七之四

 碧と嵐は武家町の片隅で話している。

 碧は神父のあとをつけつつ、町の人たちに彼のことを訊いてまわってのち、嵐と合流して探索結果を報告しあっていた。

 照合した情報によると、神父も雲水も日課のようにいつも町を歩いていることが判明した。午後からもでかけることはあったりなかったりらしいが、午前中はまず町へ出ていくそうな。

 嵐などは大胆なことに大野屋敷内に潜入して情報を集めていた。神父や雲水の情報は町人や門番の男と異口同音の内容しかつかめず、陰陽師の青年は誰も見たことがないことが判明した。

 花神恭之介に関しては、まるで日々のスケジュールがつかめなかった。

 昼に在宅していることもあれば、一日も二日も帰らないこともあるという。

「さて」

 碧は空を見上げて区切りをつけるように云った。

「私はいったん真田屋敷へ戻ることにするわ」

 陽はもう中天をとうに通り過ぎていて、綿雲の間に弱々しい光をはなっていた。何も云わずに屋敷を抜けてきたので、お梅が不快に思っているのではなかろうか、と不安に思った。

「じゃあ、私は大野屋敷に潜伏して、奴らの隠れ家を見張るよ」

「くれぐれも、変な気をおこしてはだめよ」

「わかってるって」


 屋敷に戻ると、一息つく間もなく、すぐさまお梅から呼び出しがあった。

 碧はすぐに立ってお梅の居室に向かい、敷居際でまだ手をつかないうちに、

「あら、お姿がみえませんでしたが」

 碧の顔をみると、姫は語調柔らかく嫌味を云った。

「勝手に出歩いて、申し訳ございませんでした。少し身体を動かしておこうと町をそぞろ歩いておりました」

「そぞろに西の丸あたりを歩きまわっていたのではないでしょうね」

「いえ、それはございません。ただ、城下町がめずらしく、つい時間を忘れてしまいまして」

「夜明け前からですか?」

「…………」

「あなたは、囚われの身であることを自覚なさったほうがよろしいようですね。あまり勝手なことをされると、佐助に報告せねばならなくなります」

「申し訳ございませんでした」

「あなたを座敷牢に入れたくありませんから」

「はい」

「もう心配をかけないでください」

 碧は心底から詫びるようにして頭をさげた。

 お梅の語りはつねにおだやかであったが、そこから滲む痛烈なまでの心情は、かえって碧の胸に突き刺さるのであった。


 翌朝、食事もすんで、屋敷全体がひといきついた頃、碧はお梅の部屋へと参向した。

 廊下で膝をつき普段よりも深々と頭をさげる碧に、何か気づくところがあったのだろう、お梅はとうとうこの時が来たか、というように眼を細くして眉尻をさげた。

「お梅様、本日はお暇をいただきに参りました」

「そう」

 とお梅はつぶやくようにぽつりと云った。

 そうして、視線を天井へ向けて、ちょっと思案顔をして、

「私は知りません」

 などと云った。

 碧はどう応答してよいやらわからず、ただ視線を落とした。

「ここ数日、よく働いてくださっていましたから、つい使用人のように思っておりましたが、昨日も申したように、本当はあなたはこの家の虜囚なのです。私が勝手に解放したとなれば、父はともかく、あの猿飛佐助になにを云われるかわかったものではありません」

「はあ」

「ですから、私は知りません。私が知らないうちにあなたは姿を消していたのです」

 お梅は立ちあがって、手ずから床の間に立てかけてあった忍者刀をとり、碧の膝前に持ってきた。そして、もとの座布団に戻ると、

「どうぞお元気で」

 と微笑みながら云った。

「姫様も、どうかおすこやかにあらせられますよう」

 碧は戸を閉めると、そのまま縁側から屋敷を辞した。

 障子のこちら側から、お梅は消えゆく影を眼で追った。

 突然あいた心の空白を、頭がまだ認識していないようであった。

 なんだろう、と思う。

 ほんの数日、生活をともにしただけの女がひとりいなくなっただけなのに、屋敷全体が空漠のなかに取り残されたようであった。

「どうぞおげんきで」

 もういちど彼女は口の中でつぶやいた。

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