五之四
大坂から目的地の
奈良までの道のりは生駒山地の峠道をのぞけば平坦なものだが、南下して大和盆地をすぎ紀伊山地へ足を踏み入れて以降、十津川村までの行程がはなはだ難路である。
時期が時期なら絶景が広がる景勝地なのであるが、今ではもうすっかり落葉は進んでしまって味気ない山々の風景が広がっているし、北風が耳にうるさいし、嵐にとってすれば面白みも何もない、つまらない旅でしかなかった。
彼女ひとりであれば、一昼夜もあればたどり着ける距離ではあったが、老人連れである。しかしそれでも、十津川村まで二日で来られたのは、果心居士が年齢不相応な頑健さを持ち合わせていたというよりも、彼の乗った驢馬が意外なほどに頑張って歩き続けたためであろう。
十津川村は、その名の通り十津川という渓流沿いにあって、都市から隔絶された険峻な山峡に立地する集落であった。交通手段が未発達な当時の感覚では秘境と云っていいレベルであろう。とはいえ、人通りがまったく絶えるわけではない。京、奈良から神道の聖地たる熊野へ詣でる参詣人や修験者など、日に数えるほどではあったが種々雑多な人間がこの村を通る。
当然、村人は見知らぬ旅人に馴れている。
そのせいか、百姓娘と驢馬に乗った老人が通り過ぎても、すれちがう村人は別段の関心もしめさない。
「おいおい、そこな爺さん」
十津川沿いの道ですれ違った老人を、とうとつに馬上の居士が呼びとめた。
その老百姓は、いささかむっとしたようである。
自分のことを爺さんと呼んだ相手が、自分よりもずっと老年であったからだろう。
「なんじゃ、爺さん」
百姓も負けじと馬上の年長者を老人あつかいする。
「羽舟村というのは、もっと先かい」
「ああ、そんなでもねえよ。すぐそこじゃ」
「どう行けばいいね」
「この道を真っすぐ行くと、そのうち川からそれて東へ曲がる道があるから、その道をしばらく行くと、今度は南へ行く道があるから、その道を真っすぐ行けばいい。あと五里はあるんじゃねえかな」
とあまり要領を得ない説明ではあったが、丁寧に教えてくれた。
――五里か。
嵐はつぶやいた。
五里を、すぐそこ、と表現する土地の人間の感覚に閉口する思いであった。
今はまだ昼前であったが、山道をあと五里も歩かなくてはならないとなると、陽が落ちるまでに到着できれば幸いといったところだろう。
体力自慢の嵐であっても、さすがに溜め息をつきたいところである。
「あんたら、あの村を通るのかい。やめといたほうがいい。あそこは、周辺の村ともかかわりたがらない、気味の悪い村だで。北山郷に抜けるには便利じゃが、回り道をしたほうが無難じゃよ」
「で、村へ行く道に目印かなにかあるかの?」
百姓は、あんぐりと口をあけて、居士を見、その眼を嵐にそのまま向けた。せっかく気をきかせて忠告してやったのに、まるで気にとめない老人にあきれたものらしい。
「他に脇道もないだで、行きゃあわかるよ」
そっけなく云いおいて、百姓の老人は首を左右に振り振り立ち去って行った。
十津川という川は、幅が広い。
川が蛇行していることもあって、岸も合わせれば二、三町もの川幅の地点さえあるくらいだ。
視界も開けているので、ここが山奥であることを、ちょっと忘れてしまうような広大な川である。
現代では谷瀬の吊り橋という、目も眩む高さに、長い吊り橋がかけられているが、当時はまだなかった。渡る場合は谷を降りて川原に出て、川にかけれた粗末な丸木橋を渡らなくてはならない。
もしかかっていたとすれば、嵐の性格からして、用もないのに度胸試しに、吊り橋を行ったり来たりしそうである。
ちなみに筆者は、この地に旅行に行った時、この吊り橋に挑んでみたが、数メートル進んだだけで腰が抜けてしゃがみこんでしまった苦い思い出がある。
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