七之十四

 屋根のうえは周囲に遮蔽物も当然なく、ただ寒い。

 北から吹きつける寒風が、鶫の身体を容赦なく、冷酷なまでにさいなんでいる。

 鶫は、短刀の柄頭つかがしらにある錘をおもりをにぎり、鋼糸をひっぱりだした。ひっぱりだした鋼糸を持ち、錘をふった。鋭くうなりながら、錘が回転し円を描く。

 眼前の妖狐灼昂しゃっこうと一体化した幸徳井祥馬は、白い体毛に陽光をはじきながら、その今にも飛びかかってきそうな体勢に反して、じりじりと這うようにして間合いを詰めてくる。

 その巨体が一歩進むごとに、屋根瓦がきしみ乾いた音をたてた。

 狐の真っ赤な裂けた口から吐き出される白い息が、なにか地獄にたゆたう霊気のようである。

 ――間合い。

 と見たのは鶫であった。

 即座に、左手から錘が妖狐めがけて放たれた。

 妖狐祥馬が残像を描いて横飛びに跳ねてかわした。

 旋律の律動で錘をあやつり、鶫は前方に飛んでいく錘を直角に曲げて、彼のあとを追わせた。

 妖狐がまた跳ねる。

 錘が追い続ける。


 ――ぬう、小癪な。

 内心でうめきつつ、屋根の棟をはさんで、右に左に飛び跳ねる祥馬を、錘が追尾してくる。

 祥馬は錘を躱しつつ、しかし確実に鶫との距離をせばめていった。

 その距離が一間に詰まった時、ふっと錘が消えた。

 消えた気配を察し、祥馬の動きがとまった。

 転瞬、彼の足元から、瓦を割り錘が飛び出した。

 妖狐は空中で回転しつつ後方へと大きく飛びのき、また最初の位置へともどる。

 もどって気がつけば、また錘が消えている。

 と思った次の瞬間に、またも足元から錘が飛び出してきた。

 妖狐は避ける。

 避けたところへ、錘が飛び出してくる。

 躱しても躱しても、何度躱しても、天井裏をつたう錘が確実に彼をとらえて、休む暇をあたえてこない。

 祥馬は大きく跳んだ。屋根の端から棟を飛び越え、その反対側の端へと。

 が、その身体が空中で軌道を変えた。まるで見えない踏み台でもあったように、宙を蹴って、鶫へ向けて跳躍した。


 ――しまった。

 相手を追い詰めていたと思っていたのに、一瞬にして攻守が逆転した。

 鶫の操る錘は、彼の着地点を想定して動かしていた。いま、その着地予定点から錘を飛び出させてしまった。

 錘を戻そうとするが、祥馬の方が完全に速い。

 空中で腕を振り上げつつ、白い妖狐が迫る。

 が、鶫は躱さず、反対に彼に向かって飛び込んだ。

 意表をつかれて慌てて腕を振り下ろした祥馬であったが、その股の下を、鶫はスライディングすしてすり抜けた。

 妖狐が着地した。

 瓦を踏み割り、破片を周囲にまき散らして、その動きを一瞬止めた。

 その一瞬へ向けて鶫の短刀が投げられ、突き出される槍の穂のように走った。

 振り返った妖狐の頬を、刃がかすめた。かすめた短刀を、祥馬は反射的につかみとろうと腕を伸ばした。

 だが、短刀は鶫のもとへと帰っていく。帰っていくと見えたら、すぐさま祥馬へ向けて突き出されてくる。

 鶫の手元には、すでに錘が戻されていた。彼女は鋼糸を操り、まるで手に持った短刀を、間断なく突き出すように、宙に浮いている短刀を引いては突き、突いてはまた引く。

 だがその攻撃は直線的である。

 祥馬はその連撃を、妖狐の魔的な反射神経をもって、軽く身体を振るようにすべて躱していく。

 その動きがふいにとまった。


 ――短刀は陽動であったか!?

 彼が気がついた時には、屋根裏を伝って後ろにまわっていた錘が瓦を破って、すでに身体に鋼糸が巻きついていた。

 鋼糸は両腕と胴体を縛りあげている。

 祥馬はもがいた。

 だが、もがけばもがくほど、その細い鋼糸は皮膚を締め付け肉に喰い込んでくる。

 妖狐灼昂しゃっこうの膂力をもってすれば、簡単に引きちぎれそうな細い糸なのに、しかし、どうしてもちぎれない。

「とどめ!」

 叫んで、鶫が走りよる。

 が……。

 瓦を踏み鳴らしながら接近する彼女の身体が、突如青白い光に包まれた。

 その走る脚が止まり、身体をのけぞらせて、城外の戦場まで届きそうなほど、天空を引き裂くような悲鳴をあげた。

 彼女の周りには、青白い光を放つ線で五芒星が描かれていて、彼女はその中心で苦痛の悲鳴をあげている。宙に浮きあがり、雷電に撃たれたように全身を震わす。

「慢心よな!」

 祥馬が叫んだ。

 彼は、鶫の錘の攻撃から必死に逃げていたように見えて、その実、ひそかに周囲に結界札を貼っていた。

 その札で描かれた緊縛の囲い罠のなかへ、鶫は飛び込んでしまっていた。

 鋼糸がほどけおち、祥馬がとがった爪で彼女を指さした。

「お縫、いやさ伊賀の鶫よ」

 彼は心の奥底にたまった憎悪を吐き出すように叫んだ。

「苦しむがいい、私が味わった悲痛のぶんだけ、ぞんぶんに苦しむがいい!」

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