五之五
その十津川をそれてしばらくつづら折りの道を行くと、確かに道があった。
小径には落ち葉がくるぶしほどの厚さで、層をなして積もっている。道があると知らなければ、ただの獣道にしか見えない。
人が恒常的に行き交う道なら、こうはならない。人に踏まれるうちに枯れ葉は朽ちて土に帰るし、風が吹き通れば路上の葉を脇に寄せてくれる。吹き溜まりでもないのに、ここまで道に枯れ葉が堆積するのは、道として機能していない証拠であった。
周辺の村とかかわりたがらない村だと十津川の老人が語ったように、普段から羽舟村と周辺の諸村とは、往来が絶えてるのであろうか。それにしても、まったく人が通らないということはないだろう。その村に何十人の村人が住んでいるかはわからないが、自給自足にも限界はあるはずで、その村ひとつで経済が回っているとはとても思えない。
その道に入ると、突然空気が変わった。
今まで、風と葉擦れの音と、小動物や鳥が落ち葉を掻き乱す音など、自然の気配、とも云うべきなにかしら雑音が耳を騒がせていたのに、それが突然しなくなった。
無音と云っていい。
同時に、嫌な重苦しい気配が、嵐の肩からのしかかってくるように圧迫してくるのであった。
――これは、確実に妖魔がいる。
根拠のない直感ではない。長年、妖魔と闘ってきた彼女に染み付いた防御本能のようなものが、危険を報せているのであった。
「おい、嵐よ」
驢馬の背から、果心居士がまったくこの気配に動じる風もなく、
「もう陽が傾きかけておる。怖かったら、明日にしてもよいぞ」
「ば、馬鹿にするなよ、お師匠。別に陽が暮れたって、あたしは怖くなんかないぜ。っていうより、陽が落ちる前に片づけてしまえばいいんじゃないのかね」
「ははは、そりゃそうだ」
すると、今度は驢馬がそわそわとしはじめた。
すぐに脚をとめて、押そうが引こうが蹄をふんばらせて動こうとしなくなった。
驢馬ですら、いや、驢馬だからこそ、この先に待つ嫌な気配がわかるのだろう。
「しかたないの」と居士はその背からするりと降りて、「こやつはここに繋いでおこう」
あとどれほどあるのかのう、しんどいのう、などと不満をもらしながら、驢馬を繋ぐ嵐をおいて、ずんずん先に行ってしまうのであった。
嵐が追いついた時には、そこはすでに村の入り口で。
森が途切れて視界がひらけると、谷のような峡間の地形に、段々畑があって、その中に三軒ほどの農家が点在していた。
さらにその先には、三十軒ほどの家屋が寄り添うように立っている。
人口は、全部の家に家族で住んでいると考えれば、百数十人から二百人程度だろうか。
人影は、ない。
山村というのは、時間によっては人の姿がまったく消えるタイミングはある。しかし、畑には冬野菜が植えられているようにみえるのに、手入れしている村人は皆無である。
影どころか人の気配というものが、まるでしないのだ。
それにこの空気。
嵐のように、魔物の発する妖気に慣れていないものがこの空気を吸えば、とたんに嘔吐しても不思議ではない。
それほど生臭く、澱んでいて、空気そのものが重く圧迫感を持っていた。
空は晴れていたはずなのに、この村の上空だけ薄雲が覆っているように、奇妙に薄暗い。
果心居士は、入り口で村全体を見渡してから、また歩き出した。
後に続く嵐に、居士は平素と変わりない調子で、
「嵐よ、わしからひとつ試練をあたえよう」
「はい」
「此度はいっさいの殺生を禁ずる」
「妖魔も、ですか」
「生きておれば、な」
嵐は腑に落ちない気分であった。
人を殺めるな、と云われれば納得もできる。妖魔も殺さずに追い出せ、というのなら、それもわかる。
しかし、
――生きておれば。
とはどういう料簡を含んでいるのか。
果心居士という人物は常から、その意図を察しにくい人物である。
今度のようにあいまいな表現で指示を出すこともたびたびである。
こんな時は、訊き返しても答えてはくれない。わからないなりに自分で解決方法を探っていくしかないのであった。
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