五之十

 もとより、この勝ち気な娘の思考の根底に逃走の観念はない。

 ただの前に進むのみである。

 活路とは前進することによってのみ切り開かれるものだと、思ってはいなくとも感覚として会得している。

 ならばこの境内まで走ってきた行為は何だったのだと誰か問う者があれば、ただの戦術的撤退だと彼女はうそぶくであろう。

 ゆえに、嵐は腰をちょっと落とすと、雷光が走るように、敵の集団に向けて疾駆した。

 猛スピードで迫りくる嵐に、先頭の中年男が抱きつくように襲いかかる。

 嵐はそれをひらりと身体を回転させて躱し、躱しつつ男の首根っこに手刀を叩き入れた。

 男はそのまま気を失う、――はずであった。

 だが倒れない。失神する気振りもみせない。

 ――もうまともな人間ではない。

 嵐はこの時感覚としてその事実を受けとめた。

 おそらく気絶をしている、もしくはもともと意識のない人間を操っているということは、つまるところ、そのナントカ云う寄生虫は、人の精神そのものを支配し、なりかわっていると考えるべきか。

 解決策は、宿主たる人間を動けなくなるまで粉砕するか、体内にいる寄腔蟲を殺すか追い出すしかない。

 最初の策は無理だ。

 なにしろ数が多すぎる。嵐の打撃技では、ひとりひとりに攻撃している暇につぎからつぎに敵は襲ってくるからきりがない。

 あとはもう、

 ――蟲を殺すか、追い出すか……。

 結論は見えたのに、そこにたどりつく方途がまるで見えてこない。

 そうこうしている間に、村人たちは、嵐を取り巻くように迫ってきている。

 その時、嵐の頭に、ふとよぎるかつての光景があった。

 石打ち漁――、

 と云うものがある。

 川や池の水面に顔を出す大きな石に、別の石をぶつけ、発生する音や衝撃で魚を気絶させて捕獲する漁を指す。

 現代では法律で禁止されている漁法であるが、江戸初期のこの時代では、普通に行われていた。嵐も、加瀬又左衛門の元で修業を積んでいた頃、サバイバル訓練の一環でその漁法を教わった。

 又左衛門からは、あまりやると漁場の獲物が絶滅するので、よっぽど切羽つまった場合にだけしか許されなかったのだが、水面から突き出た石に石をぶつけ、数瞬後に浮いてくる数匹の魚を手づかみで獲った時の思い出が頭に浮かんだのだった。

 ――あれができればいい。

 と嵐は思った。

 ――いや、できるぞ。

 と嵐は直感した。

 したと同時に、胸の前で両手を合わせていた。

「旋律の律動」

 唱えるようにつぶやき、自身の魂心体の律動を整え、その手のひらに集中させた。

 村人が飛びかかってくる。

 そのみぞおちに、嵐は掌底を入れた。

 村人は後ろによろけたものの、すぐに体勢を立て直した。

 続けざまに、右からも左からも、背後からも村人が襲いかかる。

 嵐はそれらにも、腹部に掌底を入れていく。

 村人たちはよろけるものの、まるでダメージを感じていないようだ。

 ――違うか。

 彼女は、つまり、掌底から律動を村人たちに送り込んでいたのだ。それも少しずつ律動に変化を与えつつ、放っていた。

 送り込んだ律動が、体内の蟲の嫌がる律動であれば、蟲は体内から排出されるはずだ――という理屈は、ただの嵐の勘による理屈なのだが……。

 そうしているうちに、村人たちに変化があらわれた。

 それは旋律の律動攻撃の結果によるものではない。

 彼らはその端が裂けるほど、顎がはずれるほど、大きく口を開いて、そこから、一、二尺ほどの長さがありそうな舌を伸ばしてくる。

 いや、舌ではない、触手のようなものだ。

 触手はうねうねと彼らの顔の前でのたうつように曲がりくねりながら、その先端を嵐に向けて……、突如、その先端にある穴から、何かが飛び出した。

 嵐は、顔に向かって飛んできたそれを、身体を捻って反射的にさっと避けた。

 その何かは、地面にぶつかり、嫌な音を立てて爆ぜた。

 ――なんだ……?

 それは、ちょうど鶏の卵ほどの大きさで、殻は魚のそれのように柔らかそうであったが、蟲の卵であろうか。

 ――こいつら、私に卵を産み付けようとしているのか?

 百数十人の村人が、短期間で人形と化した理由がようやくいまわかった。

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