五之六
谷あいで、平地がわずかしかないせいだろう、自然に寄り集まって建てられた家々を、一軒一軒のぞきこむようにして、道を進んでいくが、やはり
家々は一様に古びて黒ずんでいて、羽目板が割れていても修理もせずに放ってある家もあるし、軒がまがって今にも落ちそうな家も、いくつも穴の開いた障子が濡れ縁の奥に見える家もあった。
開け放たれた座敷の奥は陽が当たらず真っ暗で、なにかが潜んでいてもおかしくはないのであるが。
嵐ははたと気が付いた。
気配がないのは、人間ばかりではない。
鶏などの家畜はもとより、猫や犬などの愛玩動物さえもいない。
そもそも、妖魔の存在すらも感じられないとはどういうことだ。
にもかかわらず、この澱んだ空気はなんだ?
村を抜けると、三町ほど先の山の麓に丸太の鳥居が見え、山の山頂に社の屋根が見えた。
そこが集落の終端に思われたが、左手の、段々畑の上の小高い場所に一軒の小さな家が見え、そこに黒い影がすっと動くのが眼に入った。
居士も気がついたらしい、
家は、農家の物置小屋のようにさえ見えるあばら家で、縁側に座った老婆がひとり。
膝には三毛猫を抱いて、その頭をなでていて、近づくふたりを、驚くふうもなく怪しむふうでもなく見つめている。
小さな庭には野良着が干してあって、どれだけ長いあいだ干してあるのかわからないが、湿気や霜に濡れてまた乾いて、というのを繰り返しているのだろう、板のように固くなっているのが、物干し竿を軸にして風になびいてゆれていた。
猫は一匹ではなかった。
縁側や板の間や、軒の上や、いたるところに、白いのや黒いのや鼠色をした、数匹の猫が寝ている。
「やあ、婆さん」と居士が声をかけた。「あんたひとりかい」
「息子は畑じゃ。嫁がその辺にいるはずじゃ。おおい
「村人を探しているんだがね、誰もおらんのじゃよ」
「時分どきじゃからなあ、夕餉のしたくでもしとるんじゃろう」
「この村で、なにか最近、変わったことはないかね」
「変わったと云うて、神社の巫女がどこかへ行っちまったの云うて、村の男衆がさわいでおったが、はて、あれはいつのころじゃったかのう。歳をとると、昨日のことも、昔のこともいっしょになっちまうで」
「ははは」と居士は乾いた声で笑って、「そう歳とってもおらんじゃろう」
「いやもう、八十だで」
「誰が面倒を見てくれてるのかな」
「息子は、もう先に逝っちまったよ。孫は三つで死んじまった。嫁はわしを置いて出て行ってしまったし」
「そうか、ひとりじゃ心細かろう」
「そうでもねえ、そのうち息子が畑から帰ってくるでよ。孫もその辺で遊んでおるじゃろ。おおい、おちよ、どこじゃ、お客さんじゃよ」
この老婆は、痴呆症にかかっているようだ。
痴呆症と云っても、まだ軽度なのか、自分が過去に戻ったり、今を生きていたり、つまり時々記憶がいったりもどったりしているようだった。
居士は、それでも会話を続けていたが、やがて、老婆に憐憫の眼差しを向けている嵐に顔を向けると、こくりとひとつ
――お前はひとりで村の探索をしろ。
そう云っているようだ。
嵐も頷き返して、また村へと戻っていった。
探索すると云っても、
「さて、どうしたもんだろうね」
途方に暮れざるを得ない。
家の一軒一軒に飛び込んで様子を探るくらいしか、嵐の単純な脳では思いつかない。
大久保彦左衛門は、この村が妖魔に支配されている、と云った。
どうしてあの初老の侍がそんな事実を知っているかと考察すれば、つまり、この村を通って襲われたにもかかわらず、生き延びた伝令がいたということだろう。
――その者は、何かを見たのだ。体験したのだ。
彦左衛門は詳しく教えてくれなかったが、彼自身、詳細は把握していないのかもしれない。
――村は妖魔に支配されている。
のだとしたら、訪れた嵐達に、どうして何もしてこないのだろう。
もし村人が妖魔に喰われたのなら、その形跡があっても不思議ではない。いや、形跡がなくてならない。だいいち、その妖魔はどこへ行ったのだ。
ここまで何もない、というのは、妙な話である。
だいたい、あの老婆だけ、どうして無事でいるのだろうか。
答えの見えない疑念ばかりが嵐の頭に浮かぶ。
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