五之十一

 しかし、嵐はこれを好機とみた。

 彼女は、なんと、そのおぞましい触手を、その右手でつかんだ。

 そして、左手を男の顔にあてると、その触手を力いっぱい引っ張った。

 蟲の持つ旋律の律動を探るようなまどろっこしい作戦はやめて、手っ取り早く体内からひきずりだしてやろうという、いかにも嵐らしい愚直な戦法であった。

 が……、

「おっと、それはやめた方がいい」

 後ろの社の屋根の上から、エミリオの声が降って来た。

「無理に体内から寄腔蟲を引き出すと、村人の臓腑が引き裂かれて、死ぬぞ」

 嵐は舌打ちをひとつ。その手を放して飛びのいた。

 その瞬間、取り巻いていた複数の村人が、同時に嵐に飛びかかった。

 途端に、羽交い締めにされ、両腕をつかまれ、両脚に組み付かれた。

 彼女を押さえつけた村人たちの口から伸び出てきた触手が、嵐の顔に迫る。

 どうやら、口に先端を突っ込んで、直接体内に卵を産み付けようとしているらしい。

 もう、背筋に寒気が走るどころの騒ぎではない。

 嵐は顔面を引きつらせ、首をいやいやするように振り、口を必死に閉じて抵抗する。

 だが、触手は喉や顔に巻きつき、息をつまらせ、口を強引に開こうとしてくる。

 さらに数人の村人が彼女を取り囲む。

 十数本の触手が彼女に絡みつく。

 その長身の身体が、やがて、村人たちの波濤の中に沈んでいった。


 ――そろそろいいだろう。

 エミリオは屋根の上からその光景を見て、よい頃合いだと思った。

 もとより、あの忍の少女の命を奪うつもりはない。

 ただ、ある程度の恐怖をあたえ、我らに――冥元衆めいがんしゅうに今後反抗する気力を失わせればそれでいいと思っている。

 実証実験の結果も、上々であった。

 寄腔蟲の、人々への感染速度や、その効果。人間をどれほどの化け物に変化させるか、どれほど思い通りに操れるか、など、なかなか良好な結果である。

 これなら、今後の花神の策にも応用できるだろうし、

 ――各務も留飲をさげよう。

 彼女を辱めに辱めた村人たちのこの惨めな様相を聞かせてやれば、彼女の胸におりのように溜まった憎悪もきっとやわらごう。

 しかし、あの痴呆症の老婆だけは別であった。

 彼女だけは、各務に優しかったという。蔑視に満ちたこの村の人々のなかで、唯一各務をいたわってくれたのだという。

 エミリオは、その手をあげた。

 指をならして合図を送り、村人たちを嵐と云う娘から引き離そうとした。

 刹那……。

 折り重なった村人たちの中心から、鈍い音が響いた。

 一回、二回、三回……。

 続けざまにいくつかの音が轟いた。

 数人の村人たちが、しびれたように身体をのけぞらせ、寄腔蟲を一斉に口から吐き出した。絡みつく粘液を噴水のようにまき散らしながら吐き出された蟲は、その細い脚の無数にはえた白い芋虫のような姿を、地面の上でうごめかせている。そして、空気に触れた蟲は、しばらくすると絶命して活動をとめた。

 エミリオは瞠目した。

 ばたばたと倒れ伏す村人たちのなかから、反対にひとつの影が起き上がった。

 その紺色の影は、こちらにちょっと顔をむけて、なにかしたり顔で微笑んだようであった。


 ――さっき、蟲をつかんだのがよかった。

 嵐は、自分の勘の正しかったことに満悦であった。

 蟲をつかんだ時、その蟲が持つ旋律の律動を手のひらに感じとることができた。蟲の体内に流れる律動に自分の放つ反発する律動を合わせるのに――つまり蟲の嫌がる律動を探すのに手間取ったが、終わりよければなんとやらである。

 嵐は、地面でうごめく不気味な生物を横目で見た。

 とたんにおぞけが走った。

 反射的に、その蟲を踏みつぶした。

 ――しまった……。

 直後に悔いた。

 これも殺生である。果心居士に知れれば、下手をすれば破門にされかねない。

 冷や汗をかく思いであったが、だが、周囲にのたうつ蟲は、すぐに動きをとめて、息絶えたようだ。しかも、短時間で干からびて乾物のようになってしまった。

 嵐はほっと安堵の吐息を漏らした。

 これなら、うっかりしてしまった殺生が発覚することもあるまい。

 しかし、まだ嵐を取り囲む村人たちは百人以上いる。

 だが彼女はまるで焦燥に駆られる気配がない。

 どころか、口端をにっとゆがめると、ふたたび両の手掌を胸の前に合わせ、旋律の律動を整える。

 もう、蟲の持つ律動がわかったのだから、あとは、石打ち漁でいうところの石打ちをするだけなのだ。

 両手を離すと、嵐は短く気合を放ち、足元の地面を掌底で打った。

 鈍い、低音の音とともに、その一点から波紋のように律動が広がり、その波紋に打たれた村人たちが痺れたように痙攣し、蟲を吐き出し、膝から崩れるようにばたばたと倒れ伏していく。

 地面を打った直後に場所を移し、また一撃、さらに一撃。

 数回の、石打ちならぬ律動打ちを放つと面白いように村人たちは倒れていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る