四之七

 こんなことがあった。

 夕日に街並みが赤らんだ、雑多な人々が家路を急ぐ、喧騒も人いきれさえもせわしない時刻であった。いつも通りに街かどに座る、祥馬のもとへ、人品賤しからぬ身形みなりの男が三人……、

「なんや、どこの物乞いかと思えば、田舎しょもじの幸徳井はんやないか」

 なかのひとりの、細面の眼も口も尖って細い、一見しただけで嫌味な性格が相貌から看取できるその男は、下卑た薄笑いを浮かべ、祥馬を見くだすようにして云った。連れのふたりは同僚であろうか、家来であろうか。

 祥馬は、ひとつふたつ歳下にみえるその男に、首をすくめるように頭をさげる、

「これは、修次郎しゅうじろう様」

「我ら土御門に届けもせず、勝手きままにこんなところで店を出すとは、幸徳井はんは、ずいぶんご出世されたものやなあ」

「と、届け出、でございましょうか?」

「土御門は、陰陽師の総元締やさかいな。あんたみたいな低級陰陽師が頭を下げに来るんは、当たり前の礼儀やろう」

 土御門家が実際に全国の陰陽師を統轄するようになったのは、――つまり幕府や朝廷から正式に認可されるのは、これから七十年ほどあとになるのだが、現状では、近畿一円くらいの目のとどく範囲内での陰陽師支配であろうか。

 しかし、それでも土御門は陰陽道の宗家、末端に在する幸徳井祥馬にとっては、位負けしてしまうのも無理からぬ。日陰にはえた雑草は、丘のうえに咲いた大輪の牡丹を見上げて、わが身の不遇をかこちつつ、日なたに咲く花々を嫉視するのである。

「申し訳ございません、そのような手続きが必要とは、つゆ知りませんで」

「まったく、他所もんはこれやから。京の風習も作法も知らへん。困ったもんや」

 そう云って、三人が声を合わせて、侮蔑するような笑声をあげる。

 声に反応するように通行人たちは、ちらとそちらを見て、見てはいけないものを見たようにすぐに目をそらして通り過ぎる。

 しかし、通り過ぎる数人、数十人が、占い師と彼を嬲るように取り巻く三人の男を視界に入れていくのだから、祥馬としては羞恥極まるものがあるであろう。

 そして、修次郎と呼ばれた男は、

「幸徳井なんちゅういやしい家系のもんが、ようも恥も知らんと平然とした顔で、往来で占い師の看板をかけられたもんや。田舎のしょもじはしょもじらしく、田んぼの真ん中で、牛や鶏相手に商売しとったらええねん」

「はあ、申し訳しだいもございませず」

「へへっ」と薄く口を歪ませて、土御門は噴飯するように笑った。「これだけ云われても、口ごたえひとつ云われへん。それとも、言葉を知らんのか、言葉が思いつかんのか、どっちにせよ、ずいぶん血の巡りの悪い頭をしとるようやな。それとも、性格が卑屈で陰気にできとるんで、いくら頑張っても目上の人間に対して声をだす度胸も湧いて来へんのか。そなたほど、魯鈍という言葉の似あう人間も、なかなかおらへんな」

 祥馬はうなだれた。まるで、誰もそんなことはしていなのに、上から頭を無理矢理押さえつけられでもしたように、惨めにうなだれた。

「ふん、無口が格好良いとでも思っとるんと違うか。無口もたいがいにせんと、出世できへんで。いつまでたっても、みすぼらしいしょもじのまんま、いっしょう生きていかなならんで」

 修次郎は祥馬の顔へ、その顔を近づけて、喉の奥で嘲弄するように笑うのであった。

 そして彼は最後に妙なことを口走った。

「狐の子は、やっぱり恥も常識も知らんのやわ」

 そう云って、連れの者たちとまた声を合わせて、いやらしく笑いながら、立ち去っていくのであった。

 鶫は、通行人に紛れて近づき、家屋の影から、ずっとやりとりを聞いていた。彼女は当然彼らに腹を立てたが、一方で、祥馬に対しても腹立たしいほどのもどかしさが、それこそ腹のなかをを駆け巡るのであった。

 ――あれだけ云われて、なぜ云い返すこともしないのかしら。

 家のかどからそっと覗いて、彼の、憔悴しきったような横顔を見つめた。

 修次郎は、頭が悪いの卑屈だのと云っていたが、祥馬が必死懸命に怒りと悔しさに耐えていたのだと鶫にはわかる。わかるのではあるが、やはりもどかしいのだ、歯がゆいのだ。

 ずいぶんと威張り散らしていた土御門とて、京に居を構えたのは、ほんの十数年前ではないか。祥馬とて、それくらいの来歴は知っているだろうに、いくら相手のほうが家格が高いといっても、愚弄されて沈黙を貫き通さねばならぬ法はないだろう。

 しかし、

 ――狐の子、

 とはいったい何を意味しているのであろうか……。

 鶫には、土御門の青年のいやらしい薄笑いとともに、その単純にして不明瞭なひとことが、心のひだに喰いつくようにひっかかったのだった。

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