九之二十七

 いっせいに碧たちは走り出している。

「おのれッ、この愚か者どもがッ!」

 アマソラノマホシヒコが、憤激を吐き出すように叫んだ。丸く大きく輝くようだった眼は血走ってひきつり、憎悪の色がにじみでている。

 マホシヒコは、かっと叫んだ。全身にまとわせた霊気が解き放たれ、すさまじい重みをもった霊圧が取り囲む碧たちを圧してくる。碧たちは進撃をとめた。ばかりか、跳ね飛ばされそうになる身体を、けんめいにこらえるので精一杯であった。

「およそ徳川の手の者であろう。我らの前途を阻むために来たのであろう。権勢に媚び、理想をふみにじらんとする下劣な者どもめ。お前たちのような愚劣な人種はことごとく殲滅せねばならぬ。我ららの目指す理想郷創造の邪魔はさせぬ」

 さらに、マホシヒコから霊気がほとばしる。

「我こそは神に選ばれし天の使いである!天空真星彦アマソラノマホシヒコ!天空に真聖なる輝きを放ち人々を導く極星であるッ!」

 彼のずっと後方の、沼島から立ちのぼる紫色の靄は、今ではすでにこちらにずいぶん近づいていて、山肌を這うようにじわりじわりと山頂に迫っていた。

「我は絶対である。我は至高である。我を崇拝せよ」

 右手に持って仰々しく掲げていた天之瓊矛あめのぬぼこをふるった。

 霊気が烈風となって、碧たちを襲う。囲んでいた四人は、一斉に数間吹き飛ばされた。

 舞台上にはもう、マホシヒコとあぐり姫と、碧たちしかいない。あとは、気絶しているヒナメとつくばっているカヌタヒトがぽつんとみえる。

 真聖神惶教しんせいしんこうきょうの幹部たちや巫女たちは舞台から姿を消していた。危険を察して逃げ出したらしい。舞台の下の信者たちも、まるで呪縛から解き放たれたごとく、さすがに信仰よりも命が大切なのであろう、しだいに逃げはじめている。

「もうよい、充分魂魄は集めたであろう」

 マホシヒコはそう云って、信者たちから奪いとった霊力を注ぎ込んだあぐりのかたわらに寄った。そうして片腕で彼女を抱き寄せた。

「この黒い霊気の靄こそ我らが神である。神世、大地を創造せしとき、イザナキ、イザナミ両大神をお乗せしたのが、高天原たかまがはらより随行した八百万やおよろずの神がひと柱、このオノゴロ様である」

 すっと浮きあがって、そのままゆっくりと上昇していく。

 辺りはもうずいぶん黒紫の靄に覆われている。

 鶫が昇りゆくマホシヒコにむけて鋼糸につけられた錘を投げたが、ふたりをつつむ霊気によってはじかれてしまった。

 ――なんということだ。

 碧は茫然と立ち尽くし顎をあげて、靄のなかへと消えていくふたりの影を見送った。

 まったく途方にくれる思いであった。もはや完全に碧の常識の範疇を越えた出来事であった。

 山頂を覆う大量の、この靄のような物質がしんじつ神だとするならば、いったいどうしろというのだろう。こんな靄を吹き払えるような、例えば西遊記に登場する芭蕉扇のような道具でもなければ、あぐり姫を救い出すことも、マホシヒコを打倒することすらまるでかなわぬではないか。

 その前に、すっと巨大な影が近づいた。

「なにをほうけておる、忍の娘よ」

 そう低く腹に響くような声をかけたのは殃狗、雷音であった。

「あきらめるか。マホシヒコを倒すことも、姫を助けることもあきらめるか」

「なら、どうしろというの。こんな理解を越えた現象をむこうにして、どう闘えというの」

「俺はあきらめん。姫を追う」

 どう返していいのか言葉がみつからず、碧はただ上目づかいに雷音をにらんだ。

「まだ闘う気力があるなら、俺の背に乗れ」

「…………」

 混迷に沈む碧に、嵐が近づいて、肩を叩いた。

「迷っている暇なんてないんじゃないのか。方法なら、とにかくふたりに追いついてから考えようぜ」

 叱咤するような声に動かされて、碧は嵐をじっと見かえした。

「まあ、私は考えないけどな」嵐はにっ白い歯をみせた。

「うむ」と雷音が同意した。「この娘の云うとおりだ。まずもって、ふたりの後を追うのが先決よ」

「わかったわ」碧は迷いをふりきるように決然と云った。「私を連れていって」

「そうこなくては。乗れ、娘よ」

 碧が雷音の背にまたがった。続けて、嵐と鶫もその後ろに飛び乗る。

「ま、まてっ、誰がさんにんとも乗ってよいと云った!?」雷音が狼狽する。

「けちなこと云うんじゃないよ」と嵐が云う。

「そうよ、闘いは数よ」と鶫が云う。

「じゃあ、お願いね、雷音ちゃん」

 首筋をなでながら云う碧のあまりにも気軽な懇請に、しかたがないとでもいった具合で(なでらられて実際くすぐったかったのか)雷音は首をふった。

 ではゆくぞと声をかけて、雷音は空中を跳ねるように昇りはじめた。

 それを、鬼巌坊が黙然と見送っていた。その無感情にみえる眼差しからは、彼の心底にひそむ思惑はまるで推し量れぬ。

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