供述・関係者―私のフシギな彼氏の話

誰かを、好きになれなくたって、よかった。

誰かに、好きになってもらえなくたって、よかった。

だけど。

ひとりで生きていくことだけは、どうしても嫌だった。


私は、平々凡々な人間だ。なにかに秀でているわけでもない、特に目立つようなことをするわけでもない。どこにでもいるような、ごくごく普通の人間だ。

私は、私のことを凡人だと認識している。だからこそ、ごくごく普通に生きて、どこにでもあるような普通の幸せを享受して、ごくごく平凡に死にたい。

私は、ごくごく平凡な人生を生きたかった。

恋人が欲しい。そう思ったのも、そんな願いがあったからなのだろうと思う。

平凡な人生を送るには、人生のパートナーというものが必要不可欠なのだ。いつまで独り身でいるつもりなの?なんて、後ろ指刺されながら生きるなんて、まっぴらごめんだった。

恋人が欲しい。だけどそこに、愛なんて要らなかった。

ただ私は、形だけの「恋人」が。「人生のパートナー」が欲しいだけで。そこに、愛なんていう薄っぺらいもので交わされる契約なんて、必要としてなかったのだ。

どこかに、いないだろうか。愛し愛されない、そんな関係でもいいから、私と恋人になってくれる人。

私と一生、一緒に居てくれる人。

私が彼に出会ったのは、そんなことを考えながら参加した、大学の合コンでのことだった。


確か、自己紹介では「平優希」と名乗っていたその彼は、ガヤガヤと賑わう合コンの席で、どこか冷めたような、退屈そうな顔をして座っていた。

その顔を見たとき、ああ、きっとこの人は、私とおんなじなんだ。おんなじような理由で、恋人を、そう呼べるような関係になってくれる人を、探している。そう強く思ったのを、覚えている。

私は平凡な人間だけど、同族のにおいには敏感なのだ。

そうと決まれば、と。私は彼に話しかけるべく、彼の隣にするりと腰掛けて、言った。

「隣、いい?」

「……あ、はい。どうぞ」

彼は、男にしては高めの、しかし優しさと甘さを滲ませた声で、その中性的な顔を綻ばせながら、そう言ってくれた。

「えっと……確か、一年の……平優希くん、でよかったっけ?」

「あ、はい。そうです。貴女は、えっと……三年生の、佐藤凪砂さとうなぎささん、でしたよね。僕になにかご用でしたか?」

「ご用って……そんなにかしこまらないでよ。ちょっと話がしたくって」

「はあ……」

目の前の彼—平くんは、少し戸惑った様子だったが、それでも私と話してくれる気になったらしい。ほんの少しだけこちらに身体を向けてくれる律儀さに、クスリ、と笑みを零しながら、私は言葉を続けた。

「ねえ、平くんはさ。なんで今日ここに来たの?なんかすっごく、退屈そうな顔してたけど。数合わせで無理やり連れてこられた、とか?」

「いえ、そういうわけでは。僕はちゃんと自分の意思で、参加してますよ?」

「ふうん?なら、どうして?キミはどうして、そんなにつまらなさそうな顔をしているのかな?」

そう言えば、平くんは少し困ったような表情を浮かべた。言おうかどうするべきか悩んでいるような、そんな表情だ。

まるで誘導尋問でもしている気分だな、なんて。少し申し訳ない気持ちになりつつも、私は再び口を開いた。

「なに言われても私は怒らないからさ。ほら、おねーさんに言ってごらんよ。さあ、さあ!」

そこまで言えば、彼もようやく決心がついたらしい。誰にも言わないでくださいね、と。そう前置きしてから、彼は話し始めた。

「実は僕、彼女が欲しくって。でも、別に恋したいとか愛されたいとか、そういう理由じゃないんですよね。だから、こういう場に相手を探しに来ても、なかなかうまくいかないっていうか……真剣に恋がしたい人に失礼なんじゃないかって思っちゃって」

「そうだったんだ……」

私は、今初めて知りました、というふうを装って、神妙な顔で相槌を打った。

やっぱり平くんは、私とおんなじだ。その確信を得た私の心の中は、喜びの嵐が吹き荒れていたが、それをおくびに出さないよう努めつつ、私は彼に返事をする。

「……私は別に、それでもいいけどな」

「……え?」

「別に私は、キミがどんな思いで彼女を作ろうとしてたって、気にしないよって話。なんなら、私がその彼女になってあげたっていいくらいだよ」

どう?と言葉を投げかければ、平くんはしどろもどろに答えを返してきた。

「そ、それは……すごく有難いお言葉ですけど……でも、いいんですか?僕は佐藤さんが望んだって、抱きしめるとか、キスとか、その先だって……なんにも、できないんですよ?」

「あはは、別にいいよ……ま、ネタバラシするとさ、私もキミと似たような理由で、恋人探してたんだよね。だからここで平くんが彼氏になってくれたら、私も有難いってワケ」

「……さては貴女、最初から気づいてて、僕に声掛けましたね?」

ぷく、と頬を膨らませながら、平くんは言った。男にしては可愛らしい顔つきをしているからか、そんな表情も、妙に似合っている。そんな、妙に可愛い方法で怒りを表現する平くんを宥めながら、私は言った。

「さあ、どうだろう?でもさ、そんなの、どうだっていいでしょ?キミは私に彼女になって欲しいの?なって欲しくないの?」

平くんは、少しだけ思い悩むように目を伏せて、しかしすぐに顔を上げると、私に片手を差し出しながら、言った。

「……なって、欲しいです。お願いしていいですか?」

「もちろん。これからよろしくね、平くん」

差し出された手を握りながら、返事をする。

こうして私は、ようやく、理想の恋人を手に入れたのだった。


平くん、いや、優希くんとのお付き合いは順調だった。

お互い「恋人がいる」という肩書きだけが欲しかった身だから、デートをすることも、イチャイチャすることも、特に望まない。

だけどカモフラージュは必要だから、と。お互い名前で呼びあったり、たまには二人でご飯を食べたり、その程度のことはした。逆に言うと、彼との付き合いなんてその程度で良かったから、気が楽だった。

彼とはそんな薄い付き合いしかしていなかったから。だから私は、彼のことなんてなんにも知らない。なにが好きで、なにが嫌いなのか。誕生日がいつなのかとか、血液型がなにかだとか、そんな基本的な情報さえ、なんにも知らなかった。

当然、彼がどうして、そんなに必死で恋人を探していたのか。その理由だって知らない。別に興味だってなかった。

このまま一生その理由は知らないままなんだろうな、と。そう思っていた。

そう。

優希くんから「今度の週末、僕の家に来ませんか」と、珍しいお誘いを受けるまでは。


初めて招かれた彼の部屋は、生活に必要なものだけが置いてあるような、質素な部屋だった。まあ、学生のひとり暮らしなんてこんなものよね、と。私は自分のことを棚に上げて、そんなことを思う。

彼に勧められるままに、クッションの上に腰を下ろして、それから私は、ずっと気になっていたことを、彼に尋ねた。

「ねえ、優希くん。なんで私を、お家に誘ったりなんかしたの?」

「ああ、気になります?」

「そりゃあ、まあ……」

優希くんと会う時はいつも外だったから、急に家に誘われたとなると、そりゃあ、理由くらい知りたくなる。

どうして?と改めて尋ねれば、彼は渋々、というふうに口を開いた。

「……そろそろ、決着をつけないと、って思ったんですよ」

「え?それって、どういう……」

「すぐに分かりますよ。……あ、そろそろかな」

優希くんが不意に、部屋のドアの方に視線を向けた。私も思わず、その視線を追う。

ガチャ。扉が開く音がした。バン、と勢いよく扉が開けられる。

「ゆーくん!会いにきたよ!!……って……」

そんな明るい声を響かせて部屋に入ってきたのは、少し幼い容姿の、可憐な少女だった。

「え?」

私は思わず、呆けたような声を漏らす。

これは一体、どういうこと?どうして急に、優希くんの部屋に、こんな女の子が?

「芽愛ちゃん、久しぶりだね。待ってたよ」

優希くんはずいぶん親しげな様子で、その女の子に声をかけた。しかし、その女の子は優希くんの声にぴくりとも反応せずに、じっと私のほうを見つめている。

「ねえ、ゆーくん」

不意に、少女が口を開いた。先程の明るい声とは全く違う、ひどく冷めた声で。

「その女、誰?」

その声には確かに、私に対する敵意のようなものが滲んでいて、私の喉からはヒッ、と、引き攣ったような悲鳴が漏れた。

優希くんは、私の様子なんて気にするような素振りも見せずに、私の腰をグッと引き寄せて、言った。

「僕の彼女だよ」

甘い声で、優希くんは言う。そのまま耳元に口を寄せられて、私はぞくりと身を震わせた。

怖い。目の前の少女の敵意も、優希くんの甘い声も、何もかもが怖い。

逃げ出したくて身を捩らせるが、優希くんの手はびくりとも動かなかった。

「……ごめん」

耳元で優希くんの声が響いた。それはなにに対する謝罪なのだろう。なにが、と聞き返そうとして、しかし、その声は私の喉から発されることはなかった。

「嘘!!」

キーン、と頭に響くような大声で、目の前の少女が叫んだからだ。少女はダンダンと地団駄を踏みながら、駄々をこねるように叫んだ。

「ゆーくんの彼女はあたしだもん!だって、ゆーくん言ってくれたもん!あたしのことが大好きだって!大きくなったら結婚してくれるって、そう、言ったもん!!」

わんわん泣き喚きながら、少女は言う。しかし、次の瞬間にはピタリ、と泣き止んで、私をぎろりと睨みつけた。

少女がズカズカと、私との距離を詰める。私の前に立つと、少女は私の腕をグッと掴んで、そのまま優希くんから私を引き剥がした。

ぐ、と力一杯に握られた腕の痛みに顔を顰める。少女は私の腕を掴んだまま、ぽつりと呟いた。

「……あなたの、せいだ」

「へ?」

「あなたがゆーくんを誑かしたんでしょ!だからゆーくんが、おかしくなっちゃったんだ!!」

少女はそう叫ぶと、私の身体をドン、と突き飛ばした。バランスを崩した身体が、硬い床に叩きつけられる。その衝撃に、一瞬呼吸が止まってしまったような、そんな心地がした。

ゲホ、と思わず噎せこむ。少女はどこかに行ってしまったのだろうか。姿が見当たらない。

ホッ、と息をついたのも束の間。ドス、と顔面スレスレに、なにかが突き立てられた。

なんだろう、そう思って視線だけ動かす。そして、それを見てしまったことを死ぬほど後悔した。

そこには、包丁が突き刺さっていたのだ。

「いやああああああ!」

叫んで逃げようとして、しかし、それは叶わなかった。どこかに行ったとばかり思っていた少女が、私の上に乗りかかってきたのだ。

彼女は、床に刺さった包丁を抜いて、そして、その切先を私に向けた。

「あなたがいたから、ゆーくんはおかしくなったんだ。それなら……あなたを殺せば、ゆーくんは、もとに戻ってくれるよね?」

そう言って少女は、私の腹に、包丁を突き刺した。

じわり、と燃えるような痛みが、腹部に広がる。私が苦痛に顔を歪めるのが見えたのだろう、彼女はその可憐な顔を歪ませて、ケラケラと笑った。

「死んじゃえ!死んじゃえっ!!ゆーくんをおかしくする悪い女なんて!ゆーくんに触れるあたし以外の女なんて!!死ね!!今すぐ死んじゃえ!!!!」

何度も何度も包丁を振り下ろすさまが、ひどくゆっくりと見えた。刺されるたびに増えていく穴が、痛い。痛くて、怖くて、絶望で目の前がまっくらになっていく。

ああ、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

私はただ、平凡に生きて、平凡に死にたかっただけなのに。

「ごめんね、凪砂さん」

不意に、優希くんが耳元で囁いた。

「彼女ができたって言えば、あの子が—芽愛ちゃんが、僕を諦めてくれると思ったんです」

申し訳なさそうに言う彼に、怒りはこれっぽっちも湧かなかった。

だって、私もキミも。

きっと望みを、果たせなかったんだもんね。

そう思ったら、彼を怒る気にも、恨む気にも、到底なれなかった。

いいよ、と。そう呟いた声は、彼に届いただろうか。もう、なんにもわかんないや。

だけど。平凡に生きたかった私の人生は、ここで終わりなんだと。ただそれだけは、はっきりと理解できた。




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