七之十六(第七章完)

 花神恭之介は、冷静に碧の剣技に対処しつつ、心のうちで嘲笑していた。

 ――こんなものか。

 という気がしていた。

 彼は、すでに旋律の律動が霊気操作術であることを看破している。

 それで、嵐や鬼巌坊が自分の氣をこぶしにこめて打撃し防御するように、恭之介は自分の霊気を操作し剣に集中させ、碧の攻撃をはじいていたのであった。

 恭之介が嘲笑したのは碧のおごりであった。

 まだ歳若く、狭い世界しか知らず、特技を会得し自分が強くなったと錯覚し、いい気になっている蛙のような少女をあざわらった。

 もっと冷静で自己制御のできる娘だと思っていたし、良識と見識を持った娘だとも思ってもいた。それが、恭之介がこの屋敷にいると知ると無謀にも挑みかかってきた。怨讐にとらわれてみずから打倒することなど考えず、城外の藤林衆を引き入れ、戦の混乱に乗じて恭之介を討ちに来るのが正攻法であろう。だが彼女はそうはしなかった。自分の剣法におぼれているのだ。その剣法とて、さきほど凄まじいまでの剣技を見せたかと思えば、今はもう仲間の敗北に狼狽して剣筋が乱れている。

 まったく愚劣であった。

 いま目の前にいる娘は、彼の毛嫌いする愚劣で低俗な庶民たちとなんら変わらない、とるにたらないただの小娘であった。

「かいかぶっていたか」

 激烈な攻撃が続くなか、泰然としたようすで恭之介がつぶやいた。

「なに?」

 彼の侮蔑のひとことが碧の感情をあおり、彼女の動きがすばやさを増した。残像がまるで分身にみえるほど、その怒気みなぎる四肢はすさまじい動きを見せていた。

 だが、恭之介はまったく平然と受け流している。

 彼女のその動きは剣技の昂揚ではなかった。たんなる怒りの暴走であった。

「お前はその程度の娘であったか。物事の本質も見抜けず、進路を見誤り、陳腐な剣技を身につけ思いあがる程度の、ちっぽけな娘であったか」

「黙れ!」

 叫んで振り下ろした碧の刀は、剣筋が逸れ、まったくあらぬ虚空を切り裂いた。

 焦って碧は伸びきった姿勢から身体を回転させる。

 躍りあがりつつ薙がれた刃が恭之介の剣に受け止められた。

 彼は鼻でひとつ笑った。

 笑った直後、攻撃に転じた。

 碧の身体を蹴り飛ばすと、剣が閃いた。

 恭之介の剣技はまるで舞踊のようであった。

 片手で持つ剣を右に左に振り、回転させ、斬り、突く。


 碧は両手の刀で必死にその攻撃をはじき、受け、いなした。

 そして、何十合目かの防御の瞬間、左手の忍者刀に剣が吸い付き、くるりと回転してからめとられた。

 忍者刀は天高くはねのぼった。

 のぼっていく刀を碧は思わず眼で追ってしまった。

 ところへ続けて恭之介は左手をつきだした。

 手のひらから発せられた衝撃波に碧の身体が後ろに跳ね飛び、ぶざまに尻もちをついた。

 そのすぐわきに、落ちてきた忍者刀が突き刺さった。

 瞬間、

 ――負ける。

 碧は心が折れたのを感じていた。

 たちまち死の恐怖が心に膨満してきた。膨満し、あふれ出し、今にも金切り声をあげて叫び出したい衝動が全身を駆け抜ける。

 恭之介は剣の切っ先を碧の鼻先に向け、悠揚とした足取りで、しかし高圧的に迫まりくる。

 碧は暁星丸を突き出し、振り回し、必死に威嚇するようにしながら、尻を滑らせて、もがくように退いていった。

 その背が、庭の片隅に植えられていた、なにかの立木に打ち付けられた。

 すがりつきたい、と碧は思った。

 もはや木でも岩でもなんでもいいから、すがりつき泣き出したい気持ちであった。

「最後に、もう一度だけ訊く」

「…………」

「私のもとに来い」

 碧は下唇を噛んだ。うわめづかいに仇敵を睨んだ。

 そして彼の高慢なものいいに、かえって死の恐怖が薄らぐのを感じた。かわって再び心奥から憎悪が湧きあがり、彼に冷然と命脈をたたれた加瀬又左衛門や果心居士の顔がふっと頭をよぎった。

「いやだ」

 ぽつりと、しかしはっきりと彼女は云った。

 恭之介は憐れむように彼女を見、その口をなまめかしく動かした。

「ならば死ね」

 右手の剣が蒼天を刺し貫くように振り上げられた。

 刹那であった。

 いくつもの轟音が天空と大地を揺るがし戦場全域に鳴り響いた。

 碧は驚愕して東の空を見上げた。

 恭之介も振り仰いだ。

 鬼巌坊も、気絶した鶫を小脇に抱えた妖狐祥馬も天を見上げた。

 その真っ青な大空を背景に、数条の黒い流星が北から流れゆく。

 流星は本丸の城壁を、櫓を、館の屋根を突き破り、もうもうと砂塵を巻き上げた。

 なんだ、と疑問を口にするのも忘れて、碧はただその突然の不可思議な光景を茫然と見つめた。

 碧たちだけではない。

 この大坂の戦場にいたすべての人々が、ただ声もなく見つめた。

 そうして、さらに爆音とともに飛来した流星が城の天守閣の一層を貫いた。

 大地を睥睨し漆黒の威容を誇る絢爛豪華な天守が灰燼にかすむ。


 慶長十九年十二月十六日。

 この日、大坂城の北、備前島に設置された大筒より放たれた幾十の砲弾が、大坂の台地を鳴動させ、人心を震撼させた。

 その砲声は大坂冬の陣に終止符を打つ酷烈なる咆哮であった。


(第一部完)

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