八之四
つい先ほどまで、納屋の割れた羽目板のすきまから陽の光がさしていた。その筋を描いていた陽の光がしだいに弱くなって、いつか小屋のなかは真っ暗闇になっていた。
――つい先ほどまで……。
だったかどうかは疑わしい。碧の時間の感覚がずいぶん支障をきたしている。
日中はずいぶん暖かくなった季節ではあったが、陽が沈んでしまうとたちまち冬のような冷気につつまれた。いわんや、節穴だらけの納屋の土間においてはなおさらで。
両腕は天井の梁から下げられた紐で吊られていて、ただの百姓がしばったとは思えないほどみごとなしばりかたで、さきほどから縄抜けを試みているがまるで抜けられる気がしない。身体も柱に荒縄で巻き付けられていて、碧は尻をじかに土間につけているので、そこから冷たさが全身に伝わってきて、さきほどから、腹が冷えてしまって、ずっと尿意にたえているのだった。
外で数人の近づいてくる気配がすると、納屋の戸ががたがたと音をたてて開かれた。
冷えきった身体をさらにこごえさせる夜気とともに、大きな体躯が、戸口をくぐるようにして入ってくる。
杉谷善珠が、皿に握り飯をふたつ乗せたのと湯呑みを持っていた。
後ろにはふたりの子分がひかえていて、ゼニヤスのほうは手燭を持っていて、入り口のところでこちらに光をむけている。碧をこうして血もとまらんばかりにきつく縛りつけているのに、まったく油断しないところは、彼女らが戦士として多くの経験を積んだ
善珠は碧の前にかがんで、皿を鼻先につきだして、
「ほれ、あたしが手ずから持ってきてやったよ」
勝ち誇ったように云う。
碧は顔をそむけた。
「大丈夫だよ」あきれたように善珠は云った。「毒なんか入ってやしないよ」
そうしてひと口握り飯をかじって、かじった部分を碧の口もとに近づける。歴戦の戦士も、こういうところは、まるで無頓着であったが、碧は空腹に耐えかね、しかたなしに、差し出された飯にかぶりついた。雑穀のぼそぼそとした飯だったが、続けてふたつともむしゃむしゃ喰った。喰って、湯呑みの白湯を――これも善珠がひと口毒味したのを――喉をならして呑んだ。
「さて、腹はくちくなったかい」と善珠は云って、「それじゃあ、あんたをどうしようか考えようかねえ」
その唇が薄暗い手燭の光に照らされて、不気味にゆがんだ。
「この村にわざわざ出張ってきた理由は、まあ聞くまでもないね。一揆の調査に来たんだろうし、あんたみたいな下っ端ふぜいが重要な機密を知っているわけもないから、拷問したところで何も出やしないし、だからって、この間コケにされた因縁もあるしねえ、さてさて」
黙ってそっぽを向いた碧の耳に、善珠は唇を近づけて続けた。
「やっぱり、あんたにゃあ、男たちのなぐさみものになってもらおうか。この辺りの百姓どもはみんな、良識を持って生きている奴らばかりじゃあない。本格的に一揆が起きれば理性なんぞふっとんで、みさかいがなくなる連中ばかりさ。あんたひとりが犠牲になりさえすれば、大勢の女たちの貞操が守られるってもんだ」
善珠は節くれだった指を、碧の吊りさげられた二の腕に立て、まだ薄くしか毛のはえていない脇をくすぐり、乳頭のうえを通りすぎて腹から股へと、いやらしく、なぶるようにすべらせていく。
「生娘ってわけじゃあ、ないんだろう」
その指が、碧の秘所でうごめいて、
「あらまあ、意外だねえ。猿飛に、
猿飛め、と碧の脳裏に彼の軽薄な笑みが浮かんだ。あの少年忍者、余計なことをべらべらと、ずいぶん喋ったらしい。もっとも、猿飛佐助からすれば、善珠のほうが味方で碧は――行きがかりじょう共闘したことがあるとはいえ本来は敵なのだから、知っている情報を仲間に教えるのは当然であろう。
「いや、日下じゃなくって、本当は花神とかいうんだったっけ。あんな
云って善珠は立ち上がった。
「まあいいさ、今晩ゆっくりと考えて、明日の朝までにあんたの処分をどうするか決めることにするよ。楽しみに待っていな」
と立ち去りかけて、ふとふりむいて、
「ああ、おしっこはもらしちまいな。さっき男たちのあれを使い物にならなくしたおしおきだ」
「待って」
「ああん?」
「姫様はご無事なんでしょうね」
「心配にはおよばないよ。私としても、せっかく手に入れた掌中の
じゃあね、と手を振って善珠は出ていった。
暗闇のなか、碧は考えた。
このままへたに逆らうよりも、杉谷善珠にあぐり姫をあずけたほうが、姫の身は安全かもしれない。
それよりもまず、自分がこの危地を脱せねばならぬ――。
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