幸せのカタチ

誰かを憎めば、それは自分にも返ってくる。

誰かのものを奪えば、必ず誰かに奪い返される。

だが、愛は必ず返ってくるとは限らない。

それでもあなたは、誰かを憎み、愛し、奪おうと思いますか……?




出会いが何だったかなんてもう覚えていない。

気づいたら私の中に彼がいた。

一人でいるときも、誰かといるときも頭から離れることは無かった。

でも、彼には帰る場所があった。

すでに結婚している人。

子供もいる。

だからって諦めることはできなかった。

例え障害があったとしても、それを乗り越え、その罪を背負う覚悟はできていた。

それくらい真剣だった。



「私、細島さんのことが好きなんです」

私は彼の目を見つめて言った。

「……」

彼は無言で私を見つめていた。

「……やっぱりダメですか……?」

しばしの沈黙。

「ごめん」

彼は手で顔を覆いながら言った。

やっぱりダメなのかな…♯。

好きだけじゃどうにもならないのかな……。

私の視界は涙で歪み始めた。

「君には辛い思いをさせるかもしれない。それでも俺を好きでいてくれる?」

……えっ……?

「俺は妻子持ちだし、時間も金も自由に使うことはできない。君を一番に考えてあげることもできないかもしれない。それでも俺を好きだと言ってくれる?」

まさかこんな答えが返ってくるなんて思ってなかった。

確かに全てを背負う覚悟はあった。

でも、それはあくまで私の覚悟であって……。

何かもうわからなくなってきちゃった……。

自分から告白しといて、いざ答えが返ってきたらどうしたらいいかわからなくなっちゃった……。

「野口さん?」

彼は私の顔を覗き込む。

「はい……。それでも好きです」

私は精一杯の笑顔で答えた。

だけど、私の視界は涙でゆがむ。

「有希……」

私の名前を呼ぶ彼の声はとても優しかった。

「はい・。」

返事をした私の口を彼の唇が塞ぐ。

「有希……ありがとう……」


それがゆがんだ人生の始まりだった。



それから私たちは、できる限り二人でいる時間を作るようにした。

10分でも、5分でも一緒にいたかった。

例えそれが、許されることの無いものだとしても……。



そんなことが1年ほど続いたある日。

私は彼の子供と会う機会があった。

一緒に遊んだりしたわけではないのだが、私の狂気を目覚めさせるのには十分だった。



それは彼の仕事の休みの日。

営業の仕事をしていた私は、彼の家の近くを回ることになった。

それを彼にメールすると顔が見たいと言ってくれたのだ。

私は嬉しくなって、1番に彼に会いに行った。

彼の家に行くことはできなかったが、近くの公園で会うことになった。

子供には公園に遊びに行くと言って連れ出したらしい。

子供が公園で近所の子と遊んでいる中、私たちは隠れてキスをした。

彼に求められている。

そう思えることができた。

その後、私たちは10分ほど話をして別れた。

彼の子供とはちょっと挨拶をしたくらいだった。

彼に良く似たかわいい子だった。


『私も彼の子供が欲しい』


私の中にそんな感情が芽生えた。

いつも私は欲を出さないようにしていた。

欲を出せばお互い辛くなる。

それがわかっていたからだ。

しかし、その感情は日に日に強くなっていき、彼の全てが欲しいと思うようになった。

そして私は、少しずつそれを行動に移すようになった。



子供を作るなら、まずは妻の座が欲しい。

彼らの間にはもう夫婦愛は無い。

それは彼がいつも言っていたことだ。

子供がいるから離婚しないだけ。

ならばその子供を奪えばいい。

奥さんより、私を好きになってもらわなければ。

だけど、それはきっと無理に近い。

だったら、奥さんが子供を投げ出すように仕向ければいいんだ。

そうすれば、彼も奥さんから離れられる。



私の頭は前以上に彼のことでいっぱいになっていった。

正確には彼を奪うことに。

そのときの私にはもうそんな正常な判断はできなくなっていた。

それくらい彼のことを愛していた。



それから1ヶ月ほど経ったころ。

「ねぇ、亮君ってミニカーとか好き?」

私の突然の質問に彼はキョトンとしていた。

「ミニカーか……確かに車は好きだけど。急にどうした?」

彼はコーヒーに口をつけながら言った。

「うん。今日営業で回った先の人にもらったの。何やら新商品らしいんだけど。私がもらっても仕方ないし」

そう言いながら鞄の中を探る。

「なるほどな。そういうことなら貰っておくよ」

私が差し出した紙袋を受け取る彼。

「中見てもいい?」

彼は紙袋を開きながら言う。

「うん。包装とかしてあるわけじゃないからいいんじゃない?」

私は微笑みながら答える。

「おっ。かっこいいじゃん」

彼は満足そうに笑う。

「よかった。パパがそういうなら間違いなさそうね」

「あぁ」

彼はにっこりと笑った。

これが私の策略の始まりなんて思ってもいないんだろう。

私は保険の営業で個人から法人まで、いろんなところを回っている。

これが嘘なんて思いもしないんだろう。

あのおもちゃは私が買ったもの。

紙袋はバレないようにシンプルなものを選んだだけ。

こうやって彼の子供の周りを私のあげたもので埋めていく。

奥さんは気づくかしら。

自分の知らないもので遊ぶ子供に。

なんだか面白くなってきたわ。

「どした?」

微笑む私に彼が問いかける。

「なんでもない。亮君喜んでくれるといいな」

「きっと喜ぶよ」

彼は父親の顔になる。

その顔もいつか私の前だけになるのね。

楽しみだわ……。



私はそれ以来定期的に彼の子供におもちゃを送った。

もちろん他の人から貰ったという名目で。

彼はまったく疑っていない様子。

これならうまくいく。

私はそう確信した。



それから半年ほど経ったころ。

久しぶりに会った彼の顔は疲れていた。

「どうしたの?何かあったの?」

心配になって彼に聞く。

「いや、家のことでさ」

家のこと?

「大丈夫?私でよければ話聞くよ?」

私は彼の手を握りながら言う。

「あぁ。最近嫁が亮をやたら怒るんだ。亮はただおもちゃで遊んでるだけなんだけど」

奥さんやっと気づいたみたいね。

「そうなんだ……。亮君かわいそうね。ただ遊んでるだけなんでしょ?」

彼はため息をつきながら言った。

「うん。あいつが何で怒ってるのかはわかんないんだけど、亮が最近嫁のこと怖がってるみたいでさ。あんまり近づかなかったり、話しかけるときも亮なりに気を使っちゃったりしてるんだよ。俺がいるときはいいけど、俺が仕事で二人きりになったときのことを思うとどうにもさ……」

彼は顔を覆いながら再びため息をつく。

うまくいった。

家族が少しずつ壊れ始めたわ。

でも、まだ後一押し必要なようね。

「じゃぁ、亮くんに息抜きさせてあげたら?」

私のほうを向く彼。

「息抜き?」

彼は首をかしげる。

「そんなこと忘れるくらい自由に遊ばせてあげるの。遊園地とかどこかに連れて行ってあげて」

少し考えた後、彼は首を横に振った。

「無理だよ。亮は人ごみが苦手なんだ。遊園地なんか連れていけないよ」

彼はタバコに火をつけながら言った。

「それは週末に行くからでしょ?平日なら遊園地もそんなに混んでないよ?」

私はニッコリ笑いながら言った。

「でも、平日は俺も嫁も仕事だよ」

「私は平日お休みだよ?」

満面の笑みで言う。

彼は固まった。

それはそうだろう。

まさか自分の子供を愛人に預けるわけにはいかない。

ましてや嫁から子供が離れようとしているときならなおさらだ。

でも、私は知っている。

彼がとても子煩悩なことを。

きっと子供のためならなりふりかまってられなくなるはず。

「うぅん……」

彼は悩んでいた。

「別に無理にとは言ってないから。ただ、そういうのもありなんじゃないかな?と思っただけ」

私は少し寂びしそうな顔をしてみた。

そんな私の顔を見て、彼は私の手を握る。

「ちょっと考えてみるよ」

彼は微笑む。

きっとこれもうまくいく。

彼のことなら私のほうがわかってる。

彼は子供のことを一番に考えて、私と行かせる。

そしたら私の勝ちだわ。

「うん」

私は彼の手を握り返しながら笑った。



それから数ヶ月後、彼からメールが来た。

『有希の次の休みはいつ?』

きた。

『明後日休みだよ。』

私がメールを送ると、彼から電話がかかってきた。

『もしもし?仕事中にごめんな』

彼の声は少し元気がなかった。

「大丈夫だよ。どうしたの?」

私は、にやけそうになる顔を押さえながら、落ち着いた声を装い話した。

『前に言ってた亮を遊びに連れて行く話、覚えてるか?』

「うん。覚えてるよ」

彼は少し間を空けてから話し始めた。

『もしよければ亮のこと連れて行ってもらえないか?有希にこんなこと頼むのは申し訳ないと思うんだけど……。最近亮が笑わなくなったんだ。』

言葉を詰まらせる彼。

『嫁に言っても本人は自覚ないみたいだし、できるだけ俺が外に連れ出してもあまり元気にならないんだ。俺、もうどうしていいかわからなくて……』

やった……。

私の思うように事が進んでる。

「いいよ。私でよければ力になるよ」

私は優しく彼に言う。

『ありがとう。本当に助かるよ』

彼は少しホッとしたように言った。

『正直迷ったんだ。有希は前にああ言ってくれたけど、本当に頼んでもいいのかって……。でも、俺の力だけじゃもうどうしようもなくて……。できることは全てやってみようかと思ったんだ。……有希がいてくれてよかったよ』

勝った……。

「何とか亮君元気付けるように頑張ってみるよ」

『ありがとう……』

彼は本当にホッとしたように言うと、仕事に戻るといって電話を切った。

これでまた先に進める。

彼と亮君には辛い思いをさせちゃったけど、もう少しだわ。

もう少しで……すべて私のものになる……。

すべて……。



2日後。

彼との電話の通り、私は亮君と二人で遊園地に行くことになった。

さすがに奥さんにばれるわけには行かないので、家から離れたところで待ち合わせをした。

「亮君、こんにちは」

私は亮君の目線に合わせるように、少しかがんで挨拶をした。

「亮、お姉さんに挨拶しなさい」

彼は亮君に挨拶するよう促す。

「……こんにちは。」

亮君は彼の後ろに少し隠れたまま挨拶する。

「悪いな。こんなこと頼んで」

亮君の頭を撫でながら彼が言った。

「気にしないで。私子供好きだし」

笑顔で答える。

「亮。今日はこのお姉ちゃんが楽しいところに連れて行ってくれるから。ちゃんと言う事聞くんだぞ?」

彼が言うと亮君は静かにうなずいた。

確かに、前に会ったときよりも元気がない。

なんだか暗い感じの子になった感じ……。

さすがの私も少し胸が痛んだ。

「じゃあ、行ってくるね」

私は亮君の手をとりながら彼に言った。

「あぁ。よろしく頼むよ」

「亮君、パパに行ってきますって」

私が言うと、亮君は無言で彼に手を振った。

「行ってきます」

彼にそう言い、私たちは車に乗り込んだ。


「亮君は何が好きなの?行きたいところとかある?」

運転しながら亮君に尋ねる。

「……?」

亮君は首をかしげるだけだった。

「じゃあ、乗り物と、動物、どっちが好き?」

私は質問を変えた。

「乗り物……」

ポツリと答える亮君。

「乗りものかぁ。なら、遊園地に行こうか。ジェットコースターとか好き?」

亮君の顔を覗き込む。

「僕、車が見たい……」

私のほうを見ながら亮君が言う。

「車?そうだなぁ……じゃぁ、サーキット場に行こうか?確か乗り物とかもあったから」

私が言うと、亮君は無言でうなずいた。



それからサーキット場に着くまで、私は亮君にいろんな質問をした。

何の車が好きなのか?とか、幼稚園は楽しいのか?とか。

亮君はあまり良い反応を返してはくれなかったけど、少しずつ話をしてくれるようになっていった。

でも、やっぱり奥さんの話になると黙ってしまう。

これはかなりいい感じかもしれない。



「着いたよぉ」

出発してから1時間。

ようやくサーキット場に到着した。

「遠かったねぇ。亮君退屈じゃなかった?」

私は亮君をチャイルドシートから下ろしながら言った。

「うん。大丈夫」

小さな声で亮君が答える。

「ならよかった。じゃぁ、中に入ろうか?」

私は手を差し出す。

亮君は少し戸惑った後、私の手をとった。



中に入ってから亮君は少し元気になった。

さすがに前に会ったときほどまでとはいかないけど、今日最初に会ったときよりは気を許してくれているようだった。

一緒にお昼を食べ、ゴーカートに乗ったり、F1カーを見たり、亮君は楽しそうに見えた。



「さて、そろそろ帰ろうか?」

私がそう言うと亮君の顔が少し曇った。

「どうしたの?」

私はしゃがみこんで亮君の顔を見る。

「お家……帰りたくない……」

亮君はうつむきながら言った。

「ママが怒るから……帰りたくない……」

亮君の中ではかなり深い傷になっているようだった。

亮君の目には涙が浮かんでいた。

「……お姉ちゃんのお家来る……?」

私は試しに聞いてみた。

これでうちに来ることになれば思ってもない進展だ。

「パパとママにはお姉ちゃんから言っておくよ?」

しばらくの沈黙の後、亮君は小さくうなずいた。

「じゃあ、今パパに電話してみるね」

私はバックの中から携帯を取り出し、彼に電話した。



「もしもし?有希だけど」

『どうした?』

私の電話に彼は少し驚いているようだった。

「あのね、亮君が家に帰りたくないって言うんだけど、今夜私の家に泊めてあげてもいいかなぁ?」

彼は考えているようだった。

『亮が帰りたくないって言うなら……無理に帰らせないほうがいいのかもな……。わかった。今夜は頼むよ。俺は嫁と話してみるから』

「うん。わかった」

私が彼と話している間、亮君はずっと私のほうを見ていた。

「亮君、パパとお話しする?」

亮君に携帯を差し出す。

「パパ……?」

亮君は小さな声で話し始めた。

「今日お姉ちゃんのお家にお泊りしてもいい……?ママ怒らないかな……」

少し泣きそうな顔で話す亮君。

「うん。わかった。……はい、お姉ちゃん」

私に携帯を渡す。

「ありがと」

私は笑顔で携帯を受け取ると再び電話に出た。

「もしもし?」

『じゃぁ、悪いけど今日は亮のこと頼むよ。亮はハンバーグが好きなんだ。作ってやってくれ』

彼の声は何だか寂しそうだった。

きっと自分で力になれないことが悔しいのかもしれない。

だけど、私にとっては好都合だ。

このまま行けば、思っていたよりも早く手に入るかもしれない。

私の幸せが……。



家に帰る途中、スーパーによって買い物をした。

亮君に何が食べたいか聞くと、やはりハンバーグだと答えた。

さすがはパパだと思った。

その帰りには、亮君の好きなDVDを借りた。

家には亮君の遊べるものなんてないから、可哀想だと思ったのだ。

家についてからは、亮君と二人で夕飯の支度をして、ご飯を食べて、DVDを見て、一緒にお風呂に入った。

9時を過ぎたころには、亮君は疲れて寝てしまった。

そのすぐ後、家のチャイムが鳴った。

こんな時間に誰だろ?

「はぁい」

私が玄関を開けると、そこには貴くんが立っていた。

「どうしたの?」

私は彼を部屋に上げながら聞いた。

「嫁と別れることにした」

「え?」

私はあまりの展開の速さについていけなかった。

「家に帰った後、あいつと話したんだ。でも、あいつは自分は悪くないって言い張るだけで。亮の今の状態の話をしても、聞く耳持たない感じで。このままじゃ、亮があまりにも可哀想だから別れることにした。もちろん亮は俺が引き取る」

彼は寝ている亮君の頭を撫でる。

「もともと夫婦の間にはもう何もないし、亮のためを思って一緒にいただけなんだ。でも、亮にとって今の環境が良くないなら、別れて新しい環境で育てるほうがいいだろう」

亮君を見つめる彼の目はとても優しかった。

「それでさ、こんなときにこんな話をするのはあれかもしれないけど……俺と結婚してくれないか?亮も有希のこと信用してるみたいだし、俺も有希にそばにいてほしい。……ダメかな……?」

彼は私の手を握りながら言った。

「うん……。お願いします」

私は彼の手を握り返す。

「ありがとう」

そういいながら、彼は私を抱き寄せる。

すべてがうまくいった。

しかも思っていたよりも早く。

最高の状態で。



その後、最初のうち奥さんは離婚に反対していたみたいだけど、結局承諾したらしい。

それからは全てがスムーズに進んだ。

彼との結婚。

新居への引越し。

亮君の回復。

私は今までの人生で一番幸せなときだった。




彼と結婚してから3年後。

亮君はもう小学生になった。

私のことをママと呼んでくれるし、あの頃とは見違えるほど元気になった。

そして、私のお腹の中には彼の子がいる。

少し時間はかかったけど、やっと彼との子供を産むことができる。

そう思っていたのだが……。


「じゃぁ。行ってくるよ」

貴君は靴を履きながら言う。

「ママ、いってきま。」

亮君も満面の笑みで言う。

「いってらっしゃい」

私は二人を見送る。

「有希、あんまり無理するなよ。まだ安定期に入ってないんだから」

貴君は私のお腹をさすりながら微笑む。

「うん。大丈夫。二人とも気をつけて。」

「はぁい」

亮君の元気な返事とともに二人は家を出て行った。

今私はすごく幸せだ。

私の努力は無駄じゃなかった。

確かに、二人には辛い思いをさせてしまったけど、その分は私が幸せにしてあげるわ。



その日のお昼ごろ。


ピンポーン


家のチャイムが鳴った。

誰だろ?

また何かの勧誘かな?

「はぁい。どちらさまですか?」

「赤猫郵便です。速達をお届けに参りました」

なんだ。

郵便か。

「はい」

私は玄関を開ける。

「どうも。こちらですね。ここにサインいただけますか?」

「はい」

私は郵便を受け取り、サインをする。

「ありがとうございました」

そういって郵便屋は帰っていった。

「何だろ?」

封筒の後ろには名前しか書いてない。

しかも知らない名前。

「佐伯……愛……?」

中を開けてみるとそれは貴君と写る女の写真だった。

しかも、ほとんどの写真が服を着ていない。

キスをしている写真まであった。

……どういうこと?

せっかく手に入れた幸せなのに……。

許せない……。



その日の夜。

私は貴君に写真を突きつけた。

「あっ……」

彼は明らかに動揺していた。

「どういうこと?」

彼はうつむいたまま何も話さない。

「何とか説明してよ!!」

私は思わず声を荒げる。

「ごめん……。この前の会社の飲み会のときに、酔った勢いで……」

彼は頭を下げた。

「でも、この時1回だけなんだ。この後は何もない。本当なんだ」

彼は必死に言い訳をする。

だけど、確かに彼は毎日早く帰ってくる。

休みの日もだいたい家にいる。

携帯もほとんど鳴らない。

記念日とか、誕生日も忘れたことないし……。

本当にこれ1度だけだったのかも……。

「わかった。信じる」

そういうと、彼は嬉しそうに顔を上げる。

「でも、次はないからね」

「わかった。本当に悪かった」

彼は私にもう一度頭を下げた。

せっかく手に入れた幸せを、簡単に手放すわけにはいかない。

酔った勢いだし、貴君には何の感情もない。

大丈夫。

このまま幸せは続くわ。



次の日。

私は家で一人テレビを見ていた。

やることを済ませ、一息ついているところだった。


ピンポーン


「はぁい」

また何かの郵便だろうと、私は何も考えず玄関を開けた。

だが、そこに立っていたのは20代前半くらいのスーツ姿の女だった。

「……どちらさまですか?」

私は嫌な予感がした。

この女……確か写真の……。

「写真、届きました?」

嫌な笑いを浮かべながら女が問う。

「えぇ。それが何か?」

私は平然を装い答える。

「ふぅん。自身ありって感じですね」

女は私を舐め回す様に見る。

「貴さんは私が居て頂きますから。妊娠してるか知りませんけど、そんなの関係ないし。子供なんて私にだって産めますから。早いとこ新しい男捜したほうがいいと思いますよ。それじゃ」

そういい残して女は帰っていった。

なんなのあの女。

私の幸せは絶対に壊させはしない。

例えどんな手を使っても……。



「ごめん!!」

彼は帰ってくるなり私に頭を下げた。

「今日佐伯が来ただろ?本当にあいつとは何もないんだ。ただ、あいつが俺に好意を寄せてるだけで、俺には何の感情もない。これからはあんなことしないようによく言っといたから。本当にすまない」

深々と頭を下げる彼。

「俺には有希と亮がいてくれればそれでいいんだ」

そういって彼は私を抱き寄せた。

「パパ、何してるの?」

そこに亮君がやってきた。

「亮。パパは亮とママがいてくれれば幸せなんだ。亮もそうだろう?」

彼は亮君を抱きしめながら言った。

「うん。僕、パパもママも大好きだよ」

「亮……」

よりいっそう亮君を抱きしめる彼。

「……!」

その時、お腹に痛みを覚えた、

「有希……?」

私がお腹を押さえるのを見て、彼の顔がこわばった。

「有希!大丈夫か!?」

彼は私に駆け寄る。

「ママ!!」

亮君も異変を察知したらしく、私に駆け寄る。

「救急車呼ぶから!待ってろ!」

携帯を取り出し、彼は救急車を呼ぶ。

「ママ、大丈夫?お腹痛いの?」

そう言いながら、亮君は私のお腹をさする。

あまりの痛みに意識が遠のいていく。

「有希!!」

「ママ!!!」



気づくと私は病院のベッドの上にいた。

横には悲しそうな顔をする貴君の姿があった。

「貴君……」

私が呼ぶと、彼は椅子から立ち上がり私の元へきた。

「有希、大丈夫か?」

彼は私の手を握る。

「うん……」

あたりを見回すと、亮君の姿がないことに気づく。

「亮君は……?」

私が聞くと、彼は椅子に座りながら答えた。

「お袋のところに預けてあるよ」

それを聞いて私はホッとした。

「でも……」

彼は今にも泣き出しそうな顔をした。

「どうしたの……?」

私が聞くと彼は手で顔を覆った。

「お腹の子はダメだった……」

え?

「ストレスから来るものだって………」

……どういうこと……?

意味がわからない……。

「なんとか助けられないのかって……何回もお願いしたんだけど……。どうにもならないって……。今回は諦めてくれって……」

彼の目には涙が浮かんでいた。

「ごめんな……。俺のせいだよな……。俺があんな……」

私はようやく事態を飲み込んだ。

でも、涙は出てこなかった。

切な過ぎて、寂しすぎて……。

横で涙を流す貴君に声をかけることもできなかった。

私の幸せ……私の子……。

その時、不意にあの女の顔が脳裏をよぎった。


あの女のせいだ・・・。


私の中は憎しみでいっぱいになった。

私の幸せを壊すやつは許さない……。



それから3日後。

私はようやく退院した。

退院するときには亮君も来てくれた。

「ママ、荷物は僕が持つね」

亮君は私が帰ってくることが嬉しいようで、ずっと笑顔だった。

彼は何だか複雑な顔をしていたけれど、でも、私が退院することは喜んでくれた。



「今日は俺が夕飯を作るよ」

家に着くと、彼がキッチンに立ってくれた。

「僕もお手伝いする!」

亮君も彼の後を追ってキッチンへ。

何だか私の胸は温かくなった。

この幸せ……壊させない……。


私は夕飯を済ませ、キッチンで洗い物をしている彼の元へいった。

「ごめんね」

私が謝ると、彼は手を止めた。

「何で有希が謝るんだよ。謝るのは俺のほうだよ」

彼は私のほうを向く。

「うぅん。なんか貴君には辛い思いさせちゃったなと思って」

私は彼の肩にうなだれる。

「そんなことないよ。俺は亮と有希がいてくれれば幸せだから」

彼は私を抱きしめる。

「うん。ありがとう」

私も彼の背中に手を回す。

「愛してるよ。有希」

そう言って彼は私にキスをした。

「私も愛してる。」


グサッ


私は手に持っていた包丁で彼の背中を刺した。

「ゆ……き……?」

「大丈夫。亮君はもう先に逝ってるわ。私も後から行くから」

彼はうずくまるように崩れていく。

そして、動かなくなった。



この幸せは……誰にも壊させない……

誰にも……


ザクッ……




誰かを憎めば、自分が傷つき

何かを奪えば、自分の大切な者を失う。

でも、誰かを愛せば、自分を見失う。


それでもあなたは、誰かを憎み、愛し、奪おうと思いますか・・・?

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