供述・第三者―わたしが恋した彼女の話

わたしには、恋がわからない。

周りがする恋の話はいつだって、わたしにとっては遠い世界の話のようで。そこに交われない自分は、まるで、どこか別の世界から来た、目の前のこの子達とは違う存在みたいだと、ずっと思っていた。

ひとを愛することが、わからないわけではない。恋の話が、嫌いなわけでもない。現にわたしは、周りの人間のことをみな平等に愛していたし、周りが楽しそうに語る恋の話を聞くことだって、好きだった。

ただ、恋愛ができなかっただけ。ひとを好きになる気持ちが、よくわからなかっただけ。

そしてそれはきっと、わたしが他人に関心がないからだったんだろうと。中学の卒業式で、わたしとのお別れにわんわんと泣きじゃくる友人を前にして、涙のひとつも溢せなかった自分に気がついたとき、嫌という程分かってしまった。

わたしは、寂しい人間だ。心の底では、誰のことも愛せない、空っぽの人間なんだ、と。

そう、嫌というほど思い知らされて、だけど、そうではないかもしれない、と。

それに気付かされたのは、高校の入学式で、とある少女に出会ったからだった。


「ひーちゃーん!おはよ!!」

ガラリ、と、教室のドアを開ければ、明るい少女の声が響いた。

声の主は、高校生にしてはどこか幼い顔つきの、愛らしい少女だ。肩より少し長いくらいの艶やかな髪を揺らしながら、少女はわたしに手を振る。

わたしも彼女にちいさく手を振り返すと、席についた。

「おはよ。なんか今日は元気がいいね、芽愛」

席に座りながら、先程わたしに挨拶してきた少女—藍沢芽愛あいざわめあに挨拶を返す。

わたしのひとつ前の席で、芽愛はなにやら、ニコニコと楽しそうに笑っていた。淡い桃色の、ダボダボとしたオーバーサイズのセーターの袖口から、白魚のような指がチラリと見える。その細い指で、彼女は自身の髪をいじいじと弄りながら、言った。

「だってね!今日は久しぶりに、ゆーくんから挨拶のお返事が来たんだよ!!」

「へえ!よかったね」

「うん。えへへ……」

そう言うと、彼女はにへら、と表情を崩した。とろとろと、溶けてしまいそうなくらいに、嬉しそうな笑顔。友人のそんな笑顔を見せられてしまえば、わたしもなんだか、嬉しくなる。思わず返事の声がワントーン上がってしまうくらいには。

しかし。

「……でもさあ、芽愛」

「なあに?」

「そのゆーくんって男?芽愛のカレシなんでしょ?それなのに、こーんな可愛い彼女からの挨拶メッセージをそんな頻繁に無視するなんてさあ、ちょっと非道いんじゃない?」

「もー!ひーちゃんはすぐにそういうこと言う!ゆーくんはひどい人じゃないもん!かっこよくて優しい、あたしの王子様なんだから!」

ゆーくんのこと悪く言うの禁止!とぷりぷり怒る芽愛にごめん、と軽く謝る。恋人の付き合い方は人それぞれだと言うし、ちょっとメッセージを返さないくらいで、人の恋人を悪く言うのは、少し不味かったかもしれない。

わたしは、彼女たちの関係の詳しいことなんて、殆ど知らないのだから。


芽愛とは、高校に入ってから知り合った。進学先が友人と別れてしまい、ひとり寂しくぽつり、と自身に与えられた席に座っていた時、真っ先に話しかけてきたのが、彼女だったのだ。わたしの名字が「相島あいじま」で、彼女の名字が「藍沢」だから、出席番号順に並べられた席順だと、わたしたちの席は前後に並んでいる。その席の近さもあってか、気づけばわたしと芽愛は、友人、とも呼べる程の仲になっていた。

芽愛に彼氏がいるらしい、と知ったのは、本当に偶然だ。

彼女の細い首にかけられたネックレスのチェーン。その先に繋がっている指輪を偶然見てしまったとき、彼女はほんのりとその白い頬を染めて、教えてくれた。

芽愛曰く、その彼氏は「ゆーくん」というらしい。芽愛よりも3歳年上らしいその彼は、東京の偏差値の高い大学に今年入学したらしく、現在は大学の近くに部屋を借りて、一人暮らしをしているとのことだ。わたし達の通う高校は首都圏ではあるが、東京からは少し離れている。だから、遠恋、とまではいかないにしても、会う機会はめっぽう減ってしまったのだそうだ。

そう、やたらめったらしょげたふうに言う芽愛の話を更に聞いてみれば、なんと、そのゆーくんと芽愛は幼馴染だそうで。家も近所だったから、仕事で多忙な芽愛の両親は、ゆーくんの家に幼い芽愛を預けて、仕事に行くことも多かったらしい。幼い芽愛は預けられた家にいた年上の優しいお兄ちゃんに、見事惚れてしまった、というわけだ。そこから猛アタックして、大きくなったら結婚しようね、と約束を取り付けて—そして、今に至る、らしい。全ては芽愛から聞いた話なので、あくまで「らしい」だ。

芽愛が大事にしている指輪も、その「結婚しよう」の約束をした時に、ゆーくんから貰ったものなのだという。

ここまで聞いた時、わたしは思わず「いやどこの少女漫画だよ」と脳内でツッコミを入れたものだ。しかし、その話をする芽愛の表情は、それはもう、幸せそうで。きっとそれらの思い出は、芽愛にとって、とても大切なものだろうと思ったのだ。

そう思ってしまったら、わたしは芽愛のその話を、揶揄うことなんてできなくなった。

なにより、幸せそうに恋人の話をする芽愛は、とても愛らしい表情をしていて。

その表情が歪むところなんて見たくないな、なんて。柄にもなく、そんなことを思ってしまったから。

だから今日もわたしは、彼女の話を、彼女が幸せそうに語る恋の話を、彼女を見守るような心地で聞いている。

わたしは、きっと、好きだったのだ。

わたしの知らない「誰か」に恋をしている、藍沢芽愛のことが。


「そういえばさ」

ふと、わたしは気になっていたことを思い出して、口を開いた。

「今週末だったっけ。その『ゆーくん』のところに行くのって」

「うん、そう!そうなの!!やっとお金貯まったんだあ」

途端に芽愛は、こちらに身を乗り出さんばかりの勢いで、返事をした。その目は爛々と輝いていて、うん、なんとも愛らしい。恋する乙女は一番可愛い、というのはあながち嘘ではないんだなあ、なんて。全然関係ないことを考えながら、わたしは口を開いた。

「だよね!よかったじゃん、芽愛。だってあんた、ゆーくんに会うためにお金貯めるんだって、バイト頑張ってたもんね」

「うん!」

そう言って、芽愛は嬉しそうにくふくふと笑った。その様子に、わたしもつられて嬉しくなる。

芽愛の愛は、本気だ。話を聞いてても分かるほどに、本気の恋をしている。

だからこそ、きっと余計に嬉しいのだ。彼氏のためにお金を貯めようと。彼氏に会いに行くのを楽しみに、バイトを頑張るような健気な彼女の行いが報われることは、素直に嬉しい。

「……楽しい週末になるといいね、芽愛」

わたしのその言葉に、芽愛はふわりと、愛らしい笑みを浮かべていた。


そうして、ゆーくんとやらに会うために、芽愛が東京へ向かったのが、6月の末のこと。

そして、その週明け。芽愛が教室に現れることはなかった。


最初は、体調を崩しただけなのかと思った。だけど、2日経っても、3日経っても。1週間経っても2週間経っても、芽愛が教室に現れることはなかった。

心配になって、芽愛のメッセージアプリのアカウント宛にメッセージを送っても、返事は一切来ない。既読さえつかない。一種の事件性すら感じて先生に芽愛のことを聞いてみれば、しばらく休む、と本人から連絡があったと聞かされた。

—わたしには、なんにも言わなかったのに。

なんだか妙な敗北感を感じた。学校に連絡を入れられるなら、わたしに連絡のひとつくらい、寄越してくれてもいいのに。

そんなモヤモヤを抱えながら、わたしはひたすらに、芽愛からの連絡を待ち続けた。

そうして、芽愛がわたしの前から姿を消して、ひと月ほど経った頃。

芽愛から、ようやくメッセージが届いた。

わたしは慌てて、メッセージアプリを開いた。

『ひーちゃん、ごめんね。あなたとはもう会えない』

彼女から届いたメッセージは、たったそれだけだった。

そんなひとことで納得できるはずなんかなくて、わたしは何度も、芽愛にメッセージを送り続けた。

自分でも驚いた。あんなに他人に興味がなかったわたしが、今、たったひとりの友人のために、こんなにも必死になっている。

まるで、芽愛に恋しているみたいに。

芽愛に抱いていた感情が友愛なんかじゃなかったことに、彼女がいなくなってから、わたしはようやく気が付いたのだ。


芽愛からの連絡は途絶えたまま、季節は八月になった。

わたしは芽愛のことを諦めきれなくて、一度だけ、東京まで足を運ぶことにした。

芽愛から、ゆーくんとやらの通う大学の話は、何度か聞いている。芽愛はゆーくんに会いに行ったのだから、おそらくゆーくんの家に居るのだろう。

そう推測して、わたしはゆーくんの大学のそばをしらみ潰しに歩き続けた。

ゆーくんとやらは、大学の近くに部屋を借りていると言っていた。だからこの辺を歩いていれば、もしかしたら。買い物をするなどの理由で外に出た芽愛の姿を見ることができるかもしれないと、そう、考えたのだ。

もはやこれは、ただの賭けだ。でも、これで会えなかったらもう、芽愛のことは諦めようと、そう思っていた。

そうして、慣れない土地をふらふらと歩いていたわたしに、どうやら天は味方をしたらしい。

わたしはようやく、芽愛の姿を見つけた。

芽愛、と呼び止めようとして、しかし、わたしの喉が、言葉を発することはなかった。

だって。

買い物袋を提げて、鼻歌を歌いながら歩いている芽愛の表情は、それはもう、幸せそうだったから。

恐らく、これからゆーくんのもとへ帰るのだろう。ゆるゆると緩んだ表情が、彼女の幸せを物語っていて。その表情は、今までに見た芽愛のどの笑顔よりも、幸せそうだった。


—なあんだ。芽愛、幸せそうじゃん。


芽愛の、幸せそうな顔を見るのが好きだった。わたしの知らない「誰か」に恋をしている芽愛のことを、誰よりも、何よりも、愛していた。

だから、もういいや、と思った。

芽愛があんなにも幸せそうな表情で。彼女の大好きな「彼」のもとにいるのなら。わたしはもう一生、彼女に会えなくたっていい。

だけどやっぱり、ほんの少しの未練を感じて、わたしは彼女の笑顔をこっそりと写真に収めた。

ピロリ、と音を立てて撮られた写真を、画面いっぱいに表示する。

写真に写った彼女も、現実の彼女とおんなじくらいに、幸せそうな笑顔を浮かべていた。

わたしはその、データの中の彼女に、そっと口付けを落とした。

ねえ、芽愛。わたしの大好きな、芽愛。

どうかずっと、わたしの大好きなその笑顔のままで。

わたしが愛した、あんたのまんまで。

そっと心の中で祈りを捧げて、それから、わたしは芽愛に背を向ける。

途端にふわりと吹いた風は、何故だかほんのりと、錆びた鉄のような匂いを孕んでいた。

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