九之十四
着物を脱ぎ、筵のうえに膝をつき、しわのよった上半身を地につかんばかりに前に倒して座る老婆の、その背は曲がっていて黒い肌をしていた。長い年月過酷に働いて、たまりにたまった労苦が体内からにじみでたような黒さだった。
アマソラノマホシヒコはその黒い背中から手をはなし、静かに声をかけた。
「さあ、痛みはどうかな。少しはやわらいだろう」
老婆は、ゆっくりと身体を起こした。
「ほ、こりゃあたまげた。痛みがまったくのうなりましたわい」
そう云ってしぼんで垂れた乳を隠そうともせず、老婆はなんども頭をさげた。
「それはよかった。また、痛みがぶりかえすようなら、いつでも遠慮なく云ってくれよ」
優しく声をかけて、マホシヒコは老婆の肩に貫頭衣をかけてやった。
「へえへえ」
老婆は両手をこすりあわせ、まだたりないとでもいうくらいに、何度も頭をさげつづけている。
周囲で見守っていた彼女の家族たちも、手を合わせて拝み、感謝の言葉をくりかえしている。
にっこりとほほ笑んでマホシヒコはその家から出た。
外で待っていた三人の供にひとつうなずくと、神殿へむかって歩き出した。
すれちがう人々が立ちどまって手をあわせて拝むのに、マホシヒコはいちいちうなずきかえす。
――不思議なものだ。
マホシヒコは厄払いや
彼が手をかざしてなにか言葉をかけてやると、今まで苦しんでいた病人はふいに痛みがやわらぐ。彼自身、自分になにかしらの神通力があるとは思ってはいない。ただ、彼の発する言葉にはひとの気持ちをひきつける何か特殊な力があり、手のひらから特殊な霊気が出ていると相手は信じ、そのせいで、自己治癒力とか自己免疫力とかいうものが働いて、苦痛が取りのぞかれるだけでなく、病じたいが快癒したりもするのだ。
それはひとつの生まれもった才能なのかもしれないが、人々がマホシヒコに求めている神がかりのような霊能力ではけっしてないと、自分自身わかっているのだった。
儀式などにおいて彼の使う霊能的な力は、彼自身から発せられるものではなく、槍につけられた強い霊力をもった石の力によるものであった。
「準備はとどこおりなく進んでおろうな」
後ろを歩く長身の男に声をかけた。
「万事、遺漏なく」
抑揚なくその男、ナヅキカドは答えた。
「伊達の
「沈黙しております。伊達政宗という御仁、われらを手なずけ、いいように手駒に使おうと軽く考えておったようで。どうもイスパニアの協力がうまく得られないようすで、計画が破綻してしまい、われらももう不要なのでございましょう」
「つなぎなどもないか」
「まったくございません。仔細を知るわれらを討滅に来るかとも予測しておりましたが、その気配さえございません」
「なめられたものだな」
「もとより、表裏さだかならぬあの御仁の言など信じてはおりませんでした」
そうよな、とマホシヒコはつぶやいた。後ろを歩く、カヌタヒトという男はいつもどおりまったく口をきかないし、ヒナメという少女はほほえみながら後についてくる。マホシヒコは、話を変えた。
「大野修理が送り込んできた女だが、いささかめざわりだ。ああいう、男はすべて自分に惚れると思っているような、
ナヅキカドが冷淡に答える。
「どうせ、猊下を篭絡しようと、あのような、みめよい女を送り込んできたのでしょうが」
「なめられたものだな」
「まったく浅知恵ですな。凡俗の感覚などその程度のものです」
「
「あれこそ、信用のおけない人物です。けっしてお心を許されませんように。あの女にも、日下
「鶫と云えば、先日捕まえそこねたという
「ご懸念は無用にございます。我らの送り込んだ
「あと少しで我らの念願が成就するのだ。油断してはならん」
前のほうから道を歩いてきた中年の男が拝むのに、またマホシヒコは手をあげて答えた。
「われら四人で力をあわせ、ここまできたのだ」
感慨深くマホシヒコはつぶやいた。
彼の人を魅了する才能に、ナヅキカドが計略を練り、カヌタヒトが敵を排除し、ヒナメが支えてきた。
四人で田舎のいんちき霊媒師のようなところからはじめて、土着信仰を利用して信者を集め、組織をふくらませ、大名さえも一目おくほどの宗教団体を作りあげた。
ひたすら十年余りをついやして、理想を目指してここまで発展させてきたのだ。
「次の儀式が終われば、神が降臨し、我らの理想郷を築くことができる。もうすぐだ、もうすぐ……」
神殿の門のまえで脚をとめたマホシヒコは振り返って、後ろに続く三人を見た。
ナヅキカドもカヌタヒトもヒナメも、じっとマホシヒコの眼をみつめかえした。
その絡みつく視線にはこの四人にしかわからない、ある種の熱情のような力がこもっているようである。
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