1章

1 遭遇


 眩い光に視界を塗りつぶされると、首にずしりとした重みを感じた。

「おい、成功したのか……?」

「本当にミツカイかしら?」

「変な格好だな」

 ざわめき、訝しむ声──それと緑の匂い。光が落ち着いて目が段々に慣れてくると、まず夕焼け色の空が映った。頬に当たる風はひやりと冷たくて、今の服装だと寒いくらいだ。どうやら開けた場所に立っているらしい私を、沢山の目が見ている。

 なんで夕方になってるの? ベランダにいたはずなのに、いつの間にこんなところへ? それに……

 自分の身に起きたことがわからず、ぐるりと辺りを見回した。人々の後ろには大きな石の柱が立ち並んでいて、私の立っている石造りの舞台のような場所へは近づいて来ようとしない。後方には森があるようだ。何だか、昔教科書で見た海外の平原にある遺跡みたいだ。足元には円状の枠に何かの記号や図式とおぼしきものが彫ってあって、これは──よく漫画やゲームで見る魔法陣のようなものではないか。

 遠巻きに眺めている人達は私と同じ人種とは言い難いはっきりとした顔立ちに、黒に近い髪色の人もいるが、空のような青や若草のような薄緑の人もいる。染めたにしてはとてもあり得ない色だ。私の体の周囲には、未だ光の残滓が舞っている。とても綺麗なのだけど、これも科学的には有り得ない。非現実的だ。少なくとも日本ではない。恐らく……いや、きっと。ここは私の住んでいた世界ではないのかもしれない。


 どっどっと心音が早くなる。いつの間にかどこか別の世界へ迷いこんでしまったということだろうか。少しでも情報が欲しい。じっと息を潜めて、好奇の目を向ける人々をこちらからも観察した。

 ……皆どちらかというと身なりは良くない。恐らく手製の質素な服には継ぎはぎもあり、カラフルな髪はくすんで汚れが見える。見た目からの印象だと、寒村の村人……といったところだろうか。

「首にかかってるのは使った浄化の装身具に違いない……」

「とりあえずレイゾクの儀式だけはすませちまった方が……」

 ──レイゾク?

 話し合いを続ける人たちの口から、何だかとても不穏な言葉が洩れた。レイゾクのレイは、まさか奴隷の隷だろうか? すごく、嫌な予感がする。後ろに広がる森の様子をそっと伺った。まだ鳥たちのざわめきが聞こえるけれど、暗くなればどこかに身を隠すこともできるかもしれない。

 どうしよう。逃げ出してどうなるのか、それはわからないけれど、少なくとも私を取り囲む人々からは好意的な雰囲気を感じられなかった。今は集まって話し合っているし、こちらにさほど注意を向けていない。チャンスは今しかない。そう思った私は、夕暮れの森へ一目散に駆け出した。


 そうしてその場から逃げ出した訳だけれど、私がそんなことをするとは思っていなかったのか、一拍遅れて罵声や追いかける足音が聞こえ始めた。やはり、逃げ出して正解だったのかもしれない。必死に足を動かして森の奥へ奥へと進むけれど、どんどん夜が近づき、足元も見えづらくなってきた。

「あっちから音が聞こえたぞ!」

「絶対に逃がすな!」

 息があがって胸が苦しい。空気が重く感じる。走りながら振り返ると、木々に紛れて姿は見えなくても、追っ手がすぐ側まで来ている気配がする。捕まったらどうなるか。考えても無駄なのに、どうしても頭に余計な考えが浮かぶ。駄目だ、捕まってはいけない、絶対だ。

 ふと、遥か前方にちらと光が見えた気がする。こんな深い森の奥に? もしかしたら彼らの仲間だろうか。このままこっちに進んで本当に大丈夫なんだろうか。少しの迷いで足の動きが鈍り、首から下がったネックレスが跳ね、その存在を重く主張した。

 そう、ネックレス。なんで重いんだろう? 思わず胸元に目をやると、思い描いたサイズよりずっと大きく、そして見覚えがあった。このネックレスは──

「──っぐ、あっ」

 どう、と背中からつき倒され、痛みと衝撃に息が詰まる。逡巡の間に追い付かれてしまった。必死に身をよじってみるが、そのまま乗しかかられこれ以上の逃走は許されそうにもない。

「おい、レイゾクの指輪を持ってこい!」

 既に他の仲間たちも追い付き、囲いこまれてしまったようだ。さすがにこの状態から逃げるのはもうきっと不可能だろう。仰向けに転がされ、乗しかかっていた男が乱暴に腕を取った。私の指に何かをはめようとするのを、最後の抵抗とばかりに拳を握りしめて阻止する。

「このっ、手間をかけさせやがって!」

 激昂した男は何度か私の頬を張ると、仲間から手渡された大きな指輪を左手の中指に通していく。随分大きいようだったけれど、指の付け根でふいにきゅっと小さくなり、私の指にぴったりサイズになった。まるで魔法みたいだ。いや、魔法なんだろう。こんな状況じゃなければ、目の前の夢のような出来事に感激したかもしれない。いっそのこと全部夢だったら良かったのに。

「この首飾りは外しておくか?」

「おい馬鹿、触るな!」

 一人の男がネックレスを引っ張ると、突然バチっと音がしてその手が弾かれる。大きな音はしたけれど、特に痛くはなかった。しかし触った方はそうではなかったようで、当の男は赤くなった手をさすっている。舌打ちをひとつすると私を引きずるように立たせた。

「早く儀式をすませろ」

 引っ張られた腕と肩、未だじんじんと痛む頬が、これは夢では無いのだと突きつけてくる。涙で視界がじわりと滲む。口の中に土と鉄の味が広がるのを感じながら、これからの自分を待ち受ける運命をぼんやりと考えた。

 何でこんなことになってしまったのか。このまま死ぬより酷い目に合うのだろうか。それは嫌だけど、だからといって例えばこの場で舌を噛み切って死ぬような勇気も持ち合わせていない。

 嫌だ、怖い、誰か、────────


「おいおい、こんなところでよってたかって弱いものいじめか?」


 朦朧とする意識の中、どこか懐かしいその声は、確かに耳に響いた。

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