学校の噂

これは、以前赴任していた小学校での話。

よくある七不思議のような話なのだが、その当時、かなり噂になっており、夜宿直までした出来事だ。


ある一人の生徒が、職員室の私のところにやって来た。

「田口先生。相談があるんですけど・・・・・・」

その子は、私が担任のクラスの学級委員の大貫さんだった。

「どした?何か分からないところでもあったか?」

私は、彼女の方に向き直り、目線を合わせる。

「あの・・・・・・」

彼女は、周りを見回し、少し話しづらそうにしている。

「よし。違う部屋行こうか」

私は、隣の準備室の鍵を持ち、彼女を促す。

彼女は、少しほっとしたように、私の後を付いてきた。

準備室に入り、彼女に椅子を差し出す。

自分も適当な椅子に座り、もう一度どうしたのかと尋ねる。

「あの、先生。今学校で噂になってる話、知ってますか?」

噂・・・・・・?

「いや、知らないな。どんな話?」

私が聞くと、彼女は少し俯き、指をモジモジさせながら話し出した。

「相良さんの席の椅子が・・・・・・朝になると移動してるっていう噂なんですけど・・・・・・」

確かに聞いたことはある噂だった。

相良さんは、私のクラスの子で、一ヶ月半位前に学校の近くの交差点で車に轢かれて亡くなった子だった。

机には今も花が飾られており、皆で綺麗にしている。

「その噂なら、先生も聞いたことがあるよ。その噂がどうしたんだい?」

私が聞くと、彼女は私の目を見て言う。

「あれ、噂じゃないんです!私が朝来ると、必ず椅子が移動してるんです!いつも私が一番に来るからわかるんです!」

彼女は、今にも椅子から落ちそうなほど前のめりで訴えてきた。

ここで、「ただの噂」としておさめることも出来る。

本来はそうするべきなんだろう。

しかし、彼女、大貫さんは学級委員をやるくらい真面目な子で、おふざけで私にこのような話をする子ではない。

私は、少し考えてから話し出す。

「大貫さんが言いたいことは分かった。でも、少し時間をくれないか?他の子に聞いてみたり、先生たちとも相談したいんだ」

そう言うと、彼女はガッカリしたように肩を落とした。

「今週中には、どうするか結論出すから、少し待っててくれるかな?」

私の言葉を聞いて、彼女は静かに頷き、準備室を後にした。

さて、この話をどうするべきか。

確かに、彼女が一人でこの話をしに来たということは、どうにかして欲しいということなのだろう。

でも、彼女一人の意見で教師が独断で動けるほど、甘い世界でもない。

・・・・・・まずは生徒たちに聞いてみるか。

その日のホームルームの時間に、私は生徒たちにアンケートをすることにした。

全員に机に突っ伏してもらい、手を上げてもらう。

この結果によって、先のことを決めることにしよう。

「ではまず、この教室の噂について知っている人は手を上げてください」

すると、二十九人全員が手を挙げた。

ここまでは想定内だ。

なぜなら、この噂はここ一ヶ月で、教師の耳に入るほどだからだ。

「次に、実際に見たことがある人は手を上げてください」

先程の大貫さんを合わせ、十人以上が手を挙げた。

これは想定外だ。

「最後に、この噂が気持ち悪い。どうにかして欲しいと思っている人は手をあげてください」

女子は全員。

男子も半数ほどが手を挙げた。

これは・・・・・・やるしかないな。

「はい。ありがとう。顔を上げてください」

その後は、いつも通りのホームルームを終え、皆を帰宅させた。


「学年主任。ちょっといいですか?」

私は、職員室の手前で学年主任の入野先生を呼び止める。

「どうしました?田口先生」

入野先生が振り返り、私の方を見る。

「あの、今学校で流行ってる噂なんですけど、うちのクラスのほとんどの子が気持ち悪がっていまして。なんとかしてあげたいと思うのですが、私が宿直で泊まることなどはできないでしょうか?」

入野先生は、呆気に取られたような顔をしていた。

そりゃそうだろう。

一教師が、生徒たちの噂話の検証をしたいと言っているのだ。

怒られても仕方ない案件だろう。

しかし、入野先生は少し考えたあと「いいですよ」と微笑んだ。

「え?いいんですか?」

怒られると思っていたので、まさかの返答に私の方がたじろいでしまう。

「うちのクラスでも、今その噂で持ち切りなんです。気持ち悪がっている子もいますし、それでこの噂が終わるならいいでしょう」

入野先生は微笑みながら言った。

「校長と教頭には、私から話しておきます。日程は明日でいいですか?」

トントン拍子に進みすぎて、少し驚いているが、出来るなら有難いことだ。

「はい。大丈夫です。ありがとうございます」

私は、入野先生に頭を下げる。

先生は、私の背中をポンポンと叩くと、職員室に入っていった。


次の日。

入野先生のお陰で、宿直に入ることが出来た。

校長たちは、ただの噂だからと渋ったようだが、先生が説得してくれたらしい。

本当に有難いことだ。

生徒たちが全員帰宅した後、私は全てのクラスの見回りをした。

もちろん問題のうちのクラスも見る。

相良さんの椅子はしっかりと机の下にある。

それを確認して、一度宿直室に戻った。

夕飯を食べ、テストの丸つけをし、気づけば夜の十一時だった。

私は、念の為、学校内の見回りをすることにした。

一階の一年生の教室から回っていく。

一階を回り終え、二階へ上がる。

ここも特に問題は無い。

問題のクラスがある三階に上がろうとした時


ペタペタペタ・・・・・・


三階から人が歩く音がした。

いや、この時間に人なんて居るはずない。

鍵も全て閉まっているし、誰もいないのを確認している。

急いで三階に駆け上がる。

しかしそこには誰もいない。

全ての教室のドアはしっかりと閉められ、静まり返っている。

「きっと気のせいだろ・・・・・・」

そう思おうとした時


ガガガガ・・・・・・


奥の教室から椅子を引く音がした。

「まさか・・・・・・」

私は急いで自分のクラスに向かう。

ドアを開けると、誰もいない。

しかし、相良さんの椅子が・・・・・・動いている・・・・・・。

ちょうど人が座っているような感じで置いてある。

夕方、確かにしっかり机の下に仕舞われていた。

私はそれを確認している。

背中に寒気を覚える。

身震いを一つして、相良さんの椅子に向かって歩き出す。

自分の足音が教室内に響く。

夜の暗闇が、教室の不気味さを増幅させる。

私は、相良さんの椅子を元の位置に戻す。

そのまま深呼吸をして、教室の出口に向かう。


ガガガガ……


背後からまた椅子を引く音がした。

恐怖で心臓が早鐘のように鳴っている。

怖すぎて後ろを振り向くことが出来ない。

恐怖心を抑え、少しずつ振り返ろうとする。

その時、空いてないはずの窓から風が吹いてきた。

生ぬるく気持ち悪い感触が頬を掠める。

恐怖で吐き気がした。

何とか後ろを振り向こうとした時


『セン・・・・・・セイ・・・・・・』


女の子の声が耳元で囁いた。

私は恐怖のあまり、教室から駆け出していた。

宿直室めがけ、全速力で階段をかけ降りる。

二階、一階……宿直室はこんなに遠かっただろうか……。

そう思えるくらい、早く逃げたかった。

宿直室に着くと、扉に鍵を掛け、布団に隠れる。

布団の中から、扉の外の様子を伺う。

物音一つしない静寂。

自分の服の擦れる音だけが聞こえる。

しばらく待ってみたが、何も無さそうなのでゆっくりと布団から出る。

辺りを見回し確認するが、異変はなさそうだ。

念の為、廊下も確認しようと鍵を開けようとした瞬間、また生ぬるい風が吹く。

もちろん窓など開いていない。

背中に何かの気配を感じる。

静かに、そしてゆっくりと後ろを向く。

そこには、血まみれになった少女が俯いて立っていた。

私は、悲鳴も出ず、その場に固まってしまった。

血まみれの少女は、少しだけ顔を上げると


『センセイ……ありがとう……』


そう言って、煙のように消えていった。

私は、その場にヘタリ込み、しばらく動けなくなってしまった。

今のは……相良さん?

血まみれだったが、ポニーテールとワンピース姿だった…。

生前、いつも見ていた彼女の格好だった。

やはり、あの噂は本当だったのか。

私はその場に寝転がり、何ともやるせない気持ちになった……。


スマホがけたたましくなり響く。

起き上がると、窓の外はすっかり明るくなっており、カーテンの隙間から光が漏れていた。

どうやら、あのまま寝ていたらしい。

お陰で体はバキバキだ。

布団の枕元に置いていたスマホを見ると、入野先生からの着信だった。

「おはようございます」

電話に出ると、入野先生がホッとしたように話し出す。

「おはようございます。なかなか出ないので心配しました」

時計を見ると、まだ朝の六時だった。

「こんな時間にどうしたんですか?」

「いや、噂だとは思ったのですが、どうなったのか気になりまして。思わず電話してしまいました」

入野先生は、少し照れくさそうに言った。

信じてもらえるとは思っていないが、嘘をつく理由もないので、昨夜あった事をありのままを話すことにした。

全て話終わると、先生はしばらく無言になった後、今から行くので、改めて話しましょうと言って電話を切った。

六時半を過ぎた頃、あらかじめ鍵を開けておいたドアから先生が入ってきた音がした。

私は音のした方へ向かう。

しかし、入野先生の姿は見えない。

生徒が来るにはまだ早すぎる。

風で開いたのかと、不思議に思っていると、背後に気配を感じた。

私は、入野先生と入れ違いになったのかと思い、後ろを振り返る。

そこには、昨夜の血まみれの少女が立っていた。

思わず変な声が出そうになるのをグッと堪える。

「相良さん……?」

恐る恐る話しかけると

『もう……大丈夫……』

と言い残し、また煙のように消えていった。

その時、ポケットに入れていたスマホがなる。

相手は相良さんのお母さんだった。

「はい。田口です」

「相良です。朝早くからすみません」

お母さんは申し訳なさそうに言った。

「大丈夫ですよ。どうしました?」

「昨日無事に四十九日法要が終わりまして。まだ受け入れられはしませんが、皆さんにご迷惑もおかけ出来ませんので、教室の娘の机を片付けていただければと思いまして、お電話させて頂いたんです」

その声からは、悲しみが滲み出ている。

私は、正直何と答えて良いか分からなかった。

わかりましたとも言えず、昨夜の件があるから置いておきますとも言えず、どうしようかと思っていると、先程の出来事を思い出した。

相良さんの言葉は、これを意味していたんだろうか。

だから、大丈夫と言っていたのか……。

「わかりました。ですが、相良さんはクラスメイトですので、お花と作品だけは飾らせて頂いてもよろしいでしょうか?」

私が言うと、お母さんは声を震わせ、ありがとうございますと言った。

また近いうちにお線香をあげに行く事を約束し、電話を切った。

それと同じくして、入野先生が扉から入ってきた。

「おはようございます。こんな所でどうしたんですか?」

入野先生は不思議そうにしながら靴を履き替えた。

「実は……」

私はその後、先程の出来事を入野先生に話し、二人で教室の椅子と机を片付けに行った。

机に置いていた花と彼女の作品は、後ろの棚の目立つところに置いた。

ここなら、皆を見渡せるな。

机と椅子は職員室横の準備室に片付ける事にした。

こうして私の長い宿直は終わった。

その日の朝、クラスの皆に、相良さんの机と椅子は片付けた事、花と作品は変わらず置いておく事を告げた。

皆それぞれの反応をしていたが、大貫さんは少し安心したようだった。


その後は、少しずつ噂をする生徒は減っていき、そのうち少し内容を変えて学校の七不思議として語り継がれるようになった。

結局、私はあの晩あった事を子供達に話すことはしなかった。

案に怖がらせるだけだと思ったし、幽霊ではなく生きていた彼女を覚えていて欲しかったからだ。

結局、相良さんはあの日以来出てこなくなった。

四十九日法要が終わったのもあるのだろうか。

安心したような、寂しいような、複雑な気持ちだ。

しかし、彼女が生きていた事は確かだ。

これからはその事実だけあればいいだろう。


ガガガガ……ガガガガ……


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