八之十六

 嵐の差し出した手をとって、碧は立ちあがった。

 彼女は数日前からこの近辺で碧の潜入先を探していたのだが、今夜百姓たちの集団が移動しているのを発見し、こっそりと後をつけてきたものであった。

「なにやってんだよ」

 怒ったように嵐は云いつつ、背負っていたふた振りの刀を碧に投げてよこした。それを空中で受け取って、碧は、

「なにと云って、罪もないお百姓さんたちを、どうやったら傷つけずに倒せるか思案してたんじゃないの」

 いいわけしつつ、桃色の魂魄石が柄についた宝刀「暁星丸あかぼしまる」を左腰に、愛用の忍者刀を背に背負った。(以前は暁星丸を背にし右腰に忍者刀を差していたが、右に刀を差すとどうも落ち着かないので今の差しかたにかえた)

「このまえ教えただろう」つっけんどんに嵐は云う。

「なにを」

「こいつらを操っている蟲の律動さ」

「そりゃ教えてもらいはしたけれど」

「わたしたちが、いつも使っている戦慄の律動はここ」

 と云って嵐は手のひらを額の辺りでふらふら振った。

「そうしてこの蟲の律動はこのへん」

 と今度は首のあたりで手を振る。

「だから、こっちが放つ律動はこのへん」

 さらに右手を前にして振る。

「それがわからないんだってば」

 今度は碧がむっとして云った。

「どうしてわからないかな」あきれたように嵐が返して、「ああもういいよ。こいつらはわたしが相手するから、あんたは裏切り者のほうをやっつけちゃいな」

「そうする」

 云うと碧は嵐に向かって跳んだ。

 嵐の頭のうえに跳んだ碧の足の裏を嵐が手で押し、押されつつ碧はさらに勢いをつけて跳ね、ひと息に死人兵と化した百姓たちの海を越え、鶫の立っている母屋の茅葺きの屋根のうえに着地した。勢いで茅に足首までずっぶりと埋まった。

 と同時に、鶫の後ろにいた黒い蝙蝠羽織の男が、後ろさがりに闇に消えていった。

「さすがに」と鶫は苦い笑みを浮かべた。「嵐があらわれるとは、計算外だったわ」

 そうして腰の短刀を抜き、その柄頭から錘をひっぱりだした。

 碧も、腰の暁星丸と背の忍者刀を同時に引き抜く。

 地上では、嵐が地面に拳を打ちつけていた。地を伝って放射状に律動を放つ「石打ちの法」である。嵐が地面を打つたびに、彼女の周囲にいる死人兵が、電流が走ったように痙攣して倒れこむ。

「落ちたわね、鶫」

 最前と同じ言葉でののしりつつ、碧は思案した。碧も鶫も、屋根の傾斜にはりつくようにして構えている。ここは足場が悪い。そのうえ、先夜のような大地に大穴を穿つほどの強烈な一撃を鶫に撃たれると、確実にこの粗末な家は倒壊するであろう。これ以上伊野栄次郎に迷惑をかけるわけには、いかない――。

 鶫の左腕がふいに振られ、錘が碧の顔をめがけて飛んできた。先日と同じ攻撃であった。軽い牽制攻撃くらいの意味合いなのであろう。ボクシングでいえばジャブ攻撃である。

 碧は右手の暁星丸で軽く錘を打ち返した。錘は翻ってすぐにまた襲ってくるが、今度は左手の忍者刀で跳ね返す。それでも錘は間断なく襲ってくる。その攻撃を左右の刀で碧は打ち返す。いま手にしているのは以前の短刀ではなく、使い慣れた暁星丸と忍者刀である。しかも二刀流であった。今夜のジャブの撃ちあいは、完全に碧に分があった。

 碧は両腕の刀をひらめかし、次々に襲う錘をはじきながら、鶫との間合いを詰めていった。

 間合いが二間に迫ったとき、碧は屋根を蹴って、一気に鶫に肉薄した。

 肉薄しつつ振るった暁星丸の一閃を、鶫は上空に跳んで逃げた。逃げつつも、下にいる、ちょうど刀を振りおろして背中ががら空きの碧にむけて錘を放つ。察した碧は強引に腰をひねって、頭上に迫りくる錘を打ちあげた。

 鶫は空中で前転して、さっきまで碧のいた位置に着地した。立ち上がる碧の足がずるりと滑る。

 ――やはりここは足場が悪い。

 さきほどから、脚の踏ん張りがきかず、振る一閃一閃にちからが入っていないようだ。

 横目でちらりと地上を確認すると、嵐がもうずいぶん死人兵を打ち倒している。

 鶫の頭上で回転させている錘が、ふいに伸びた。屋根の斜面に平行に錘がつむじ風のように薙いでくる。

 後方宙返りをうって、碧は躱す。躱して着地した瞬間を狙って、錘がまた襲う。今度は大きく漆黒の虚空へとむかって跳んだ。

 眼で追った鶫のその瞳にうつる碧の身体が、暗黒に包まれた大地へと吸い込まれていく。

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