七之三

 暁闇であった。

 ほのかに明るみつつある夜空に、冥暗とそびえる天守閣が見おろす西の丸の片隅に、碧と嵐は乱雑に積み上げられた丸太の陰に身を潜め、そっと大野屋敷の門をうかがっていた。

 さらに陽が昇り、屋敷の出入りも活発になり始めたころ、神父が、そしてしばらくして坊主の姿が、門内からあらわれどこかへ歩き去っていった。

 かねての打ち合わせの通り、碧は神父を追い、嵐は坊主の後をつけた。

 佐助いわく、まるで所在のつかめない幸徳井という陰陽師と、本丸御殿にほとんど詰めきりの各務という女はひとまずおいておき、ともかく神父と坊主のふたりが隠れ家からはなれる時間帯を把握しておきたかった。

 エミリオ神父のあとをつけた碧は、やがて、いささかきまりの悪い心持ちになった。

 彼は、平野口に向かった。

 真田丸へとのびる通路のある門である。

 数日前に猿飛佐助にかつがれて通った、みじめなその姿を誰か覚えているのじゃなかろうかと、歳若い娘らしい気恥ずかしさがあった。

 そこには明石掃部あかし かもんが陣を構えている。

 明石掃部全登はキリシタンである。関ケ原で敗れ八丈島へ流刑となった宇喜多秀家の家老だった男である。家老ではあったが、備前の保木城三万三千石を領していたので大名と云っていい。ちなみに、全登、という名の読みが明確ではない。てるずみ、とも、そのまま音で、ぜんとう、とも読まれる。

 明石掃部がキリシタン武将である以上、その足下には自然キリシタンたちが集まった。

 神父はその陣所へ向かって行くが、とちゅう足軽や将兵たちから頭を下げられたり、両手を握り合わせて祈るように辞儀をする者たちが大勢いた。

 半刻ほど明石掃部の陣で過ごし、兵たちの話を聞いたり、皆で礼拝したりしていた。

 それがすむと今度は城下西にある町人街へと向かい、そこでも、今度は老若男女、雑多な人々に取り巻かれ――略式のようだが、ミサ、と云われるものを行っているようだ――声を合わせて祈ったり、ひとりひとりの告解を聞いたりする。

 ――パードレ。パードレ。

 みな口々に彼をそう呼んで近づき、拝む、跪拝する。

 ――彼が堕落した神父であると、皆しらないのだろうか。

 碧はその光景を見ていると、胸にもやもやとしたいたたまれないような気持ちがわいてきた。

 汚れたキャソックも端の折れた十字架のロザリオも、信者たちにとっては神父がこの場にいたるまでに体験した苦難の証拠としか見えていないのかもしれない。神父のほうも自身が堕落した身であると碧たちに何度も口にしながら、平然と神聖な儀式をするなど、どういう神経をしているのか。

 そうやって彼は午前中いっぱい城下を歩き回り、昼頃に大野屋敷の門をくぐったのだった。


 一方、嵐のほうはいわおのような体躯の雲水、鬼巌坊きがんぼうのあとをつけた。

 だが、この坊主、なにをするでもない。

 ただ町中を歩き回っている。

 時々ひらけた場所で立ち止まっては景色をながめたり、戦場へ向かって手を合わせて、ぶつぶつと経を唱えたりしていた。

 たまに、とくに年寄りが寄ってきて喜捨のようなことをしていたが、鬼巌坊は遠慮するようすなどまるでなく、笑顔で受け取って、ふかぶかと頭をさげていた。だけでなく、別の町では物乞いのような老爺と握り飯をわけあって、いっしょに喰っていたりもした。

 そして、昼をすぎたころに屋敷に帰ってきた。

「坊主が大野さんの屋敷になんの用だろう」

 なんと嵐は大胆にも門に近づき、番士に尋ねたのであった。

 門番は、突如あらわれた町娘にしかめっつらをして、問いには答えず、

「娘っこが、勝手にこんなところまではいってくるでない」

 と叱った。

「合戦が始まってから、たちの悪い連中もこの辺をうろつくようになったからの。お前みたいな歳ごろの娘がふらふら歩いていたら、なにされるかわかったもんじゃないぞ」

「うん、まあもうしないよ」

「ならいいがな」

 と彼女の開け広げな態度に多少警戒をといた様子である。

「いやあ、ちょっとお使いでこの辺まで来たんだけどね。おじさんはどこから来たの?ずっとこっち?」

「わしゃ因州からじゃ」

「因州?ずいぶん遠くから来たんだねえ」

「わしみたいな下級の侍は、主家をなくすともうどうにもならん。物乞いをするくらいなら、みじめでもこんな門番でもやってたほうがましさ」

「へえ、たいへんだねえ」

 そうして嵐と門番のおやじは、しばらくの間とりとめのないよもやま話を続けた。

 忍術の一環として、伊賀流の情報収集法とか聞き込みのマニュアルのようなものがなくはないのであるが、彼女は常に自己流だ。

 開け広げに相手のふところにすっと飛び込んで、世間話をするように知りたい情報を訊き出してしまう。碧のような生真面目な人間にはできない芸当である。

「そういえばさっき、坊さんが入っていくのがみえたけど、大野さんはああいうのも雇っているの?」

「坊さんだって?ああ、鬼巌坊さんかね」老年の男は云った。「なんでも日下さんのところに居候しているらしいんだがね、なにをしてるのか、毎日毎日、ふらふらと町を歩き回っているよ」

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