八之三

 右は納屋の壁、左は生垣、善珠が引き金を引く一瞬に逃げられる状況ではなかった。

「あんたら馬鹿かい」とこれはのたうちまわっている男ふたりにむけて善珠は云った。「どうせ相手を確かめもせず、衝動で犯そうとしたんだろう。この娘は伊賀のくノ一だよ。まあ、欲情を押さえられなかった自分の馬鹿さ加減をうらむんだね」

 碧の背後に人の気配が増えた。気がつくと、さっきまで善珠の後ろにいたゼニヤスがいない。回り込まれて退路をふさがれたようだ。

「碧どの、どうかしたのかえ!?」

 納屋のなかでは、戸を叩きながらあぐりが叫んでいる。

 はっとしたのは、善珠であった。

「なんだい、子供の声?」と戸口のほうをみた。「なんで子供の声がするんだい」

 彼女の後ろにいた数人の男は顔を見合わしている。

「へえ、まあ、この辺をうろうろしてたもんで」といいわけするように語りだした中年の男はこの家のものであろうか。「せっかくなんで、捕まえて人買いに売り飛ばしてやろうかと」

「くだらないこと云ってんじゃないよ!」

 男の話を遮るようにそう云った善珠の声は、完全に怒声であった。

「おい、トロハチ」

 善珠がすべて命じるまでもない、力士のような巨体のトロハチはへいとひとこと返事して心張棒をはずすと納屋の戸を引き開けた。

「さあ、出てきていいぞう」

 間のびしたトロハチの呼びかけに、ぞろぞろと少女たち(と仔犬の魔物いっぴき)が庭に出てきた。

「四人も?あんたら、一揆がしたいのかい、人さらいがしたいのかい?」

 凄まじい威圧感をもった善珠の言に、男たちはたじたじの様相である。

「とりあえず、この子供たちは開放する、いいね!?」

 男たちはうなだれた。

「かわりにこの女をふんじばって、納屋に放り込んでおきな。いいかい、あそこのふたりみたいになりたくなかったら、余計な気を起こすんじゃないよ、わかったね」

 そうして、善珠は銃口を碧の鼻先にさらに寄せて、

「あんたも、わかってるね」

 ひとりの百姓男が納屋に入って縄を持ってくると、短刀をとりあげ、碧をぐるぐる巻きにしばりつけた。

 善珠が少女たちを助けたのが、善意からなのか碧を捕縛するのに利用したのかは解しかねるところだが、碧からすれば、彼女の云うことに従うほかに道はなさそうだ。

「碧どの」

 引っ立てられる碧に、あぐりが心配そうに声をかけた。

「おや、このお嬢ちゃんは、いい身なりしてるね、どこの子だい」

 善珠が不思議そうに問う。

「わたしは真田左衛門佐の娘のあぐりじゃ」

「姫っ」

 と碧が叱責してももう遅い。

「真田様の、お嬢様あ?」

 善珠の顔がたちまちほころんだ。ほころばせつつも、なにか頭の中でぐるぐると考えを回しているようだ。碧の反応からみて、この少女の言動が嘘ではないと判断したのだろう。やがて算段がかたまったようで、

「姫様あ」となぜか異様に甘ったるい声をだして善珠は、「このままお家に帰りたいですかあ、それともお父上様にお会いしたいですかあ?」

「え、父上?父上に合わせてくれるのかえ?」

「ええ、それはもちろん。云い遅れましたが、わたくしたち、先日、十勇士の末席に名を連ねることになりました、杉谷善珠と手下のゼニヤスとトロハチです」

「それだと十三勇士になりそうなものじゃが……、それは本当かや?」

 とあぐりは、確認を求めるように碧をみた。碧は答えて、

「いけません、あぐり様、お屋敷にお戻りくださいっ」

「おだまりっ!」善珠が碧を制して、あぐりに振り向いてまたすぐに相好そうごうを崩して、「お友達は、責任をもって、みんな無事に送り届けます」

 あれあのとおり、と善珠が指さすと、三人の娘は、ひとりはトロハチに肩車に乗っかって、ふたりは両手で抱えられていた。

「トロハチは、子供たちの人気者ですから」

 善珠に紹介されたトロハチは、その巨体と丸い体躯が子供に受けるのだろう、少女たちはみな、さっきまで窮地に陥っていたことも忘れたように、けたけたと笑声をあげている。

「じゃあ、ついでに碧どのも」

「それはいけません。あの女は伊賀の忍です。姫を利用してお父上を苦しめようとするわるものです。信用なさってはなりません」

 とっとと閉じ込めちまいな、と善珠は百姓男に命じて、さあさあ、とあぐりを母屋のほうにいざなった。

「くれぐれも、碧どのに手荒なまねはしないでおくれ。みんなもきっと家に送り届けておくれ」

 懇願するようにあぐりは云った。

「母上に、あぐりは無事だから心配しないようにと伝えてね」

 そう言伝をして、あぐりは、友達がトロハチに連れられて去っていくのを見送った。

 あぐりは、母屋へと、善珠に手をひかれていった。その後ろから仔犬のような魔物がついていく。

 あとには、ゼニヤスがひとり残って、

「姫を利用しようとするわるものは、姐さんのほうじゃねえか」

 ぽつりとつぶやいた。

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