第3話
「羽卯、まだ帰ってなかったんだ。もしかして海に行ってた?」
3人の生徒のうち1人がそう尋ねてくる。
ショートボブが似合うその少女は
玲と一緒にいる2人は部活仲間だろうか。玲は中学に続いて女子サッカー部に入ると言っていたし。
「ええ、まあ。玲は今部活上がり? そちらの2人もサッカー部?」
何気なく尋ねると、2人のうち背の低い活発そうな少女が驚愕の表情を見せた。
「嘘でしょ!? 同じクラス! 同じクラスだよ!
大変よく通るソプラノボイスで悲痛な声を上げながら頭を抱えている。
「え、そうなの? ごめんなさい、人の顔と名前を覚えるのは苦手で……」
だいたい、同じクラスと言っても2週間そこそこではないか。
「外部受験組はクラスに10人もいないからね。その気があれば2週間くらいで十分覚えられると思うけど?」
玲がそうツッコミを入れる。
付き合いが長いからと言って考えを読まないで欲しい。
羽卯たちが通う
一方で、中学からそのまま進学する生徒以外にも、高校入試を経て50人程度が新たに外部から加わる。玲以外の2人はどちらもその外部受験組だろう。
「可愛い子がいるなあと思ってすぐ声かけたのに、羽卯っちは覚えてもいなかったなんて……」
「羽卯っち!?」
いつの間にか妙なあだ名を付けられていた。
「うう、人見知りっぽいとは思ったけど、ちょっと距離を取り過ぎた……?」
何か小声でぶつぶつと呟いている和は取りあえず置いておくことにして、羽卯はもう1人に視線を向けた。
「じゃあ、あなたも同じクラス?」
念のため尋ねてみる。覚えていなくて申し訳ない。
「あ、うん、そうだね。でもサッカー部なのも当たりだよ。わたしは
特に気にした様子もないフワフワとした声が返ってくる。サッカー部というには大人しそうな印象だった。背中まで伸ばした艶のある黒髪も運動部というイメージからは程遠い。ただし、背は高い。170センチくらいあるだろうか。
「美鈴はマネージャーで入ってくれたんだ。手が足りてなかったみたいで先輩たちも大喜びだよ」
なるほど、ヘディングが得意なストライカーというわけではないらしい。
「確かにこの身長でマネージャーはもったいない気もするんだけどね」
だから考えを読まないで欲しい。
「あたしは文芸部! サッカー部じゃないからね!」
いつの間にかテンションの戻った和が強調するように口を挟んでくる。美鈴とは対照的に150センチあるかないくらいかの小柄だが、こっちの方が運動部向きの威勢に見える。しかし、文芸部とは。
「ところで」
玲が躊躇いがちに羽卯の背後を示した。
「その子は?」
振り返ると、そこには黒衣の少女。
羽卯が玲たちと話している間は無言を保っていたからすっかり忘れていた。いつの間にかいなくなっていてくれたりはしなかったようだ。
「うわあ、金髪ゴスロリ可愛い。お人形さんみたい」
美鈴が目を輝かせながら近寄っていく。
そんな見た目でも自称悪魔だ、などと言えるわけがない。
「可愛い子だねえ。攫ってきたの?」
和がニヤニヤしながらとんでもないことを言う。
「人聞きの悪いこと言わないで」
「でもその子、外国人だよね?」
玲が確認するように羽卯に尋ねた。
だから知り合いじゃないのか、と問いたげな目つきだった。街で外国人を見かけることも珍しくなくなっているとは言え、羽卯の生い立ちを知っている玲にはそういうイメージが先行するらしい。
どうやってこの場を誤魔化すか羽卯が考えていると、それまで不気味なくらいに大人しくしていた悪魔っ子がしずしずと前に進み出てぺこりとお辞儀をした。
「初めまして。ご主人様がいつもお世話になっています」
その瞬間、空気が凍った。
玲たちはこちらにゆっくりと首を回し、三者三様の目で羽卯を見てくる。
「羽卯っち、その子にいったい何をしたの?」
「え、メイド? すごい! 羽卯ちゃんってお嬢様なの?」
「羽卯、いくら何でもクスリはよくないと思うよ。フランスでは許されるかもしれないけど、日本では犯罪だよ」
口々に勝手なことを言い始める3人組。
「ちち、違うわよ! この子は……」
まったくの無関係……ダメだ。絶対に信じてもらえない。さっき知り合ったばかり……実際その通りなのだが、悪魔っ子の発言のせいで誤解を広げそうな気さえする。空から落ちてきた天使……紛れもない真実なのだが、そんなことを言ったら羽卯自身まで危ないクスリをやってると思われかねない。
「……親戚。そう、親戚よ。たまたま日本に遊びに来てるだけのただの親戚。この子ったら、変な日本語ばっかり覚えるんだから。あと、ドラッグはフランスでも立派に違法だからね。オランダ辺りと一緒にしないで」
苦し紛れに羽卯の口からこぼれた言葉は、無難と言えば無難な誤魔化し方だった。
羽卯の母方の祖母はフランス人なので、外国人の親戚がいることには何の不思議もない。短期間来日した親戚ということなら、これっきりでも不審がられることはないだろう。
「へえ、名前は何ていうの?」
和が興味津々といった表情で尋ねるが、何も考えていなかった羽卯は言葉に詰まってしまう。
「え? 名前……ああ、名前ね。えっと……エレーヌ! そう、エレーヌ・ヴァランタンっていうのよ」
3人の目の前で本人に名前を聞くわけにもいかないから、咄嗟に思いついた名前を挙げておいた。ちなみにヴァランタンというのは祖母の実家の姓だ。
すると、自称悪魔改めエレーヌ(仮)は羽卯のほうを振り返ってニヤリと笑い、3人に聞こえないくらいの小声でそっと言った。
「では、そういうことにしておくのです。羽卯姉さま」
その時になって、羽卯は自分が悪魔に付け入る隙を与えてしまったことに気が付いた。少女がとっととよその街なり国なりに出ていってくれればいいが、この街に残ってうろうろされたら、3人の誰かと鉢合わせする可能性もあるではないか。
「へえ、エレーヌちゃんっていうんだ」
「はい、羽卯姉さまにはレーナと呼んでいただいています」
「そうなんだ。じゃあ、わたしたちもレーナちゃんって呼ぶね」
「どこに泊まってんの?」
「羽卯姉さまのおうちにお世話になっています」
「えっ?」
何故か羽卯だけでなく玲の反応が被る。
ちらりと見やると、不意に目が合った玲はどことなく気まずそうに視線を逸らし、レーナたちとの会話に加わった。
いや、今はそんなことはいい。
羽卯が後手に回っているうちにどんどん事実が捏造されていく。
いっそのこと、最初に祖母の家に泊まっているとでもでっち上げておけばよかったのかもしれないが、それも後の祭り。
「ところでさ、レーナちゃんって今いくつ?」
不意に和がそんなことを尋ねた。
「いくつ? ……ああ、年齢のことですね。ええっと、私は……」
まずい。
レーナは元天使なのだから何百年、何千年と生きていそうだが、そんなことを平然と口にされたらまたしてもあらぬ誤解を招く、おもにドラッグ疑惑が。
「じゅ、14歳だったと思うわよ、確か。Léna, tu as quatorze ans, n'est-ce pas ?」
レーナは羽卯の顔をじっと見つめた後、再びニヤリと笑った。
「Oui, c'est ça. J'ai quatorze ans, ma chère sœur」
それから和たちに向き直る。
「羽卯姉さまの仰る通りです。日本語の数字はまだきちんと覚えていなくて申し訳ないのです」
何が「
「14歳ってことは中学生かぁ」
和はそう呟きながらレーナの横に並び、右手を掲げて自分と背を比べている。見たところ、わずかながらレーナのほうが背が高いようだ。
「中学生に負けた……」
どんよりという擬態語が見えそうな勢いで和がうずくまり、道ばたに「の」の字を延々と書いている。それを玲と美鈴の2人が、「レーナちゃんは外国人だから」とか「胸なら負けてないよ」などと慰めているが、レーナだって平均的な日本の女子中学生と比較してもやや小柄なくらいだろう。和が小さすぎるのだ。
「そうだ、これからちょっとお茶でもって話してたんだけど、羽卯もどう?」
玲が妙に早口で話題を切り替える。
「遠慮しとく。疲れたから今日は帰るわ」
羽卯がそう答えると玲が残念そうな表情を見せた。長い付き合いで誘いを断ることなどよくあることなのに珍しい。
そうは言っても実際いろいろありすぎて疲れているのも事実。今日のところは勘弁してもらおう。
「それじゃ、また明日」
「あ、待ってください、羽卯姉さま」
羽卯が3人に会釈して歩き出すと、さも当然とばかりにレーナが追いかけてくる。
疲労の原因の8割くらいはこの子なのだが。
「ええ、羽卯っちともっとお喋りしたかったのに。あ、レーナちゃんも今度一緒に遊ぼうね!」
和は拗ねたような声を羽卯に向けてきたが、すぐに弾んだ口調でレーナにも誘いをかける。
「はい、楽しみにしているのです」
レーナもにこやかに手なんか振りながらそう答えている。
また会うつもりか。
羽卯が小さく溜息をついたことには玲たち3人の誰も気付いた様子がなかった。
角を曲がって3人が見えなくなったところで立ち止まって振り返り、どれほど効果があるかわからないが、できるだけ威圧的に映るようにレーナを見下ろす。
「いい? 少しの間泊めてあげるだけだから。勘違いするんじゃないわよ」
「わかっているのです」
レーナは澄み切ったエメラルドグリーンの瞳で羽卯を見つめ、にっこりと微笑んだ。
「……」
まったく、この笑顔はよくない。本当にわかっているのだろうか。
羽卯は無言で視線を逸らし、再びマンションへの道を辿り始めた。レーナは黙って後をついて来る。
「……ねえ」
先に立って歩きながら、振り返ることなく羽卯が声をかける。
「何ですか?」
「あなた、本当は何て名前なの?」
「天使の名前は人間の耳には聞き取れないし、発音もできないのです。だから、私の名前はエレーヌ・ヴァランタン、レーナなのですよ。羽卯姉さまがつけてくれた名前なのです」
そんなことを言いながら、大切なものを抱くように両手を胸に当てる。
「……そう」
何となくむずかゆい気持ちがして、少しだけ足を速めた。
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