七之二

 だが、その人物は、くすりと鼻で笑った。

「よう、迎えにきたぜ」

「ちょっと、なにしてるの?」

 碧は半身を起こして、闇の中に溶けた人影を見つめた。嵐であった。

「あんまり帰りが遅いもんだから、頭領が様子を見てこいって。他のみんなも心配してるんだぜ」

「もう、驚かせないでよ……。でもよくここがわかったわね」

「いや、まったくわからなかったから虱潰しらみつぶしさ。昼間にたまたまこの屋敷をのぞいたんだよ、そしたら、お前がしれっと女中やってるじゃないか。驚いたのはこっちだよ」

 碧はここに至る顛末を語った。大坂城内に潜入し、三人組に追われ、猿飛佐助に助けられて、真田の屋敷で介抱された、うんぬん。

 いちいちうなずきながら聞いていた嵐は、

「真田さんの一族ってのは、つくづく人がいいねえ」

「でなければ、私はもう死んでるわ」

「いや、死んでなくてよかったよかった。ちょっとそっちの心配もしてたからな……。そうだ、碧の装備一式も持ってきたぜ」

「ありがとう。それにしてもうまく忍び込めたわね。そんなに城の警戒がゆるんでたの?」

「いや、抜け穴からきた」

「抜け穴?」

 このころ、家康は城への侵入作戦というよりも、城中への威嚇の一環として、地下道を掘り進めていた。そのひとつを藤堂家が担っていたのだが、

「それが傑作でさあ。掘り進めたのはいいけど、惣掘りに穴あけちゃってさ」

 惣掘りは空堀であった。測量がずれてその側面に穴を通してしまったようにも思えるが、おそらく、それは城中の兵を動揺させる作戦であろう。敵が地下道を掘り進めているとわかれば、いつ自分の足もとに大穴があくかわからない。自然、不安感と動揺をさそえる。

「その穴を通って、あとは、夜に隙をみて塀を越えてきたってわけだな」

「まったく、無茶しないでよ」

「そう無茶でもなかったよ。敵も味方も、ずいぶん疲れがでているからさ」

 やはり警戒が緩んでいる、というわけだ。猿飛も同様のことを云っていたし、潜入の苦手な嵐がたやすく入り込めたのだから、大坂城の兵士はそうとう疲弊していると思うべきであった。

「じゃあ、支度しなよ。帰ろうぜ」

「そんなわけにはいかないわ」

「どうして」

「だってお世話になったんだもの。姫様にちゃんとお礼をしてからおいとましなくちゃいけないわ」

「どれだけ真面目なんだよ。いいか、ここは敵の屋敷なんだ。だまって出ていけばいいんだよ。そんなに義理を通したきゃ置き手紙でも書けばいいさ」

 碧はうなった。

 たしかに、嵐の云うことにも一理ある。

 だが、碧はふと思いついたことがあった。

「花神が大野修理の屋敷にいるそうなの」

「なんだと」

「これからふたりで調査に行かない?」

「乗り込まないのか?」

「花神ひとりだけならまだしも、数人の一味がいることを考慮すると、私たちふたりだけでは」

「ちょっと難しいな」

「そう、だからいったん様子を調べて、奴がひとりでいるようなら、一戦挑んでみるのも悪くはないわね」

 嵐はにやりと笑ったようだった。

 碧は続けた。

「私も、今度の任務が徒労に終わったとは思いたくないからね。なすことなく帰還するのも癪にさわるわ」

 そう云ってから碧は、佐助に聞いた花神の隠れ家の場所や様子を伝え、

「これも猿飛から聞いたのだけれど、各務という女は淀の方の侍女として付き従っているそうだから、みかけなくても無理に探す必要はないわ」

「じゃあ、花神と坊主と神父と陰陽師の四人の居場所を探ればいいわけだな」

「いい、一味と接触することは、絶対避けること。見つけても様子をうかがうだけにするのよ」

「わかってる」

「ほんとかしら。あの鬼巌坊とかいう雲水を見たら、いっぺんに頭に血がのぼって殴りかかりそうよ、あなた」

「さすがにそんなことはない」

「だといいわね」

 碧は闇の中でもまるで普段と変わらないようすで、嵐の持ってきた忍装束に着替え、妖刀暁星丸あかぼしまるを背負った。愛用の忍者刀はお梅に取り上げられているのでここにはない。

 そうして、ふたりはうなづきあい、まったく音をたてもせずに、部屋から姿を消したのだった。

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