四之二
おかみさんは、
「しょもじ」
と云った。
確かに、地位の低い陰陽師のことを、
「
と云う。
云うのではあるが、それは言葉が誕生した当初のころの語意であり、江戸時代初期には、その意味合いがいささか異なってきている。
庶民階層で活動していた陰陽師たちは、民間芸能と結びつき、または変遷していき、往来で芸を披露して投げ銭をもらう、ある種、卑賎の者、という世間一般の認識が浸透してきていた。これは、時代が下って江戸時代中期になると、さらに地位の低下を招いていくのであるが、この物語の時点でも、地域社会においてそうとうの侮蔑を受けていたことであろうと推察できる。
幸徳井家というのは、あの
幸徳井祥馬の家は、その幸徳井家の、さらに分家の分家、官人と云ってもほとんど自称にすぎず、官位もなければ俸給もない、官人の端の端、もはや公家社会から忘れ去られた、悲壮感さえ漂うほどの末端に位置する家系であった。
本家幸徳井家は、これからほんの少し後に、陰陽頭に取り立てられて地位の回復がなされるのであるが、幸徳井祥馬にとっては、まったく別世界の出来事にしかならないであろう。
鶫に家を教えてくれたおかみさんが、どこか軽侮の感情をにじませた語調で、しょもじ、と云ったのにはそんなわけがあったのである。
田畑のなかの一区画にぎゅうぎゅうに詰め込むように家屋が密集している場所の間に、鶫が教えられた路地は西に向かって延びていて、左に寺の板塀、右に民家の垣根があって、それらに肩をこすりつけるようにして進まねばならないほどの細道で、風通しも悪いし陽当りも悪い、およそ中等以上の庶民なら、金を積まれても住もうとは思わないような、陰気な裏路地であった。
その左手の寺の痛んだ塀がぷつりと途切れ、朽ちた生垣がそれに続いていて、木戸と云うのも大仰な、粗末な枝折戸が真ん中辺りにあった。
おそらく、寺の持ち家であろうか、寺男か下人を住まわすための小屋が、枝折戸の脇に建っていて、ひとりの、はたち前後と見える、襟も袖もあちこちすり切れた紺色の着流しを着た青年が、腰ほどの高さの苔むした庭石を前に、なにかぶつぶつとつぶやいている。
鶫は脚をとめて、枝折戸の脇にたって、斜め後ろから、その姿を凝視した。庶人がみたら、ちょっと眉をひそめてしまいかねない青年の様子である。
だが、鶫は庭石のうえに、手のひらほどの、小さな生き物をみとめていた。それは、一見するとただの大きな蜘蛛かカマドウマのように見えるが、頭部が人面で角のはえた、
「土蜘蛛」
であった。(鶫たちがさきに闘った蜘蛛鬼とは別種)
人にたいした被害をあたえるでもない、生まれたばかりのような小型の虫の妖怪であったが、庭にいて気持ちの良い生き物でもない。
青年は、その土蜘蛛に向かって、
「
云いながら、指を縦に横に小さく動かしている。
である。
土蜘蛛の視界に、縦横九本の線からなる枡目が霊気で描かれ、虫の目が、その枡目に吸い付けられるようになって、さらに全身が硬直したようだった。
その瞬間、青年は足元に置いてあった竹籠を拾い上げると、すばやく土蜘蛛にかぶせた。
そしてさらに、一尺ほどの桶を持ち、その中へ、竹籠をかぶせたまま、ずらすように土蜘蛛を移した。
竹籠のうえに、ぺたりと何かの護符を貼りつける。
桶に入れられ、竹籠の蓋をかぶせられた土蜘蛛は、もぞもぞと動いてはいるが、暴れ出すような雰囲気はまるでなかった。
「明日になったら、山に帰してやるからな。もう、こんな街中に迷い出てくるんじゃないぞ」
そんなことを語りかけているのだった。
鶫であったら、あんな土蜘蛛などは見つけた瞬間に、愛用の短刀で突き刺しているところである。
――今は無害な幼虫だけど……。
大きくなれば人に害を及ぼすかもしれない妖怪である。
今のうちに退治しておくべきである。
それをこの青年は、捕らえただけでなく、山に帰してやるという。
それは幸徳井祥馬の優しさであるのか、鬼や妖怪を使役する陰陽師としての定法なのであろうか。
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