四之六
このまま、幸徳井の家に居続けるのに、理由はいくらでも捏造できる。だが、ひとつの懸念が、鶫の胸裏にどうしても浮かびあがってくるのだ。
――一緒にひとつ屋根のした、男と女が住んでいれば……。
そういう関係になってしまうのではないか、という不安がきざすのだ。
こんな仕事をしていれば、ある程度の覚悟は常からできている。幸徳井祥馬という青年も、けっして嫌いではない。
――この辺が、捨て時なのだろうか。
鶫の初めての相手に、祥馬はけっして悪くはない。
だが、彼を好いているわけでもない。
どうせなら、初めての相手は、鶫が心の奥底から望む相手がよかった。
その候補のひとりであった花神恭之介は、そうそうに碧のものになってしまったし、そこは残念無念であったが、結局はあのような人間だとわかって、純潔をささげなくてよかったと、ほっとしないでもない。
この先、どこの誰とも知れない男に無理矢理奪われる結果になったり、妖鬼妖魔のたぐいに犯されるよりは、祥馬に抱かれておいたほうが、よっぽどいいだろう……。
――何を考えているんだ、私は。
鶫は、はっと我に返って、夜具の中で、ひとり頬を赤らめたのだった。
いっしょにしばらく暮らしたところで、そのような関係になるとはかぎらないではないか。だいいち、祥馬が鶫をどう思っているかなどは、わかりはしないのだ――。
翌朝、早くに起き出した碧は、音をたてずに朝餉の支度を整え、目を覚まして目を丸くしている幸徳井祥馬の前に膳を据えた。
「あ、あの、これは」
驚く祥馬の前で、鶫は膝をついて頭をさげた。
「実は、私、嘘を申しておりました」
「嘘?」
「はい、何かにとり憑かれているふうをよそおってこちらに参りましたが、実は違うのです。私は、結婚などしたくありませんでした。縁談が立て続けに破談になったのは、私がそうなるようにと望んでいたのです。親の商売のために好きでもない男のもとへ嫁ぐなど、嫌なのです」
「はあ」
「ですので、父からこちらにうかがうようにと命じられたのを幸い、私はもう家に戻らぬつもりで参ったのです」
「それで、私にどうしろとおっしゃる?」
「ただ、私をここに置いていただきたいのです。家賃のかわりに飯炊きでもなんでもいたします」
「しかし、この家は、ごらんのとおり、部屋がふたつに納戸がひとつしかありません。こんな小さな家で、男女がふたりきりで暮らすというのは、どうも……。なんでしたら、どこかの長屋に空きがないか、探してきましょうか?」
「いえ、その……、はなはだお恥ずかしいのですが、お金がございません」
「そうですか、これは弱りましたね……」
そう云って祥馬は腕を組んで、考え始めた。当然と云うべきか、他人に貸し与えるような金子は、彼のふところには、ないのである。
鶫は膝の上に手を、つっかえ棒のように置いて身体を支えて、祥馬の考え込む姿を凝視するのだった。
「ひとまず、ご飯をいただきましょう」
そうして祥馬は手を合わせてから、食事を始める。
鶫は、拍子抜けしたように、その姿をながめたのだった。
結局、奉公先が見つかるまで、しばらくの間でよければ、ということで鶫は幸徳井家に住み込むことになって、そして、数日。
祥馬は、夜に鶫の元へ忍んでくることもなく、時が流れた。
彼は、よっぽどの奥手か、鶫に興味がないのか、ともかく、前の懸念がまるで無駄になってしまうほど、彼女の純潔は純潔のまま保たれているのであった。
それとは別に、鶫は祥馬の様子を見張り続けていた。
彼は、日中はほとんど家にいて、夕方近くなると大きな荷物を担ぐようにして外出する。
なにをしているのか、不審に思って、鶫は後をつけた。彼は四条大橋近くの、繁華な街中までくると、荷物を広げ、床几に座り、
辻占い――、
を始めるのである。
陰陽師と云っても、祥馬ほど下級の陰陽師では、鶫が持ち込んだようなお祓いなどの依頼はほとんど来ず、基本的にはこうして街かどで易者をして、日々のたつきとしているのであった。
祥馬の前に置かれた机には掛け布が垂らしてあって、白と黒の勾玉を合わせたような、太陰太極図、が描かれていて、それが眼を引くのか客の入りは悪くはない。
当たるも八卦、当たらぬも八卦。
と云うように、彼の行っているのも、八卦を使った占いであったが、通行人たちは面白半分、本気半分で彼の前に立ち止まるのであった。
なかには謝礼金を払わずに立ち去る者もいたが、祥馬はそれを残念そうに溜め息とともに見送るものの、怒るでも呼び止めるでもない。
――あれで商売になっているんだから、面白いものだわ。
と鶫は、半ばあきれ顔で、彼の様子を見守っていたのである。
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