四之四
陰陽師は、鶫の眼をじっと見つめ、最近なにか変わった出来事はなかったか、とか、身体に変調はないか、などとひとしきり質問をした後、
「はて……」
などと困惑したように、くすんだ天井板に目をやって、
「別段何か、もののけなどにとり憑かれている様子はございませんな。他人から呪われている節もない」
と、眼を鶫にもどして云うのだった。
「家族の方々にとり憑いているふうでもありません。家族に霊的な異常があれば、あなたにも何らかの兆候が見られるものです。しかし、それがない」
そうして、ひとつ考え深そうに長嘆息した。
――しまった。
と鶫は丸い眼で彼の顔を不安げに見つめながら、心中、焦慮した。
この若い陰陽師をあなどっていたかもしれない。自分が云っていたことがすべて嘘だと看破されてしまうのではないだろうか――。
しかし、祥馬は、にこりと微笑んだ。
「ああ、ひょっとすると」
そう云って立ち上がると、文机から紙と筆を持ってきて、
「家の見取り図をお書きください。御縁談に恵まれないというのは、家相が良くないせいかもしれません」
鶫は云われるままに、家の見取り図を描いていった。これは、実際の自分の家の間取りを描いたのであったが……。
「ふむふむ。家の向きは。ふむ。それで、お縫さんのお部屋は。ふむ。ああ、それはいけない」
祥馬は、鶫が描き進めるのに合わせて、
「まず、あなたのお部屋は、東南のこの部屋に移動したほうがよろしいでしょう。今のお部屋は風通しも陽当りも悪く、完全に陰に籠っています。そして、部屋のここに花をおいて……」
いろいろと指導を始めるのだった。
ついでに金運のあがる風水なども教えられ、なんだか鶫は役得にあずかったようで、ちょっと得をした気分であった。
――しかし……。
と鶫は内心で、ほっと吐息をついた。
幸徳井祥馬がお人好しで助かった。あまり人を疑う性分ではないらしい――。
「それと、もうひとつ、物忌みをお勧めします」
「ものいみ……?」
「はい、これは、昔からよくある願掛けでして、願いが叶うまで、なにかひとつ、お好きなことを我慢するのです。ご縁に恵まれるまで、例えばお酒を断つとか、甘いものを食べないようにするとか、なんでもいいのです、ひとつ何かを我慢なさってみてください」
そして、紙と筆を持って文机に行って、
「お守りがご所望とのことでしたが、ひとつお札を描いておきましょう。これを、部屋の北側、つまり南へ向けて壁に貼っておいてください」
祥馬は、さらさらと短冊に何かを描いて、それを持ってきた。
それには、絵なのか文字なのかわからない図形が書かれていて、
「開運のお札です。本当はお屋敷にうかがってお祓いなどをしてもよろしいのですが」
「いえ、そこまでは。まずは、これをいただくだけで充分です」
「わかりました」
そういって、祥馬は丁寧に頭をさげるのだった。
それに合わせて、鶫も頭をさげる。そして、懐からとりだした金包みを、陰陽師はありがたそうに押し頂いて受け取るのだった。
祥馬は、世間話を楽しむ型の人間ではないらしく、要件が済んでしまうと、話すこともなくなってしまうらしい。
部屋はとたんに、しっとりとした静寂が支配した。
「では、ありがとうございました」
鶫は、そう云ってまた頭をさげて、立ち上がり、縁側へ向けて数歩歩く。
しかし……。
ここで、はいさようなら、と別れてしまったのでは、任務でも何でもなくなってしまう。
唐突に、
「ああっ」
叫んでよろめき、床に倒れ伏した。ついでに、ちょっとしたサービスで着物の裾を少しまくって白い太ももを披露する。
「いかがいたしましたっ?」
見送りに腰を浮かしかけていた祥馬はそのまま勢いよく立ち上がり、鶫のかたわらへ。
「も、もうしわけありません」
鶫は消え入りそうな声で、ぼそぼそと、しかし、のぞきこむ祥馬の頬に息をかけるように、
「奈良から歩き詰めでしたので……。身体も丈夫なほうではございませんのに……」
少し舌足らずに、甘えるように話すのが、男を篭絡するこつである、とこれは里の先輩くノ一から伝授された男心操作術の一節であった。
「おお、これは困った」
祥馬は立ち上がると、見事なまでの周章狼狽ぶりを見せるのだった。
「お寺に行って誰か呼んできましょうか。それとも薬師……、いやいや、こんな時は、近所のおかみさんに……」
「あ、あの、お水をいただけましたら。それとご迷惑でなければ、少しの間、横にならせてください」
鶫は、このお人好しの青年をペテンにかけたようで、なんだか慙愧の念が湧き起こってくるのであった。
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