六之十七
暗闇の世界に、急に明かりがさしたような気がした。
あまりにも突然すぎたその温光は、碧を、夢裡の世界からうつつへと引き戻す覚醒の光であった。
眼を開けると、開かれた縁側から庭が見え、赤い南天の実が眼の奥に刺さるような鮮やかさで色づいていた。
――いつ伏見の屋敷に帰ってきたのかしら。
夜具から出している顔にあたる冷気が、火照った身体に心地よかった。
首を動かしてうえを見ると、まるで見覚えのない木目の天井板であった。
「あら申し訳ございません。起こしてしまいましたか」
声のしたほうを見ると、見知らぬ少女――どこかの姫君らしい少女が枕頭に座ってこちらをじっと見つめている。
「今日は暖かかったので、空気を入れ替えようと戸を開けさせたのですが、お眠りをさまたげてしまったようですわね」
丸い顔の姫はやさしく微笑んで云った。
「三日もぐっすりと眠っておられたのですよ」
――みっか……。
なぜそんなに長い間自分が眠っていたのか、思い起こしてみたが、熱のせいで記憶があいまいで、大女一味から逃げて、たしか猿飛佐助に救われたところまでは覚えているのだが。
ともかく碧は礼を云うために身体を起こそうとした。
だが、まるで自分の身体ではないように、まったく云うことがきかない。
「あの、ずいぶんお世話になりましたようで」
起き上がるのを諦めて、乾いた口から、やっとのことで声を絞り出すようにして礼を云った。まったく自分の声ではないような、かすれた声がでた。
「お気づかいにはおよびません。九度山で妹がずいぶんご迷惑をおかけしたようですし、そのお詫びのようなものですわ」
「九度山……」
「ええ、私はあぐりの姉で梅と申します」
「では、真田様の」
「はい、娘です」
「私は伊賀の」
「碧様ですわね。佐助からおおよそのことは聞き及んでおりますよ」
「それでは、あの」
「書状のことですか?」
「はい」
「高台院様からのお手紙でしたら、大野修理様から秀頼様にもうお届けしておりますので、ご安堵ください」
「では、戦の和議については」
「さあ、そこまでは……」
口をつぐんだお梅であったが、それは嘘であった。
佐助が(まるで見てきたように)物語ったところによると、こうであった。
真田幸村は、高台院の書状を大野治長に渡し、頃合いを見計らって秀頼へと渡す手はずになっていた。
治長は、実によいタイミングでそれを提出した。
戦況は順調に推移していたし、反対に徳川方には初日の敗退がこたえたのか、そうそうに戦意に停滞がみられはじめていた。
その頃合いで、秀頼に書状を差し出した。
受け取った秀頼は、
――お袋様がおっしゃるのなら……。
と諾意を見せたかけたが、しかし、隣にいた淀の方が、手紙を一読し、
――隠居老婆のたわごとであろう。
その一言ですべてが御破算になってしまった。
治長も幸村も女のジェラシーというものを見誤っていたと云っていい。
淀の方の高台院に対する嫉妬は、正妻と妾の、ひとりの男を挟んでの嫉妬とはいささか違った。いや、それもあるのではあろうが……。
高台院寧々は、軽い身分の出でありながら、高貴なものからも名門の家柄のものからも愛される陽性的な品格を持った女性であった。
反対に淀の方は浅井長政と信長の妹お市の娘でありながら、他人は彼女をどこか敬遠するような近づきにくいところがあった。
持たざる者が持つ者を羨む。
そういう嫉妬である。
そんなことを佐助から聞かされてはいたが、お梅はそれを語らなかった。
碧の、恢復にはまだほど遠い身体の具合いに、配慮してのことであった。
彼女は話を変えた。
「喉はかわいてはいませんか。では、お水をすぐ持ってきますね。お腹はいかがですか。そうですか、お粥でも作らせましょう」
そんなことをお茶を濁すように云って、侍女を呼ぶとあれこれと指図をするのであった。
しかし碧は、うすうす感づいた。
――不首尾に終わったのだ。
それを知っていながら、お梅が碧の身を気づかって内緒にしていることも見抜いていた。
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