四之十七

 祥馬は眼前で左の二本の指を立て、右の二本の指で虚空に五芒星を描きつつ、

「天空の星々よ、ウカノミタマよ聞し召せ。信太しのだの森より生まれし白狐の裔にして、晴明の血脈を受けし我が請う。我が心の深淵、無明の闇より現れ、我に力をあたえたまえ」

 描き終わった五芒星はくるくると回転しながら、祥馬の頭上から地面へと降りて行き、到達した地に召喚陣を描いた。

 陣からは青白い光が放射され、光は祥馬の全身を包み込む。

「現れ出でよ、灼昂しゃっこう。急急如律令!」

 陣のなかから、白い影が頭をもたげた。その影は、祥馬よりも一倍半ほども大きく、二本足で立ってはいるが、体表は白い毛で覆われ、尻からはふさふさとした尾が、三本はえていた。

 それを見て、修次郎が引きつった笑みを浮かべた。

「ははは、やはり貴様、狐の子であったか!」

 二本足で立つ灼昂と呼ばれた白狐は、祥馬の後背にその妖美な体躯を屹立させていたが、やがて、人のように細長い指を広げ、彼を掻き抱くように腕(前足と呼ぶべきか)を前方にのばした。

「私は狐の子にあらず。父が信太の森において妖狐を封印せし、宿主しゅくしゅたる者」

 修次郎がおののく。

 鬼巌坊が驚愕する。

「見るがいい。我が真の姿を」

 やがて光と共に白狐と人が融合し、身体を震わせると、天空に向かって咆哮した。

 その叫声は狐というよりも犬の遠吠えのようだった。

 そして、その周囲に、召喚札もないのに五芒星の陣が描かれ、ふたたび猫や狸たちが主の元に帰ってきた。

「ひ、ひるむな駁狼!」修次郎は己のひるんだ心を叱咤するように叫んだ。「そんなこけおどしに惑わされるな、行け、噛み殺せ!」

 黒い狼と蝙蝠たちが、いっせいに、灼昂と合体した祥馬に襲いかかる。

 祥馬は金色に光る瞳の、鋭い眼を引きつらせ、敵をひと睨みする。そして大地を蹴り、その敵に向けて疾駆する。

 池の水面を走り、その中ほどで駁狼と重なり合った。振られた腕が狼の身体を真っ二つに切り裂き、狼はふたつになった札にその身を変じた。

 同時に、パワーアップした祥馬の式たちが、飛倉たちを粉砕した。

 祥馬はそのまま池を駆け抜け、怨敵の首を毛むくじゃらの手で握りしめた。

 その相手はもはや、恐怖に支配され、叫び声すら出せない。

 祥馬は修次郎の身体を、大地に叩きつけ、首を絞めつける。

「どうした、土御門。いつものように、私をののしってみろ」

 しかし、敵の口から出てくるのはいつもの悪口ではなく、白い泡であった。彼はもう、白目をむいて気を失っていた。

「ふん、貴様など、殺すほどの値打ちもない」

 復讐を成し遂げた白い狐は、敵をくびきから解き放ち、そうしてゆっくりとその身を起こした。

 そこへ……、

「もういいでしょう」

 どこからか女の声が語りかけてきた。

 振り向いた祥馬は、その眼を見開いた。

 山吹色の忍装束に身を包んだ鶫が、手に短刀を持ち、池のはたに静かに立っていた。裾の短い着物に、篠金物しのがなもの籠手こて臑当すねあてをつけ、両手は分厚い皮の手袋で覆われている。

 なぜそこにいる、とは思わなかった。彼女がそんな格好をしているのも不思議に思わなかった。

「縫、やはり私を騙していたのか?」

 怒りに狐の相貌をゆがめる祥馬の詰問に、鶫は沈黙で答える。

「あ、あれも、私を欺くための……、この売女ばいため!」

「つぐみ」

「なに?」

「伊賀の鶫というの。私の本当の名よ」

「そうか、すべてが、すべてが嘘だったのだな!?」

 鶫はじっと、憐れむように、禍々しく姿を変じた若き陰陽師の眼を見つめ返しただけであった。

「なんとか云ったらどうだ!」

 祥馬は眼を剥き、目尻を引きつらせ、鼻に皺を寄せて吠えるように叫んだ。

 ただ気弱な自分に疑心暗鬼が取り憑いていたのだと、彼は思いたかった。

 だが、疑念が確信に変わった。

 いだいていた未来に対する希望も、鶫に対する想いも、すべてが瓦解していくのが、祥馬にはわかった。

 雪崩のように己の心が崩壊してゆく。

 怒りと憎しみが膨満してゆく。

 彼はもはや自分の精神の暴走を抑制するすべすらも喪失していた。

「やれっ、その女をずたずたに引き裂いてしまえ!」

 憎悪のままに腕を振ると、七匹の式たちは主の怒りを身に宿し、鶫に向かって飛びかかっていった。

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