九之三十二
雷音も着地し、碧はとびおりて、暁星丸を抜き放ち、マホシヒコに走って近づいた。
マホシヒコは立ちあがった。
全身を包んでいた霊気のおかげで、身体に損傷はなさそうであったが、髪を振り乱し、槍を構え、何ものも寄せつけないという強固な意思を全身から発している。
その形相が、燃え上がる炎に照らされ、一種壮絶な印象を碧にあたえた。
ひょっとすると、もはや彼には意思など喪失してしまっているのかもしれない。追い詰められ理性をすてたようにさえ見える。
碧はいったん脚をとめ、それから一歩一歩、地面をふみしめるようにマホシヒコに近づいた。
「よるな、虫けら!」
甲走った声で、マホシヒコが叫んだ。焦熱のなかにいながら、碧の背筋に寒気が走るほど、狂乱の態であった。
そして彼は、槍を短く持ちなおすと、その穂先を、かかえたあぐりの首筋にあてた。
「よるな、この娘の命がどうなってもしらんぞ」
もはや冷静さは失われ、思慮のかけらも持ち合わせない行動であった。完全に心の平衡を失っている。あぐりの命を奪えば、自分の理想がかなわなくなることにすら、いまのマホシヒコの乱れた心理では判断できないようだ。
その時……。
彼の胸から、白銀の剣がすっと伸びだした。
何が起こったのか……。
碧も、とうのマホシヒコすら理解できないのに違いない。
マホシヒコは首をまわし、後ろに立つその人物を見た。
そうして自分に何が起きたのかをようやく理解し、理解した瞬間、絶命した。
マホシヒコが前のめりに倒れ、その陰から、
「恭之介……」
碧は、驚愕で声をしぼりだすようにつぶやくのがやっとであった。
マホシヒコが倒れるとともに、背中から胸に突き抜けた剣が抜けていった。その剣を軽く振って血糊を払い、花神恭之介は、かがんであぐりを抱き上げた。
「これは、魂魄石が身体に吸収されているのか。いささか予想外のできごとだな。鬼巌坊め、しくじりおって」
そして、立ち尽くす碧を見て云った。
「どうした、意外すぎて言葉もでぬか」
「…………」
「さほど意外に思うこともないさ、私は大野道犬(治胤。大野治長の弟)の軍に随行していて、異様な霊力が接近してくるのを感じて、ここまで引き返してきたのさ」
そう云ってちょっと笑ったようだ。
軍にくわわっているのに、普段の装束のままというのも奇妙な話だが、それよりも碧は彼の持つ剣に気が引き寄せられた。
それは、かつて果心居士が花神と闘ったときに持っていた剣で、花神はそれの
花神恭之介は、悠揚として紅蓮の風景を眺めわたした。
「愚かなものだ、この男も、この町を焼いた大坂方も。平静を失って、先のことも考慮せず狂態を演じ、自分で自分の首を絞める」
碧はすっと足を出した。
だが、花神は動じない。剣を構えもしない。まるで碧を相手にしていないとでもいうようであった。
「この真田の姫様は、私があずかろう。なに、命はとらんさ。このようないたいけな少女の命を奪うほど落ちぶれてはいないつもりだ。ただ、体内の魂魄石はとりださなくてはならない。その方法を思案せねばならぬが」
言葉が終わらぬうちに、碧は跳び出した。
三間ほどの距離をひと息に詰め、左腕に抱えられたあぐりを避けて、相手の右から暁星丸を斬りあげた。
しかし花神は、勢いもつけずに、軽く二間ほども後ろに跳んでかわした。
碧は三白の眼で花神をにらみ、唇を噛んだ。
「来い。大坂城で待っている」
つぶやくように云った花神の身体から、濃紫の霊気が湧きだし、闇に塗り込めるように姿を包み消していった。
燃え盛る炎のなか、霊気のうごめくその一点だけがブラックホールのように冥い。
「恭之介!」
碧は叫んだ。だがその叫びは、花神の残した影のような霊気の澱みに、むなしく吸い込まれていくだけであった。
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