通う女

俺は、とあるマンションの警備員をしている。

最近では、オートロックなどがついているところもあるが、ここは防犯カメラと警備員で管理されている。

昔ながらのマンションだ。




俺の仕事は、防犯カメラのチェックだ。

毎日カメラの映像とにらめっこをしている。

あとは、マンションを出入りする人のチェック。

不審人物を中に入れないためだ。

まあ、そのおかげでマンションの人とは仲がよい。

たまに噂好きのおばさんからマンション裏事情みたいなのを聞けたりもする。

何の役にも立たないけど。



「おかえりなさい」

今帰ってきたのは9階の角部屋に住む人だ。

いつも決まって8時半ごろ帰ってくる。

だけど、挨拶を返してくれたことは一度もない。

綺麗な人なんだけど、無愛想な感じだ。

でも……あの人いつも同じ服を着てる気がするんだよな……。

スーツだから同じように見えるだけなのかもしれないけど。

女の人ってスーツにしても毎回違う感じのを着るイメージがあるんだけど。

あれが会社の制服なのか?

……まあ、なんでもいいか。

彼女とかそういうわけでもないし。

「おつかれ」

「あっ。お疲れ様です」

夜勤の小林さんだ。

俺の勤務時間は昼の1時から夜の10時まで。

シフト制になっていて、大抵2人で常駐している。

「今日はなんかあったか?」

小林さんがコーヒーを入れながら聞く。

「何にもないですよ。平和でした」

「そうか。平和が一番だ」

小林さんはここでは一番ベテランさんだ。

とはいってもまだ5年目らしい。

この仕事は、ある意味忍耐力が必要なせいか、みんな入ってもすぐに辞めてしまうらしい。

ちなみに俺は2年目だ。

体を動かすのはあまり得意なほうではないので、こういう仕事のほうが向いているのだ。



次の日。

今日は生憎の雨。

こういう日は住人の出入りもあまり無いので、いつもよりも気が抜けてしまう。

「あっ。おかえりなさい」

いつもの9階の彼女が帰ってきた。

こんな雨のなのに傘もささないで……あれ?

今……洋服濡れてなかった気が……。

カメラで見ても濡れてる感じはしない。

車で帰って来たとしても、駐車場から歩いてくるのなら濡れるはず。

……なんでだ……?

なんだか鳥肌が立ってきた。

「おつかれ」

「おわっ!!」

俺は小林さんの声に驚いた。

「どうした?驚かしちゃったか?」

小林さんは、驚いた俺を見て申し訳なさそうに言う。

「いや、小林さんのせいじゃないですよ。ちょっとボーっとしてたんで」

「そうか?ならいいが」

そういいながらコーヒーを入れる小林さん。

……あの女のことは言わないほうがいいかな。

これから仕事なのに、怖がらせたら悪いもんな。



それから1週間後。

「やぁ、北村君。がんばってるかい?」

声をかけてきたのは大家さんだった。

「大家さん。こんばんは」

大家さんがマンションに来るのは珍しい。

というか、いつもは午前中とか早い時間に来るので、俺と会うのは珍しい。

「どうしたんですか?こんな時間に」

俺は、警備室に招きいれながら聞いた。

「いや、明日新しく入居する人がいるんでね。そのことで来たんだよ」

大家さんは書類を見せながら言った。

「明日ですか?でも、何で俺に?」

いつも新しく入居する人がいても、大概警備員同士の引継ぎのときに聞くことが多い。

俺に直接言いに来ることはめったになかった。

「それがね。明日の人は夕方入居するんだよ。だから北村君に言っておこうと思ってね」

なるほど。

それなら納得だ。

「わかりました。で、どこに入居するんですか?」

「ここだよ。9階の角部屋だよ。」

9階の……角部屋……?

「これでやっと3階から上は全て埋まったよ」

あの部屋には確かあの女の人が……。

「9階の角部屋って女の人入ってませんでしたか?」

俺は思わず大家さんに尋ねた。

「いや。あそこは空いてるはずだよ」

「え……だって」

俺が反論しようとした時、例の彼女が玄関前を通った。

「なんだい?北村君?」

大家さんが俺に聞き返す。

「9階の角部屋は女の人が住んでますよ?ほら」

俺は、カメラの画像を指差した。

「ホントだ……」

大家さんは不思議そうに画像を見ている。

「だが、そんなはずはないな。うちできちんと管理しているから。この部屋には誰も住んでないはずだよ」

腕組みしながら唸る大家さん。

「ちょっと見に行こう。もし住んでるのなら、出て行ってもらわないと。家賃ももらってないし」

立ち上がった大家さんは、俺に鍵を持って一緒に来るように促した。


ピンポーン


大家さんは念のためインターホンを鳴らした。

が、応答はない。


ピンポーン


もう一度鳴らす。

しかし、やはり応答はない。

「北村君」

「はい」

俺は恐る恐る鍵を開ける。

「開けるぞ?」

たぶん大家さんも怖いのだろう。


ガチャ……


「誰かいるのか?」

大家さんは少し大きな声で言った。

なんだか寒気がするな。

「誰もいないのか?」

大家さんは少しずつ中に入る。

俺もその後に続く。


カチッ


電気を点けようとするが、当然点くはずがない。

「北村君。電気あるかね?」

「はい」

俺は懐中電灯をだし、大家さんに渡す。

大家さんは懐中電灯で周りを照らしながら辺りを見回す。

「……誰もいないな……」

大家さんは少しほっとしたように言った。

その後、キッチンや奥の部屋など全て見回ったが、何もなかった。




「悪いが北村君。このことは黙っててくれ」

警備室に帰るエレベーターの中で大家さんが言った。

「でも、大家さん、あそこは……」

「わかってる」

大家さんは俺の言葉を遮るようにして言った。

「君の言いたいことはわかってる。だが、もう契約もしてしまったし、このことが他の住人に知られたら、みんな出て行ったしまうかもしれん。このとおりだ。北村君」

大家さんは深々と頭を下げた。

「大家さん……」

俺は正直悩んだ。

大家さんの気持ちもわかるが、住んでいる住民の人にしてみたら……。

でも、今更知らされるほうが怖いのだろうか?

だけど……。

「わかりました」

俺は心苦しいところもあったが、黙っていることにした。

「すまんな。北村君」

大家さんも何だか苦しそうな顔をしていた。



次の日の夕方。

予定通り新しい入居者の人がやってきた。

「はじめまして。清野といいます。これからよろしくお願いします」

挨拶をしてきたのは若い夫婦だった。

「どうも。ここの警備をしている北村です。よろしくお願いします」

俺は軽く頭を下げる。

「私たちまだ結婚したばかりなんです」

嬉しそうに話したのは奥さんのほうだった。

まだ20代中盤位の可愛い感じの人だ。

「そうなんですか。何かあったらすぐ言ってください。私はいつでもここにいますので」

「ありがとうございます」

そう言って頭を下げたのは旦那さんのほうだ。

旦那さんは30前後くらいのしっかりしてそうな感じの人だ。

何だかお似合いの二人だった。

「では、また」

そう言って二人は去っていった。

俺としては、なんともいえない心境だが……。



その日も、いつもと同じ時間に例の女がやってきた。

「おかえりなさい」

一応声をかけてみるが、相変わらず返事はない。

そして、いつものように9階の角部屋に入っていった。

……あの二人大丈夫かなぁ……。

何もなければいいんだけど。

しかし、俺のその願いは叶わなかった。



二人が引っ越してきてから数日後。

俺は、どうしても心配になって通りかかった奥さんに声をかけた。

「清野さん」

「……はい……」

振り返った奥さんは何だか少しやつれた感じがした。

「旦那さん、お元気ですか?」

俺の問いに奥さんは少し間を置いてから答えた。

「……えぇ。元気ですよ」

その顔は、少し疲れたような笑顔だった。

「そうですか。ならいいんですが」

俺が言い終わると、奥さんは軽く会釈をして部屋に戻っていった。



そのまた数日後。

どうしても不安が拭い去れない俺は、また奥さんに声をかけた。

「清野さん」

しかし、奥さんは俺の声には気づかなかった。

なにかブツブツと独り言を言いながら部屋に消えていった。



その日の夜。

「こんばんは」

俺は、聞いたことのない声に顔を上げた。

「こんば……」

声をかけてきたのは、いつも9階の角部屋に入っていく無愛想なあの女だった。

女はとても嬉しそうな笑みで挨拶をしていた。

……なんだ?

何かすごく嫌な予感がする……。



「じゃぁ、お疲れ様です」

1日の仕事を終え、俺は家路についた。

あの二人、大丈夫かな。

俺はそれだけが気がかりだった。

来たころはあんなに元気だった奥さんが、あそこまで変わるなんて……。

きっと何かある。

明日辺りにでも、ちょっと尋ねて……。


ドサッ


……?

今何か重たいものが落ちる音がした……。

……まさか……。

確認してみよう。

俺は急いで警備室に戻った。

「小林さん」

「ん?どうした?北村君」

小林さんはコーヒーを飲みながら聞く。

「今、マンションのほうで何か落ちる音がしたんです。一緒に来てもらえませんか?」

俺は自分の懐中電灯を持ちながら言った。

「何?わかった」

小林さんも立ち上がり、二人で音のしたところへ向かった。

「確か、この辺だったような……」

「北村君!!」

俺の後ろで探していた小林さんが、慌てた様子で俺を呼んだ。

「何かありま……」

そこには9階の角部屋に住む奥さんがいた。

「清野さん……」

俺は愕然とした。

「旦那さんはどうしたんだ?」

小林さんがはっとした様子で言った。

そうだ。

旦那さんは家にいるはずだ。

「行ってみましょう」

「うん。俺は警察に電話してから行くから、北村君。先に行っててくれ」

そういって、小林さんは警備室へ入っていった。

俺は急いで9階のあの部屋に向かった。



「清野さん!いますか!?」

俺はインターホンを鳴らしながら叫んだ。

「清野さん!!」

ドアに手をかけると、簡単に開いた。

「清野さん!!」

俺はドアを開け中に入った。

そこには、リビングで座る旦那さんと……あの女の姿があった。

が、旦那さんもあの女も俺が入ってきたことには気づかない。

「北村君!」

後から、小林さんが入ってきた。

「清野さん。奥さんが!」

小林さんは旦那さんに近づいて言った。

しかし、旦那さんにはまったく聞こえていない。

「清野さん!!」

小林さんはだんなさんの肩を揺する。

しかし、旦那さんの目は小林さんを見ていない。

どこか遠くを見つめているような目だ。

「お前のせいか?」

俺は女に言った。

「お前が奥さんを殺したのか?」

「北村君?」

小林さんは不思議な目で俺を見る。

「小林さん。きっとこいつが犯人ですよ」

俺は女を指差して言った。

「誰のことを言っているんだ?ここには旦那さんしかいないだろう」

小林さんは俺までおかしくなったのかと顔を強張らせた。

「小林さんには見えないんですか……?」

俺は女のほうを見ながら言った。

「そこには誰もいないよ」

小林さんは静かに俺に言った。



その後、警察と救急車が来た。

俺と小林さんは、第一発見者ということで警察に事情を話した。

始めは旦那さんが疑われたらしいが、あんな状態だったので、最終的には、事故ということで処理されたらしい。

その後、旦那さんは病院に入院。

部屋は家族が引き払い、結局また空き部屋になった。

大家さんは今回の事がかなり堪えたらしく、もうあの部屋は貸さないことにしたようだ。



事故から数日後。

「北村君」

小林さんは何だか切なそうな顔で話しかけてきた。

「何ですか?」

俺はカメラの画像を見ながら答えた。

「あの日、君には旦那さんのほかに、もう一人見えてたのかい?」

その言葉に俺は振り返った。

「小林さん、何か知ってるんですか?」

小林さんはコーヒーを飲みながら話し始めた。

「以前勤めていた人から聞いた話なんだが、昔あそこには男の人が住んでたらしいんだよ。

何でも金遣いの荒い人だったらしくてね、いつも借金取りが来てたらしいんだよ。

そこの部屋に、いつも同じ時間に綺麗な女の人が来てたんだ。

一緒に住んでるわけではなかったらしいんだが、女の人はその男を好きだったらしい。だから、毎日のように通いに来てたみたいなんだ。でもある日、男は逃げた。

彼女を借金の連帯保証人にしてね。

彼女はまったく身に覚えがなかったんだが、名前が書かれている以上逃げられないからね。

男に逃げられたショックと、借金を苦に自殺したらしいんだよ。

きっとその彼女が今も成仏できずに、あの部屋に通っているんだろうね……」

小林さんは少し悲しそうな顔をしていた。



きっと奥さんが死んだあの日。

彼女が僕に笑顔で挨拶をしたのは、本当に嬉しかったからなんだろう。

形はどうあれ、自分だけを見てくれる誰かを手に入れたのだから……。




「こんばんは……」

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