供述・加害者―アイにつける薬はない
どうして、ゆーくんなら大丈夫、だなんて、思ってしまったんだろう。
永遠に変わらないものなんてないことを、あたしは、知っていた筈なのに。
久しぶりに会ったゆーくんの隣には知らない女がいて、あたしは思わず、ゆーくんも部屋の扉を開いたままで、固まった。
「ね、ゆーくん」
あたしは、知らない女をじっと見つめながら、ゆーくんに問いかけた。
「その女、誰?」
目の前の知らない女は、怯えを含んだような瞳で、あたしを見ている。
嫌だな。そんな顔をされちゃったら、あたしが悪い人みたいじゃん。そんな思いを抱えながら、ゆーくんの言葉を待つ。
すると、不意にゆーくんが、目の前の女の腰をグッと引き寄せた。
まるで、恋人にするみたいな仕草。そんな仕草を、どうして、あたしじゃなくてその女にするの?
ねえ?どうして?おかしいよ。
ゆーくんの彼女は、あたしじゃなかったの?
ゆーくんが、ゆっくりと、綺麗な唇を開くのが見えた。
その唇が紡ぐのは、きっと、あたしにとって、都合の悪い言葉だ。
ああ、嫌だ。ゆーくん、その先の言葉を言わないで。
そんな願いは、もちろんゆーくんに届くわけもなく。ゆーくんが言葉を吐き出した。
「僕の彼女だよ」
ゆーくんの甘い声が、あたしの耳を突き刺した。
嘘。嘘だ。ゆーくんは言ってくれたのに。あたしのことが大好きだって。大きくなったら結婚しようって。
言って、くれたのに。どうして。
衝動のままに、嘘、と叫んだ。地団駄を踏んで、噛み付くように叫ぶあたしをみても、ゆーくんはあたしを慰めてなんてくれない。
昔なら、あたしが少しでも涙を流そうものなら、すぐに慰めてくれたのに。
なのに、今のあなたは、あたしになんにもしてくれない。
どうして、どうして?
(ああ、そうか)
ふと、昔ゆーくんと一緒にドラマを観たときのことを思い出した。
ずっと一緒だと。いつか結婚しようと。そう女の人に言った男の人が、別の女に心変わりしてしまうような、そんなお話。
そのドラマを観て、ひどく不安な気持ちになったことを。
それから。人の心に永遠なんてないんだと、悟ったことを。
ふと思い出して、そして、すとん、と納得してしまったのだ。
ゆーくんも、きっと、心変わりしてしまったんだ、って。
そして、きっと。
その心変わりの原因は—今、ゆーくんの隣にいる、この女だ。
あたしは、女をゆーくんから引き剥がした。
ギリギリと、恨みを込めて女の腕を握る。女が痛そうに顔を歪めた。
ざまあみろ。人の男に手を出すから、そんな痛い目を見るんだよ。
だけど、こんなんじゃ足りない。
これ以上、ゆーくんを誑かすことのないように、この女を、ゆーくんの前から、あたしの前から、消さなくちゃ。
あたしは、女の身体を突き飛ばした。
なにか武器になるようなものはないかな。あ、キッチンがあるなら、包丁くらいはあるよね?
キッチンを漁って包丁を探し出すと、あたしは、女とゆーくんがいる部屋の方へ戻った。
未だに状況が飲み込めていない女の顔面スレスレに、包丁を突き立ててやる。
途端に、恐怖を孕んだ絶叫が、狭い部屋に響いた。いい気味だな、あたしはほくそ笑み、女の身体を固定するように、馬乗りになる。
女の表情は、恐怖に染まっていた。
別に他人を怖がらせる趣味など持ち合わせていないが、相手に妬み恨みがあるなら話は別だ。その恐怖を帯びた表情は、あたしにとって、極上の甘味のようだった。
……あなたが、悪いんだよ。
あたしは、目の前の女に向かって、淡々と言葉を吐き出した。
あなたを殺せば、ゆーくんは、もとに戻ってくれるよね?
そう言いながら、あたしは女の腹を、身体を、ザクザクと刺していく。人の急所なんてよくわからないけど、たくさん刺したら、いつかは死んでくれるかな、なんて。苦悶の表情を浮かべる女をぼんやりと眺めながら、そんなことを考える。
刺して、刺して、ひたすらに滅多刺しにして。やがて女がぴくりとも動かなくなったのを確認してから、あたしはようやく、ゆーくんと対峙した。
女の上から立ち上がって、真っ直ぐに、ゆーくんを見つめる。
「……ゆーくん、怒らないの?」
彼女さん、死んじゃったよ?いいの?
しかしゆーくんは、なんにも言わなかった。なんにも言わなかったけれど、ただ、諦めたような表情を浮かべて、あたしを見つめていた。
ゆーくん。どうして、そんなになにかを諦めたような顔をしてるんだろう。
「……ゆーくん」
「……ねえ、芽愛ちゃん」
不意にゆーくんが、口を開いた。なに、と返事をする。
「芽愛ちゃんは、今でも、僕のことが好き?」
なにを今更、と思った。あたしには、ずっとずっと、ゆーくんしかいないよ。
ゆーくん以外の誰かなんて、愛せない。あたしが好きなのは、昔も今も、ゆーくんだけ。
「うん」
ゆーくんの顔をしっかりと見て、頷いた。
「あたしは、ゆーくんのことが、大好きだよ」
「……そっか」
どうしようもないな、と言いたげな表情で、ゆーくんは笑った。困ったように、諦めたように、ゆーくんは笑っていた。
「……ゆーくんは」
「ん?」
「……ゆーくんこそ、今もまだ、あたしのこと、好きなの?」
急に不安になって、あたしはぽろり、と言葉をこぼした。
ゆーくんが目を見開いて、それから、ふい、と少しだけあたしから目を逸らす。しかしそれも一瞬のことで、ゆーくんはすぐに視線を戻すと、あたしの方を真っ直ぐに見て、言った。
「……うん、好きだよ」
ああ、嘘だ。そう思った。
そんなわかりやすい嘘、つかなくていいよ。新しい彼女を作るぐらいだもん。ゆーくんは、もう、あたしのことなんて、好きじゃないんでしょ?
あたしはバカだけど、ゆーくんのことなら、わかっちゃう自信があるんだ。
だってあたしは、ずっとずっと、ゆーくんだけを見てたんだから。
ああ、でも、だめだなあ。あたしはもう、ゆーくんがいないとダメなんだ。
ゆーくんがあたしのことを好きじゃなくたって、あたしには、ゆーくんが必要なんだよ。
ねえ、どうしたら。どうしたらゆーくんは、あたしだけのものになってくれる?
永遠に移ろうことない。心変わりだってすることない。あたしだけを見てくれる、ずっとあたしと一緒にいてくれる、ゆーくんに。
ふと、血のかおりが鼻腔をくすぐった。あたしはそっと、自分の手元に視線を落とす。
そこには、知らない女の血で塗れた、包丁が握られている。
そうだ、と思った。これなら、ゆーくんをずっと独り占めできる、と。歓喜で胸が騒ぐ。
あたしは、ゆーくんの眼前に、包丁を突きつけた。
「……ねえ、ゆーくん」
ぽつり、と呟いた。ゆーくんは怯えることも、逃げ惑うこともなく、あたしの言葉を待っているように見える。
そんなゆーくんに向かって、あたしは、言葉の続きを投げかけた。
「あたしのために、死んでくれる?」
突きつけた包丁の向こう側で、ゆーくんが笑って、頷くのが見えた。
あたしの大好きな、優しい笑顔で。
「いいよ、芽愛ちゃん」
ゆーくんは、優しい笑顔を浮かべたまんま、言った。
「君のために、死んであげる」
ゆーくんが、ゆっくりと両手を広げた。あたしを迎え入れるようなその仕草は、あたしを甘やかす時に、ゆーくんがいつも、やっていた仕草だ。
いつものように、あたしはゆーくんの胸に飛び込んだ。いつもと違うのは、あたしが手に、包丁を持っていることだけだ。
ゆーくんの胸に飛び込みながら、あたしは勢いよく、ゆーくんの身体に包丁を突き立てた。
柔い肌を、脆い身体を、包丁はあっけなく貫く。
ゆーくんがどしゃり、と倒れ込んだ。その様を見ながら、あたしは再び、ゆーくんとドラマを観たあの日のことを、思い出していた。
あの日。ドラマの結末に、不安の涙を流していたあたしに向かって、ゆーくんはなんて言ってくれたんだっけ。
ああ、そうだ。
『ゆーくんは、ゆーくんは、こんなふうに、心変わりしちゃわない?』
そう言ったあたしに、あなたは。
『……うん、もちろん』
ああ、そうだよ。心変わりなんてしないって。そう言ってくれたのに。
「……うそつき」
ぽつり。床に向かって吐き出した。あたしの言葉がゆーくんに届いてるかどうかなんて、もう、わかんないけど。
でも、そんなの、どうでもいいんだ。ゆーくんの身体をそっと抱き起して、あたしはゆーくんに優しく囁く。
「……ねえ、ゆーくん。あたしと、結婚してくれる?」
カクン、と力なく、ゆーくんの首が揺れた。それが、脱力したからなのか、ゆーくんが最期の力を振り絞ったからなのか。どっちなのかなんて、わかりっこないけれど。
もう、そんなのどっちだっていいのだ。大事なことは、あたしがようやく、ゆーくんを手に入れられたっていう、その事実だけなのだから。
ねえ、ゆーくん。あたしの大好きなゆーくん。
これでもう、ゆーくんはあたしだけを見てくれるよね?
これでもう、ゆーくんは他の女に目移りなんてしなくなるよね?
これでもう、あたしとゆーくんは、ずっとずっと、一緒にいられるよね?
「ずーっと一緒にいようね、ゆーくん」
あたしはそう言って、ゆーくんに口付ける。
ゆーくんの唇には、まだほんの少しだけ、熱が残っていた。
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