七之十五

 鬼巌坊の身体が反動もつけずにふわりと舞い上がった。

 嵐へと向かって放物線を描きながら飛び込みつつ、回転蹴りを放った。

 旋風脚――。

 その名の通り、まるでつむじ風のような凄まじい足技であった。

 嵐は後ろに飛びのいた。

 着地した鬼巌坊は、また反動もつけずに飛んで、蹴りを放つ。

 今度は直下から突き上げてくるような蹴りであった。

 嵐はさらに飛びのく。

 鬼巌坊の身体はまだ空中にあり、蹴りあげた脚が振り下ろされ、続けてもう一方の脚が天を突くように蹴りあげられる。

 嵐はのけぞって躱した。

 つまさきが顎の先を紙一重に通り過ぎる。

 着地した鬼巌坊は、間髪いれずに突きを繰り出した。左右から、凄まじい拳の連打が続く。しかも、拳は上段、中段、下段とふりわけられ、左右の腕をもってさばく嵐は、相手の動きを読むゆとりなどはなく、ただ突き出される拳に無心で反応し続けていた。

 鬼巌坊の拳に込めた氣功と、嵐の拳に込めた律動が反発しあい、防御するたびに衝撃波が周囲にひろがる。

 しかし、やがて攻撃が防御をうわまわりはじめた。

 繰り出される鬼巌坊の拳の数発に一発が、嵐の顔や腹部に入り始めた。

 たまらず後ろに下がって間合いをとろうとした嵐の顎が、つま先で蹴りあげられた。

 身体が弓なりに反りかえり、腹部が鬼巌坊の眼前にさらされた。

「終わりだっ!」

 叫びつつ放たれた鬼巌坊の拳が、嵐のみぞおちにまともに入った。

 のけぞっていた身体が、瞬時に反対に折れ曲がりふっとばされた。

 嵐のくの字なりに曲がった身体が庭を横切り、屋敷の塀を破壊し、それでも止まらず道を越え、向かい家の塀を砕いてやっと止まった。

 板塀の残骸に身を沈め、急激に薄らいでゆく意識のなかで嵐は思った。

 ――また、同じだ。

 と。

 最初の闘いの時と同じだ。結局私は腐れ坊主に勝てないのか――。


 鍔迫り合いを続けていた碧は、完全に集中がそがれた。

 屋根のうえから鶫の悲鳴が聞こえたと思ったら、数瞬後に視界を横切って嵐が飛んでいき塀の向こうへ消えた。

 集中がそがれた一瞬のその隙を、花神恭之介は見逃してくれない。

 ふと気がつけば、恭之介の放った衝撃波を顔面にくらって、二間ほども後方へよろめいていた。

 体勢を立て直そうとするところへ、恭之介の投げた脇差が飛んできた。

 念動力で操られた脇差は、風車のように回転しながら、凄まじい速度で迫ってくる。

 碧は、しかし冷静に暁星丸で弾き飛ばした。

 が、恭之介は、左手を横に伸ばしている。

 その手の先には、大地に転がった果心居士の剣が陽の光をはじいていた。

 恭之介はそれを念動力を使って引き寄せた。

 碧が構えを整えた時にはもうすでに、彼は剣を右手に持ちかえ、悠然と立っている。

 しまったと彼女が歯噛みしたときにはもう遅い。最初にあの剣を確保しておくべきであった。

 ――落ち着くのだ。

 自分の心に向けて、碧は語りかけた。

 落ち着かなくてはいけない、呼吸を整え、旋律の律動を操り胡蝶輪舞へ持ち込まなくてはいけない。そうすれば、私の剣技は恭之介の剣技をうわまわれるのだ、先ほどのように圧倒できるのだ――。

 恭之介は冷酷な眼差しで彼女を見つめている。自らが命を奪った師の剣を手に余裕を身体全体にみなぎらせている。

 その余裕のたたずまいに、碧の嫌悪感が刺激され、唾棄したくなるほどの不快さが腹の底から溢れ出てくるようであった。

 ふっと息を吐き、碧は恭之介のふところ目がけて走り込んだ。

 間合いに入った瞬間、碧は飛んだ。敵の死角に飛んでは斬り、斬っては身体を移し、ふたたび胡蝶輪舞の輪のなかに恭之介を包み込んだ。

 だが、彼はまるで動じていない。しっかりと腰を落ち着け、舞う蝶のような碧の動きを冷静に見切り、片手に持った剣で受け、いなし、わずかな隙を目ざとく察知して突いてくる。

 動揺したのは碧であった。

 ――どうしたというのだ。

 斬撃の感触がおかしい。

 受ける恭之介の剣にはじかれる。まるで磁石の同極どうしが反発するように、刀と剣が打ち合った瞬間に引き離されるような感じであった。

 旋律の律動は、かんぜんに機能しているはずだ。

 なのになぜ――。


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