八之二
あぐりの頭越しに部屋をみわたすと、そこは薄暗くて埃ぽくて十畳ばかりの広さの土間で、彼女と同年代らしい少女が三人ばかり、農具やら藁束やらの間にかたまって座っていて、その脇には仔犬らしい動物がいっぴき、寄り添うようにして座っている。
「なにをしておいでです」
碧は眼を戻し、もう一度、鼻の頭が触れ合いそうなほど真近にある小さな、今にも泣きだしそうな顔を見て訊いた。窓は碧の顔よりちょっと高い位置にあるのだから、あぐりは自分よりもずっと高い窓に、両手でしがみついている。
「いや、なに、この辺で一揆が起きそうな気配だと小耳にはさんだのでな、はたして一揆とはどんなものじゃろうかと見物に来たのじゃ」
「お友達と連れ立って?」
「うん」
「一里も歩いて?」
「うん」あぐりは申し訳なさそうに苦笑いして、「せっかく来たのに、これこのとおり、つかまってしもうた」
「つかまってしもうた、ではありませんっ」
やんちゃ姫は、怒気を含んだ声音に驚き、しゃくるように息をのんだ。
「姫さまは、一揆がどのようなものかご存じですか」
碧の、師父加瀬又左衛門ゆずりの、うるさ型の質がたちまち頭をもたげだした。
「ご存じでないから見物に来たのじゃが」
「一揆は戦といっしょなのです。百姓たちが武士にたてついて武装蜂起するのです。それをまるで祭りか辻芸見物のように。みな命と生活をかけていて気がたかぶっている状態で、女子供といえどなにをされるかわかったものではありません。だいたいあなた様はご自分のお立場がわかっておいでですか。お父上の真田左衛門佐様は、いま大坂城で豊臣に加勢しておられるのです。であるのにかかわらず、のこのこと出歩いて浅野(紀州領主)の者にみつかれば、お父上にご迷惑をかけるのですよ。いえご迷惑ですむ話ではありません。姫様は縛りあげられて大坂城の門の前まで引き出され、見せしめのためにはりつけにされてお父上の目の前で槍で突かれて処刑されるのです」
もちろん、これは碧の脅しである。徳川家や浅野家にその気があるのなら、とうにやっているだろう。
あぐりはまたひっと声をあげた。眼には涙を浮かべている。
「ひ、久しぶりの再会じゃというに、い、いきなり怒らなくってもよいではないか」
「姫様が無分別だからです。怒られて当然とご理解ください」
そうしてふと、碧は娘たちの傍にいる犬に眼をやった。いや、犬のように見えるが、白い地に茶と黒の三毛模様をしていて、
「あれはなんです?」
「あれとは……、
「名前を訊いているのではありません」
「いや、迷子のようでな、かわいそうなんで最近飼い始めた仔犬なのじゃが」
「あれは仔犬などではありません。
「ば、ばかをもうすな。あんな可愛い仔犬が魔物なわけがなかろう」
「いえ、魔物です。さあおわたしなさい。今すぐに始末せねばなりません」
「し、始末!?嫌じゃ、断固としてわしは嫌じゃっ」
「わたさねば助けてさしあげませんよ」
「そんなむたいな。虫も殺さないような顔をして云う事がどぎついのう」
「おだてても容赦しませんよ」
「別におだててはおらんが」
その刹那であった。
碧の身体が後ろから組つかれ地面に押し倒された。
そのままひとりの百姓らしい男が碧の肩を押さえつけ、もうひとりが足首をつかんで無理矢理広げようとしている。
「どこの娘か知らねえが」足首をつかむ男が眼を血走らせて云った。「勝手に他人様の家に忍び込むような悪い子は、お仕置きしなきゃあな」
「あっ、碧どの!?」あぐりが悲鳴のように叫んだ。
子供の眼の前で女を凌辱して恥じる気持ちなど彼らには寸分もない。まだ全国的に教育制度が発達しておらず、とくにこのような田舎では、倫理道徳などという観念すら持ち合わせてはいないものが少なからずいる。
男たちはすでに興奮状態であった。足元の男は、まだ碧をしっかりと確保もしていないのに、みずからの股ぐらに手を伸ばして、ものを取り出そうとする。
碧を押さえる手が当然ゆるんだ。
瞬間。
男が股間を押さえてすっころんだ。その股からは血が流れだしている。
碧は身をひるがえしつつ、もう一度、短刀ふるった。
肩を押さえていた男が驚いた時には、彼の股間からも血が噴出していた。
男たちは数里先まで届きそうなほどの大音声の悲鳴をあげる。
碧は舌打ちした。まったくの油断であった。
「姫様、すぐに戸をあけます」
云い終わらないうちに、碧は納屋のおもてに向けて駆け出している。
と、その納屋のかどから、
「なんだい、騒々しいねえ」
大柄の、左目に眼帯をした女が姿をみせた。
――まったく、次から次に……。
なんて巡りの悪い日だ、と碧は歯噛みして脚をとめ、眼の前の女を上目づかいににらんで短刀を構えた。
大野治長の客分で、碧とは幾度か干戈をまじえている。彼女の後ろにはその子分であるところのゼニヤスとトロハチの姿も見える。
「おやおやおや、こいつは奇遇だねえ」
善珠はにたにたと笑いながらも、肩に担いでいたライフル銃の銃口を、碧にぴたりと向けるのだった。
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