八之十七(第八章完)
鶫はそれを、攻撃を
落ちていく碧を追って跳躍した鶫は、直後、その追撃が軽率であったと悔やんだ。
庭にいた死人兵はすでに嵐によって打ち倒され、気絶した多くの百姓の身体が足の踏み場もないほど地面を覆っている。
しかも、跳んだ着地点を挟むようにして、もう碧と嵐が待ち構えていた。
舌打ちしつつ、ふたりの間に鶫は着地した。
「どうする、裏切り者」嵐が余裕の笑みを浮かべて云った。「今すぐに、おとなしく土下座をしてごめんなさいとあやまれば、わたしが頭領にとりなしてやるよ。ちっとは痛いおしおきが待ってるだろうがな」
「ふん」と鶫は鼻で笑った。「冗談じゃないわ」
鶫は今度は、錘を手で握り、短刀のほうを頭上で回転させはじめた。
短刀の柄頭から伸びる鋼糸は回転するたびにその長さを増し、その鋼糸を旋律の律動で操り、鶫は挟み撃ちするふたりを威嚇するように振った。
と不意に威嚇から攻撃に転じ、凄まじい刃風とともに繰り出された「
高速で回転する短刀は、闇を引き裂くように右に左に攻撃を続け、挟み込むふたりに攻撃する機をまるであたえなかった。
ふたりは躱しながら後退するしかない。ふたりの距離がじょじょに開いていく。その距離が左右あわせて十間ほどもひらいた瞬間、退却どきと判断した鶫は短刀を回転させつつ庭の隅まで跳んだ。
「復讐は、今度ゆっくり楽しむことにしましょう。それまで首を洗って待ってなさい、碧」
短刀の柄へと鋼糸を引き戻して鶫が云う。
碧と嵐が、鶫へ向けて走り出す。
ところへ、鶫の前に黒い蝙蝠羽織の男――陰陽師
「
祥馬のつぶやきとともに、彼の前方に五芒星の魔法陣があらわれ、眼もくらまんばかりの光を発した。
夜目に慣れていた碧と嵐の眼は、じっさいくらんで、まったくなにも見えなくなった。碧は立ちどまったが、嵐はそれでも勘を働かせて、眼をつぶったまま、鶫が立っていたあたりまで走って拳を振った。だが、その拳は空をきった。
「くそったれっ」
嵐の叫びが静まりかえった夜の闇にこだました。
眼のもどった碧はその闇をみつめた。鶫の去った
「おい、なんだこりゃ」
あきれたような、そして腹立たしげな伊野栄次郎の声が碧の後ろから聞こえてきた。
碧は即座に走り寄って、
「はなはだ、申し訳ない仕儀になりまして」
深々と頭を下げた。
「仕儀になりまして、どころの騒ぎじゃねえな、おい」
そうして彼は、瓦礫のうずたかく積もった庭の反対側を見て、
「ああ、納屋が……」
「かえすがえすも……」
碧は頭を何度もさげさげ、ひたすらに謝罪を繰り返すしかない。
「こいつらはどうすんだよ」と栄次郎は折り重なって倒れる大勢の百姓を眺めわたし、「みんな死んじまったのか」
「いや、気絶してるだけだよ。ほっときゃそのうち眼をさますよ」云いながら嵐が近づいてきた。
「誰だ、おまえ」
「納屋を倒したのもこいつらだし、修理の代銀はこいつらに請求してくれよ」
「だから、誰だよ」
「あのう」碧が心底から申し訳なさそうに、「こうなってしまった以上、私たちはこの地にとどまれません。つきましては、私の知人が……、小吉という男が訪ねて参りましたら、碧は一揆の勢力範囲を避けていったん東に戻る、とお伝えください。それで相手はわかりますので」
「おい、なんで俺が伝言役をしなくっちゃならないんだよ」
「これは、些少ですが、これまでの滞在費とご迷惑料ということで」
云いながら碧はふところから出したいくばくかの金子を、栄次郎に握らせた。
「いや、金の問題じゃなくてだな」
「では、失礼いたします。伊野様、ごそうけんで」
碧はくるりとふりかえると、そのまま逃げるように走り去った。当然嵐もあとに続く。
「ちょっと、待てよ」
栄次郎は叫んでみたが、ふたりはもう、闇に消えて気配すらなくなっていた。
そして、周りにころがる百姓たちをまたながめて、溜め息をつきつつ頭を振るしかなかった。
その後。
大坂夏の陣に同調して蜂起した紀州の一揆勢は、死人兵と化した一部の百姓たちの戦力もあり、一時は和歌山城になだれこむほどの勢いをみせるが、浅野方の策略にはめられて、殲滅させられてしまう。
伊野栄次郎は、結局、大坂方の誘いを断りきれず、一揆勢の軍師として参加することになるが、敗戦の混乱のなか姿を消す。爾後の行方はようとして知れない。
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