでウハウハだろうなって話をしてたんだよ」
「それ本当に話戻ってきた?」
羽卯が記憶している会話と違う。もしかして途中から寝ていたのだろうか?
「確かに。羽卯ちゃんすごく可愛いもんね。初めて見た時はびっくりしちゃった」
のんびり口調で和に同意する美鈴だが、かく言う美鈴もなかなかのものだ。可愛いというよりは美人という形容が似合う大人びた容姿をしている。
「あー……」
一方、玲は羽卯をちらりと見てそっと目を逸らした。
……いや、自分でもよくわかってるし別に気にしているわけでもないけれど、玲にそういう反応をされるとなんだか腹が立つ。
「あれ、その様子じゃそうでもないのかな?」
和が解せないといった表情で首を傾げる。
「羽卯は見た目こんなだけど、基本的に他人に無関心じゃない?」
「そうだよね、あたしやミーちゃんのことも全然記憶になかったみたいだし」
おっと、しっかり根に持たれているようだ。
……別に反省はしていない。
これでも昔はクラスメイトの顔と名前くらいは覚える努力をしていた時期もあるのだ。今はそういうのがどうでもよくなってしまっただけで。
「中学入って最初のうちは確かにものすごいモテっぷりだったよ。あちこちの部活から勧誘も来てたし、同級生から告白されるのはもちろん、先輩、果ては高校の先輩まで引く手あまたって感じでさ。でも無愛想にバッサバサと断っちゃうもんだから、次第にチャレンジャーがいなくなってね」
さすがに中学に入って早々からそんなに無愛想だったわけではないのだけれど、その辺は些末なことなので訂正するまでもない。
「で、3年間も同じ学校に通ってれば、ある程度の共通認識ができるよね。『
「待って、そんな雪女みたいに言われてたの?」
思わず声を上げてしまった。
噂話には関心を持ってこなかったのもあるけれど、そんなことになっていたとは自分のことながら初耳だ。
「でもさ、そんなタブーができるくらい羽卯っちは目立つってことだよね」
和はまるで幻の珍獣に巡り会った探検家のように嬉しそうだ。創作のネタにでもするつもりだろうか。
人を禁忌扱いしないで欲しいと思う一方、そのおかげである程度平穏に過ごせていると思えば、気にしなければいいかと思わないでもない羽卯だった。
「そうすると今みたいな時期は、羽卯っちの伝説を知らなかったり知ってて敢えて挑んでくる向こう見ずな新入生が少しくらいいるんじゃない?」
和の指摘に羽卯は深く溜息をつき、玲は苦笑いを浮かべる。
「……数は多くなかったけどね。さすがに中学入ってすぐ学年上の女子にちょっかいかけるような肝の据わった新入生はそんなにいないし」
思い出すだけでもげんなりする。
もっとも、中学の新入生、つまり後輩たちよりは外部受験で高校に入ってきた先輩たちのほうが厄介だった。同じ敷地内とは言えそう接点があるわけでもないのに、どこで聞きつけてくるのか。
「じゃあ、もしかしたら今年はちょっと大変かもね」
和がぽつりと呟いた言葉は、実に不吉な予言じみていた。
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