八之十五

 筵にくるまって眠っていたあおいは、ふっとなにかを感じて眼をさました。

 最初、納屋に入り込むすきま風の冷気で起こされたのかと思った。だがどうも違う。身じろぎせずに、神経をとぎすませ、周囲の気配をさぐる。

 と、得体の知れないものが、ひたひたと近づいてくるような、妙な圧迫感があった。しかも、ひとつやふたつではなく、そうとうな数の何者かがにじり寄ってくるようだ。

 人にしては生気がない。

 ――まるでたくさんの人形のような……。

 そう思いいたった瞬間、碧は跳ね起き、枕元の短刀をつかんだ。

 まさかと思った。あのつぐみがそんな大胆なことをするとは思えないが。

 様子をうかがおうと、戸板に手を伸ばした瞬間、その戸が、むこう側から押し倒された。

 さっと身をひく碧であった。

 その戸口からは、数人の百姓が、軟体動物のようにゆらりゆらりと身体を揺らし、地獄の亡者のようなうめき声を口からもらしながら、入ってきた。

 ――死人兵しびとへい!?

 以前この蟲を使って人をあやつる蟲術と一戦した伊賀崎嵐いがさき らんの報告を聞き、藤林衆ではそう呼ぶことになっていた。

 おのれの意思をなくし、体内に寄生する蟲にあやつられ、まるで生きた死体のような百姓たちは、不快なうなり声をだしながら、碧に向けて、両手を前にして倒れ込むように抱きついてくる。

 碧は直上に跳んで、頭上の梁にぶらさがった。

 もつれあうように倒れた三人を踏みつけるようにして、次々に男たちが入ってきて、たちまち土間は意思をなくした百姓たちであふれかえった。

 勢いをつけて碧は板敷きのほうへとび降りると、即座に明かりとりの窓へと跳んで、外へと脱出した。だが、そこにももう百姓の男女がいる。三方から数人がいっせいに碧につかみかかった。碧は屋根のうえへと逃げた。

 板屋根のうえから伊野家の庭をみて、戦慄した。

 そこはもう、数えきれないほどの死人兵で埋め尽くされ、月の薄明かりのなかで、黒々とした人々の無数の頭がうごめいている。まったくおぞけの走る光景であった。

 ぐらりと屋根が揺れた。

 はっとして周囲をみると、納屋の壁四面から、人々がのぼってくる。

 十何人かのその重みで、造りの雑であった建物はかしぎ、すぐに倒壊した。碧はジャンプして死人兵のあふれる庭のまっただなかに降りた。

 中にいたものたちは、その塵埃のなかから、まるで痛みを感じていないように、ひとりふたりと立ち上がる。瓦礫を押しのけ、覆いかぶさる他の者も押しのけ、平然と立ちあがるのである。

「なんだ!?」

 と驚愕の叫びをあげて母屋の玄関から飛び出したのは栄次郎であった。

「外に出ないで!」

 しかし碧のその叫びよりもはやく栄次郎は引っ込んだ。この異様な光景を眼にすれば当然の反応であったろう。

 碧の周りはもう、死人兵に取り囲まれていて逃げ出す隙間もない。短刀の柄をつかんだものの、碧はためらった。妖術で操られている無辜むこの百姓たちを、斬る気にはなれない。

 周りの男たちが、いっせいにつかみかかってきた。

 それらの腕をいなし、身体を蹴り飛ばし、投げ飛ばして抵抗したものの、すぐに碧は人の波にのみこまれてしまった。

 押し倒され、数人の男に押さえつけられて、もう身動きがとれない。

「ほほほ、ざまないわね、碧」

 どこかから鶫の嘲弄が聞こえてきた。

「落ちたわね、鶫っ」

 ののしってみたが、その声が彼女に届いたかどうか。

 少しでも彼女の裏切りが狂言であると期待した自分が情けなかった。

 男が、腹のうえにまたがった。その重みで、息がつまったが、男はまったく頓着せずに、覆いかぶさるように身体を倒すと、その口を大きく開けた。

 するとその洞穴のような真っ暗な喉から、なにかがうごめき出てきた。

 その長い舌のような触手は糸をひく粘液をまとわせ、のたうちながら碧の口へと伸びてくる。

 ――卵を産みつけられる。

 そう碧は直感した。

 嵐は云っていた。

 この人々の体内に寄生している蟲の波長と反発する波長の旋律の律動を流し込めば、蟲は体外へと放出される。

 だが、碧にはその波長がわからない。

 こんな不気味な敵集団に襲われながらその波長を読みとった嵐に、碧は心底から脱帽せざるをえない。嵐はこと格闘にかけては超一流のセンスを持っている。

 ふと、なにかが破裂するような乾いた音がした。

 と思ったら、碧のうえに乗っている男が急に身体をのけぞらせた。男は倒れ込むと、口から幼虫のような蟲を吐き出し、気を失っていた。

 続けて数回、破裂音がし、音がするたびに人が倒れる。

 碧が頭を起こすと、足元で人の影が飛び跳ねていた。紺色の影が跳ねるたびに、ひとりふたりと死人兵が倒れていく。

 周囲の死人兵があらかた倒れ伏すと、その影が動きをとめて振り返った。

「ずるいよなあ。わたしをおいてけぼりにして、こんな楽しいことしてるんだからよ」

 飄々ひょうひょうとした口ぶりに、綽々しゃくしゃくとした笑みを浮かべている。

 伊賀崎嵐であった。

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