四之十六

 祥馬は結界札が地に落ちるのを見届けることもせず、その身を翻した。

 即座に両手で印を結びつつ、呪文を唱える。

「つつしみて願い奉る。北斗の七星たちよ、その力の一抹を我に貸したまえ、我に力を与えたまえ。急急如律令」

 袂から七枚の札が撒かれ、宙に舞った。

 それらは、ふわりと舞いつつ、地に落ちる瞬間、五芒星の印を地に描き、その中心に落ちた札たちは、きらめく光とともに姿を変えた。

 山猫、狸、鼯鼠むささびいたち、兎、栗鼠りす、穴熊。

 いずれも、顔もほころぶかわいらしい、山野に住む生き物たちであった。

「はっ」修次郎は鼻で笑った。「大仰に北斗七星なんぞを持ち出すから、どんなもの凄まじい鬼神を召喚するかと思えば……、なんだ今からその愉快な仲間たちと曲芸でも見せてくれるのか?いかにも、しょもじで御座そうろう、だな」

 嘲弄の口舌を無視して、鬼巌坊はさがる、かわりに祥馬が前に進み出る。

 彼の周囲には、その式神たる七匹の動物たち並び、とりかこむ。

「数をそろえただけで、勝てると思うてかっ。ゆけ、飛倉どもっ。そのちんけな生き物たちを蹴散らしてしまえ!」

 五匹の蝙蝠が愛くるしい小動物たちに襲いかかる。

 が……。

 山猫が跳躍して蝙蝠の喉元に喰らいつき、狸が飛び上がって丸めた背中で攻撃をふせいだと思えば、鼬が鋭い爪で敵を引き裂く。兎が跳ね、栗鼠がかじりつき、鼯鼠が舞って、穴熊が押しつぶす。しかも彼らは池の水面を、まるで地を駆けるがごとく、縦横無尽に奮闘するのだった。

 瞬く間に飛倉たちは撃退され、誇らしげな七匹のかわいらしい勇士が居並んだ。

 敗北を喫した蝙蝠たちは、札に姿をもどし、燐光を放ちつつ消滅していった。

「お、おのれい」

 修次郎は切歯した。

 見た目に反して、あの愛玩動物たちも、飛倉と同等の、いやそれ以上の霊力を身に付けた、妖怪たちであった。

 修次郎は欄干を乗り越え、地面に降り立った。

「出てこい、駁狼ばくろうっ。小生意気な雑魚どもを、喰らい尽くせ!」

 召喚の呪文もなにもあったものではない。激する感情のままに札を地面に叩きつけ、彼の使役する最強の式神を強引に呼び出す。

 赤黒く光る六芒星の魔法陣が描きだされ、その中から邪悪極まりない、人の背丈ほどもある、黒い狼が出現した。

 さらに、今度は十枚ほど同時に札を空中にばら撒くと、同等の数の飛倉が出現した。

 彼は大笑した。己の勝利をけっして疑わない、絶対的な自信に満ちた笑声であった。

「幸徳井祥馬、お前なぞ、どう足掻いてみたところで私にはかなわん。断じてかなわん。私は土御門だ。陰陽師の頂点に立つ家系だ。貴様ごとき末端の有象無象に負けるはずがあろうか。地べたに這いつくばらせてやる、無様に泣きわめきながらな。この愚鈍愚劣な出来損ないめっ!」

 駁狼と呼ばれた黒い巨狼は赤黒い瘴気を全身からまき散らし、凶悪なうなりをあげ、今にも飛びかかってきそうな眼で祥馬たちをにらんでいる。

「ぼさっとするなっ、とっととその虫けらどもを喰い殺せっ!」

 修次郎の怒号とともに、狼と蝙蝠たちはいっせいに飛びかかった。

 祥馬の式たちは、狼の爪を飛んで躱し、牙を跳ねて躱し、突撃する蝙蝠に飛びつき、けなげな活躍を続けた。

 しかし、ものの一分と持たなかったであろう。

 奮闘もむなしく、彼らは噛まれ、引き裂かれ、踏みつけられ、一匹また一匹と札に姿を戻し、燐光を発して消滅していく。

 最後まで戦い抜いたのは、狸であった。

 だが彼も、巨狼の強烈な顎に噛みつかれ、夜空に向けて放りあげられ、勇戦もむなしくそこであい果てた。

 狼は、威嚇するようにうなり、臨戦態勢をとっている。その周りを蝙蝠たちがはばたき、舞う。

「もうよい、代わろう祥馬」

 祥馬を押しのけて前に出ようとする鬼巌坊を、腕をあげて制した。坊主は不服そうな、怪訝そうな面持ちをして、脚をとめ彼の横顔をみやる。

 ――この男だけは。

 祥馬は決意をすでにかためていた。

 この男だけは、私の手で倒さなくてはならない。これまでの私に対する侮辱を償わせねばならない――。

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