九之十六
「みんなどうしちゃったんだろう」
そっと碧の横にならんだ弥之助が訊いてきた。どうやら碧の様子から正気であると判断して、思いきって声をかけたようなようすであった。ちょっと声がうわずって、不安な気持ちを必死におさえようとするのが声によくあらわれていた。
「あなたは大丈夫なの」
「よくわかんないけど、どうして碧おねえちゃんとおいらは大丈夫なんだろう」
「ううん、さっきから考えていたんだけど、入信してまだ日が浅いからじゃないかしら」
「それか信心がたりないかだね」
長い時間をかけて、例えば儀式などの時に信者に暗示をかけてきたとも考えられるし、弥之助の
碧は自分よりまだ少しだけ背の低い少年の、おびえたように震える眼をちらと見た。
「弥之助さん、あなた行列を抜け出して、そのまま逃げなさいな」
「え、なんで」
「なんでって、マホシヒコたちが何を企んでいるのかわかったものではないのよ。この先、命を奪われる危険だってあるんだから」
「おねえちゃんはどうするの」
「私はこのまま皆についていって、ことのしだいを最後まで確かめるわ」
「なんで」
「なんでって……」
碧は口ごもった。自分が
「まあ、好奇心というものかしら」
我ながら、すっとんきょうな云いぶんであった。
「じゃあ、おいらもついていく」
「バカ云わないで」
つい声が高くなってしまった碧の裾を弥之助が軽くひっぱって、
「しっ、気づかれちゃうよ」
こまっしゃくれた調子でたしなめるのだった。
――もはやせんかたない。
心中で碧は嘆いた。折をみて当て身でもくらわせて気絶させて、道端に置き去りにでもするしかない。粗雑な嵐と等級の単純極まるアイデアではあったが、やむをえないであろう。
「オノゴロォ、オーノーゴーロォー」
信者たちは呪文を唱えながら、南へ向かって歩く。
行列が通り過ぎる村や町の沿道では、人々が奇妙なものをみる目つきで立ちどまってながめ、時にはあからまさに侮蔑的な言葉を投げかけてくることもあった。
――なんじゃぞろぞろと、けったいな奴らじゃ。
――まったく気味が悪いわえ。
――このままどっかへ
そんな声が聞こえてくるのだ。
しかし、信者たちは歩き続けている。
脱落するものなど皆無であった。
飲みもせず、食いもせず、息をするように呪文を口から吐き出しながら、まったく疲れもみせずに歩きつづけるのだった。歳若い男女だけでなく、老人も子供も平然としたようすである。
おそらくこれもマホシヒコの妖術か暗示術の類なのだろうと碧は推測した。だが、たまらないのは碧や弥之助である。正気であるふたりにとっては、正気を失った信者たちについていくのはたまらくつらい。碧は生まれてこのかた忍術の修行にあけくれてきたが、しかしこれほど長時間歩き続けた経験はなかった。小用をたすのも水を飲んだり汲んだりするのも夜に紛れておこなって、食事は伊賀特製栄養補給食の
そうして二日目の昼に、嵐にあった。
実際は、通り過ぎながら碧は眼で合図をおくって、嵐はこくりとうなずいただけであった。その隣には笠をかぶった雲水が並んで立っていた。鬼巌坊であろう。
――嵐め。
碧はいらだった。疲労とストレスが手伝って、嵐の身勝手さに神経が逆撫でされて、まったく腹立たしい気分であった。今度、泣いてあやまるまで説教をしてやろう。
その夜中、碧は弥之助とともに行列を抜け出して、農家の井戸で水を汲んで兵糧丸を食べた。
そろそろ限界だろうと、座り込んで脚をさすっている弥之助を見ながら碧は思った。ここで気絶させてしまえば、明日の朝にはこの家の人がみつけて、介抱してくれるであろう。実際弥之助は、いつ気を失ってもおかしくないほど疲労困憊の態で、井戸端でうなだれるように座っている。よくもまあ、好奇心だけでこれまで歩き続けられたものだ、と碧は感心するくらいであった。
碧はそっと、弥之助の後ろに近づいた。
そうしてうつむく後ろ首に手刀を叩きこんだ。うっとうめいて、弥之助は横倒しに倒れて、しばらくするとすやすやと寝息をたて始めた。
――これでいい。
碧は思った。弥之助には恨まれるかもしれないが、何が待ち受けているかもわからない先行きに、これ以上罪もない少年をかかわらせるわけにはいかなかった。
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