四之五
そうして鶫は、幸徳井祥馬の家に三日も逗留していた。
居間の隣の、四畳半に寝かせてもらっていたのだが、祥馬は嫌な顔ひとつせずに、食事や水を運んでくれたりするのだった。
「すみません、ご迷惑をおかけして」
申し訳なさそうに(演技ではあるが)、謝意を述べる鶫に、
「いえ、こちらのほうこそ。陰陽師など、こんな時まるで役にたちませんで」
などと、心の底から自分が悪いような顔をするのであった。
――持ち込まれた情報が間違っていたのではないか……?
鶫は、昨夜あたりからそう思いはじめていた。
考えてみれば、鬼巌坊に似た僧侶などは、世の中にいくらでもいる。この、枕頭で病人の世話をかいがいしくしてくれる生真面目な青年が、花神たちのような悪辣な犯罪者集団とかかわっていようなどとは、まるで思えないのだ。
――どうしようかな。
と思う。
このまま病人のふりをして、祥馬にやっかいをかけ続けるのは、さすがに心ぐるしい。そろそろ、見切りをつけて立ち去ろうか、でなければ、この家に居続けるなにか別の手を考えなくては――。
そんな惑いの中で、まどろんでいる時であった。
ふと、烏のけたたましい鳴き声で目が覚めた。続いて大きな羽音したと思うと、その羽ばたきがだんだんと遠のいていく。
戸板の隙間から差し込む光の加減から察するに、もう夕暮れ時であろう。
庭のほうから、鼓膜を震わせるような大きな笑い声が聞こえてきた。
烏はその声の主に驚いて飛び去っていったに違いない。
その、おそらく客人の声は、辺りにはばかることなく、大声で祥馬に話しかけている。
「おや、なにか妙な気配がするぞ。ははん、さてはおぬし、女を連れ込んでおるな?」
――来た。
鶫は直感した。嵐から聞いて、想像していた通りの、鬼巌坊の野太い声音であった。
そっと夜具から身をおこして、戸板の隙間に目を当ててうかがってみた。居間の向こうの縁側に祥馬が座って、その雲水は、庭に立ったまま話を続けていた。
「なに、お客人が急な病で、臥せっておられるだけで」
「ははは、そりゃどうかのう。おぬしも木の股から生まれたような顔をして、隅に置けぬのう」
「違うと云っておりましょう」
六尺豊かの巨漢。岩壁のような胸板。伸び放題の坊主頭に無精髭。
――間違いない、鬼巌坊だ。
耳をすますまでもない、鬼巌坊の大声は、薄板一枚あろうとなかろうと、自然に耳に届くのだった。
「いやいや、しかし、大坂はもう、人の波で芋を洗うようなものよ」と雲水は妙な言い回しをして続けた。「これはもう、徳川も豊臣も、お互い引くに引けない状況じゃて」
「そうですか」
とは、祥馬の気のない返事であった。
そして、どこぞの兵はがらが悪い、とか、街道で商人たちが足止めされて難儀している、とか、大坂から来たものなら誰でも見聞きするようなことしか話さないのであった。
鶫は聴いていていらだたしくなってきた。花神一味と祥馬のつながりを示すような会話がまるでされないのだった。
――ひょっとすると、祥馬は花神と徒党を組んでいるわけではなく、ただ、鬼巌坊と知り合いなだけではないのかしら。
そんなふうに思えてくるほどであった。
「なんじゃ、そのつまらなそうな顔は?」
鼻白んだような顔で云う鬼巌坊に、
「いや、別に。そんなことより、例の件ですが」
と祥馬が話を変えた。
鶫は耳をそばだてた。
ふたりの会話はそれから、小声になって、まるで聞き取れなくなってしまった。
「それで……じゃ、ふむ」「やはり、……にある……です」「……の見当は?」「そこまでは……」
などと、肝心な部分はまるで聞こえてこない。しかし、密談のような会話はそこまでのようで、急に声の調子がもとに戻って、
「手は貸してくれんのか?」
「いえ、私はここまでにさせてもらいたい。恭之介様にはご恩がありますが、これ以上のことはご勘弁願いたいのです」
「さようか。残念だが、無理強いはできぬでの」
それから、他愛もないよもやま話を、鬼巌坊が一方的に、ひとしきり話して、
「じゃあ、暗くなる前においとまするかの。奥の人にもよろしくな」
とからかうように大笑しながら、立ち去って行った。
鶫はそっと布団に身をよこたえた。
今後もここに居続ける算段を練らねばならなくなったようだ。
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