六之十六
佐助は大坂城内の真田屋敷に碧を運び、奥の小部屋に布団を敷きのべると、彼女の汚れた着物を脱がしにかかった。
そこへ、後ろの戸がけたたましい音をたてて開いて、
「なにをしているのです、佐助!」
いつにない甲高い声音で怒声を放ったのは、お梅であった。真田幸村の娘のひとりである。
佐助が振り返ると、そのいつもは柔らかく微笑んでいる眼も、弧を描く細い眉も、別人のように端が吊り上がっている。
「いえ、これは……」
「みそこないました。あなたがそのような破廉恥な人だとは思っておりませんでした」
姫は蔑みをそのまま言葉にした。日頃温厚な人柄であるだけに、たまの叱責が凄まじく胸に突き刺さるのである。
「いや、違いますよ、姫様」
「なにが違うのです」
「これは殿のお云いつけで」
「父上が
「いや、話を聞いてください」
「聞いているではありませんか」
「そういう顔をされると、あぐり様とそっくりですな」
「誰が、あんなお転婆といっしょですか」
「それは物のはずみで……、いえ、ですから、そういう話ではなくてですね」
話が大筋からそれていくのを佐助は無理に進路変更をして、碧を救ったいきさつと、幸村がここで介抱するように命じたことを、丹念に説明した。
「最初からそうおっしゃればいいのに」
「云おうとしておりました」
「そんなことはどうでもよいのです。あなたはもう結構ですから、お浜を呼んでらっしゃい」
「なぜです」
「私とお浜でこのかたの面倒を見ます。殿方は出ておゆきなさい」
お梅は、あくまで静かに穏やかな口調で、しかしぴしゃりと云い放つのであった。
はいはいと出てゆきかける佐助に、
「待ちなさい」
「なんです」
「こんな風通しも日当たりも悪い部屋に病人を置いておくわけにはまいりません。あなた、表の六畳までこのかたをお運びなさいな」
「いま出ていけと」
「なんです?」
「いや、でも敵方の間者ですよ」
「たとえ間者でも怪我人をひどくあつかったとあっては、真田家の沽券にかかわります。それにこのような容態でなにをできるものでもありません。はやくお運びなさい」
この十六歳の姫様の言葉は、温厚なのに、うむをいわせぬ圧力があった。
下手に言葉を発すると、会話がどこに転がっていくか見当もつかないので、佐助は黙って碧を表の間まで運ぶのだった。
さすがの女の気づかいというべきか、お梅は侍女のお浜に指図をし、てきぱきと碧の着物を脱がせて身体を拭き、怪我の応急手当を施し、寝衣を着せて、布団に寝かせ、たちまちのうちにひと通りの世話を終えてしまった。
ほっと吐息をついて、障子をあけて部屋をでた出たお梅は、
「退屈なご様子でうらやましい」
濡れ縁に腰かけて手持ち無沙汰に庭を眺めていた佐助に、云うのだった。
「姫が男は出て行けと……」
「やることがないのでしたら、お医者様でも探して来たらどうです」
「今日の戦いで、医者は皆てんてこまいでしょう。そのうち六郎さんが帰ってきます、あの人なら医術の心得もありますので、万事おまおかせすればよろしいでしょう」
「どちらの六郎さんです、
「海野さんのほうです」
「でしたら、最初から海野さんとおっしゃいなさいな。あなたの話は要領をえなくていけません」
「それはどうも、失礼しました」
ふてくされたように云った佐助は、そのまま碧の様子をうかがった。熱のせいで息が荒いが、ぐっすりと眠っているようであった。これなら、しばらくなら監視せずに放っておいておいても、問題はなさそうだ。
「なにをみているのです」
「え、別に、様子はどうかと」
「またけしからぬことを考えていたのでしょう」
「はなから、けしからぬことなど考えておりません」
「まあいいでしょう、あとは私たちに任せて、あなたは父上に報告してきなさい」
「かしこまってそうろう」
佐助は庭に飛び降りると、つむじ風が吹いたように、どこかへ姿を消してしまった。
お梅はそのまま庭を眺め、そうして丸い顎をあげて、もう陽が落ちた群青色の空を見上げた。
日中、遠い戦場から風に乗って聞こえた、うなるような喊声も、耳にするたびに悪寒が走るような鉄砲の音も、すでに聞こえなくなって、今ではもうまるで夢を見ていたような気分であった。
――いえ、この静寂が夢なのかしら。
彼女は、数か月後、敵である伊達家の片倉小十郎にその身をあずけることになるのだが、そんな数奇な未来などまだ知る由もなく、今はただ、大勢の死にゆく者達がすぐ間近にいることに胸を痛めているのであった。そしてその中に肉親が含まれているのではないかという不安に心が苛まれ続けていた。父の幸村も、兄弟の大助も、佐助や十勇士の面々も誰も傷ついてもらいたくはない。そう思うのは女のわがままであろうか。
――夢ならば、どうぞこのままで……。
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